2013年【藤澤】 26 フジと勇次と夕陽3分の1

 ベルタの鼻歌が聞こえなくなった頃、そう遠くない場所で発砲音が聞こえた。


 敵だらけの沖田屋敷で、途方に暮れている場合ではない。沖田屋すぐにでも動き出したい藤澤とは違って、ボンネットの上の勇次は、目を閉じようとしている。


「ああ、このまま眠っちまいそうだ」


「寝るなら、ちゃんと布団で寝ろ。それとも、布団に入ったら敗北の悔しさを思い出して枕を濡らして眠れねぇのか?」


「喧嘩してたら負けることもあるから、そこまで悔しがるかよ。そういや、疾風の兄貴に負けた日も、こんな感じで身体の熱をMR2のボンネットで冷やしてたっけな」


「んだよ? いきってるわりに、結構、負けてばっかなんだな?」


「そうかもな。最近、自分が弱くなってるのを痛感してるからよ」


 弱くなっていても、藤澤が希望を見出すぐらいには強い。そもそも、勇次が来ていなければ、いまこうして藤澤は生きていなかったかもしれないのだ。

 借りを返すためにも、勇次を守るべきだ。


「よっし、回復してきた。もうひと暴れするぞ」


 勇次がボンネットから降りると、藤澤は助手席で眠るクリスに目が奪われる。

 あの沖田総一郎や総江も日常的に、この寝顔にくらくらされていそうだ。


「行かせていただきます。クリスさんは、MR2の中にいれば安全だと思いますので」


 口に出して言わなければ、クリスを置いて動けそうになかった。


「行くぞ勇次」


「あいよ」


 一歩目で勇次の体力は限界を迎えた。ふらつく体を、藤澤は咄嗟に支えてしまう。熱い。勇次の体は熱を帯びていた。


「無理しすぎだろうが。しょうがねぇから、肩ぐらい貸してやるよ」


「悪い、迷惑をかける」


 肩を組むと、鼻をつんざくような鉄の臭いに顔をしかめそうになる。勇次の服の下では、おびただしい量の血が流れているのだろう。


「そんなに感謝するなっての。仲のいいダチだったら、背負ってやってるしよ」


 仲のいいダチと口にして頭に浮かんだのは、山本大介や西野ナツキだ。


「その気持ち、痛いほどわかるぜ。オレだって、あんたがボロボロでも背負って移動しねぇだろうし。でもまぁ、肩ぐらいは貸すかもな」


「言いやがったな。逆の立場になったとき、いまのお前ぐらいに体重預けるからな」


 勇次は、かなりの重さを藤澤に預けてくる。その重みに押されるように歩き出す。

 部屋から出る前に、クリスへ挨拶をしておきたくて、MR2のほうを向く。


「何度も見るけど、惚れてるのか?」


「見当違いのことを言うな。お前、高校生だから恋愛脳なのか?」


「あ? んなわけねぇだろ。ただ、誰かしらんけど、美人さんだと思ってな」


 廊下に出る。荒れた屋敷と血の臭い。

 五感すべてで、非日常を体感することになろうとも、どこかに日常との繋がりが欲しかった。

 だから、聴覚から得られる情報だけでも、平和で日常的なものを目指す。


「いまの反応はなんだよ? もしかして、クリスさんに惚れたのか? やめとけよ。手を出したら、沖田の親っさんが黙っちゃいねぇぞ」


「なにを勝手に勘違いしてんだよ。そんなんじゃねぇよ」


「ほほーん、彼女一筋ってタイプなのか、お前は?」


「彼女ってなんだよ。そんなのいねぇし」


「マジかよ。高校生だろ、お前? 一番楽しい時期に、なにしてんの? 寂しい青春送ってんじゃねぇよ。好きな奴ぐらいはもちろんいるよな?」


「あんたにゃ関係ねぇだろ」


「その反応は、いるってことだな。当ててやろうか。ずばり、友達の妹だろ?」


「あり得るかよ。小学生だぞ」


「つーか、そういうポジションもいるんだな。ダメだぞ。友達の妹が成長したからって、手を出したりしたら」


「するかよ。オレにとっても、妹みたいな存在だ」


「じゃあ、妹枠じゃなくて、同級生枠と予想した。喧嘩しまくってる女友達とかに惚れてるだろ?」


「あずきが嫌がるから、そういうのは冗談でも言うな」


 友達の妹だけでなく、そんなファーストネームで呼ぶ女友達もいるのか。寂しい青春というのは撤回だ。案外、ベタベタな相手を好きになっているのかもしれない。


「もしかして、学校の先生が好きとか言うんじゃねぇの?」


「だったら悪いのかよ」


「認めやがったよ」


「てめぇ、体力消耗してなかったら、殴って黙らせてるところだぞ」


「俺が黙ったら、女教師の口説き方が伝授できなくなるけどいいのか? 俺の彼女は学校の先生だからな」


「ほー、そうなのか。じゃあ、敵が襲ってきたら守ってやらねぇとな」


「素直になってきたじゃねぇか、おい。さては、お前童貞だな?」


「くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ。お前の女の口説き方をききたい訳じゃねぇ。もっと、単純な話だ。ダチや彼女がいる奴は生き残るべきだろ?」


 中谷勇次ってのがわかって、ちょっと安心した。

 いいヤツなのかもしれない。

 憧れと嫉妬に迷わなければ、一生モノのダチになれるのかもしれない。


「なに、笑ってんだよ。フジ」


「誰がフジだ。馴れ馴れしいぞ勇次」


 MR2が開けた壁から、ようやく外に出る。希望に満ちた夕焼けの光が、庭を赤く照らしている。


 ふと、記憶がよみがえる。初めてナンパした日も、綺麗な夕焼け空だったっけ。

 藤澤と山本と西野の三人で海に行った日だった。免許をとって車を持っているというステータスは、全てにおいてハイスペックな西野にも勝る武器となった。


「そういや勇次は、車の免許持ってるのか? あったら、色々といいぜ」


「そろそろ、助手席を卒業すべきってのは、わかってるんだけどな」


「わかってるんなら、やれよ。やるべきことが明確ならば、なんだ。あれだ」


 言葉尻が弱くなる。

 勇次への説教じみた助言が、ブーメランのようにかえってきて、自らを傷つける。


 やるべきことは明確だ。

 藤澤は立派な父になる。一家の大黒柱になる。

 そのためならば、今日の敗北も糧にする。

 生き残ってやりなすのならば、いまの自分が未完成だと認めることからはじめよう。


 勇次の夕陽のように熱い身体を支えながら、フジは力強く歩いていく。

 いくつもの転がる死体をこえた先にも、幸せがあると信じていた。

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