第22話 心が、折れそう
早苗は携帯のグループチャットのボタンを押した。
「何してんの?」
春樹が携帯を覗き込んできたので、画面を見せる。
「明美って友達がいるんだけどね、お母さんの介護してて、大変だって。だから、頑張れってスタンプを送ったの」
「介護? 同級生だろ?」
「母子家庭の子で、お母さん苦労したんだよね」
「……その子に、スタンプだけ?」
「え? だって、一緒に居る時に携帯つつくの嫌だって言ったじゃない、」
「言ったけども、大変そうじゃん、ちょっとなんか入れたら?」
「……でも、介護とかって、まだよく解らないしね」
「まぁ、そうだ」
春樹は普段は理解があり、話しやすいし、穏やかな人なのだ。だが、ひとたび、梓が、という前置きが入るととたん、意地が悪くなる。まるで梓がそこにいるのではないかと思うほどだ。
翌日、春樹が帰宅してきてから、首をひねっているので、
「寝違えた? 痛めたの、首?」
と聞くと、
「梓さんがさぁ」
と言い出した。気分が悪いと思ったが、数日前と様子が違うので、話しを待ってみる。
「早苗が、明美って人とのメールで、スタンだけで返すんですよ、あれもやっぱり、密に連絡を取ってもらわないと、出世に響くと思ってって話したら、明美? 明美って言った? って言ってから、帰ったんだよ。なんか、あるの? 明美って人と梓さん、」
と清々しいまでに無知な顔を向ける春樹に、早苗は首を傾げ、
「さぁ、解んないなぁ。明美はいい人よ。生徒会長だったし、クラス委員だったし、あたしがいじめられていた時に助けてくれた人だから」
と満面の笑みで話した。
あの日、馬酔木で晃平から、
「もし、メールしている相手を聞かれたら、明美としているというように。梓は明美にだけは手を出せないから。俺からのメールを「明美
あと、相談とかはすべて明美本人に送るように、彼氏の名前を入れずに、仕事の件で困っている。とか、客がクレームを言うとか、それで、明美が理解して、回してくれるように」
「あたし?」と迷惑そうに言ったが、最後には引き受ける明美。
「あと、妙子にも送るように。何でかしらんが、梓は妙子には異常な対抗意識があるから、もしかすると、少しは緩和するかもしれない」
「私への嫌がらせが?」
「そう。妙子をどうにかしようと考える間は、早苗の事なんか考える暇すらないから、さすがの梓も。かといって、妙子をどうしようにも、働きに出ているわけじゃない。口コミに左右されるような客が入っているわけじゃないからね、ここは。
まぁ、ここに実害が出る前には何とか片が付くと思う」
晃平は満面の笑みを早苗に返した。
という指示が出ていたのだ。メール相手を気にしたら、明美としているとい言えば、春樹はそれを梓に報告するだろう。梓にしてみれば、ここにきて明美の名前を聞くとは思わないだろうから、早苗に対するちょっかいよりも、明美のことを考えてしばらくはおとなしくなるというのだ。
晃平の言うとおり、毎日何かしらで出張っていた梓が会社に姿を見せなかったという。春樹は不振がっていたが、早苗は首を傾げるだけだが、内心では、驚くほどの効果に笑みがこぼれる。
とはいえ、三日後には梓は出てきて、会社の一階にある喫茶店でコーヒーを飲みながら、明美と付き合っているのをあまり良しとしないということを言っていたようだが、いじめられていたのを助けてもらった、生徒会長をしていて、という話を聞いていたので、たぶん、引き離せないのじゃないかと思う。と弱気になる。
「そういう態度をとっていたら、結婚してから舐められるわよ」
と梓は真っ赤な爪で春樹を指さした。
「はぁ、何とも……、最近ではた、た……なんかおばあちゃんのような名前の人とも連絡とっているようで、」
「た? ……妙子?」
「あぁ、そうです、そんな感じの名前です」
「妙子とも、会ってるの?」
「そうみたいですよ。今度、一緒に行こうって言われました。何でも、おいしいお菓子を作ってくれるとかで、」
と春樹が言うのを横目に、梓は爪を噛む。
(冗談じゃない、面白いおもちゃを見つけたと思ったのに、なんで今でもつながっているのよ。明美だけでも腹立つのに、妙子、妙子、妙子、あの女まで)
梓はいらいらしながら春樹を置いて出て行った。
(早苗のことだから、私と会ったことを明美たちに話しているはずだわ。そして、私を排除しようとするに決まっている。冗談じゃない。こんな面白いものを捨てるなんて。向こうがその気なら、その前に動いてやるわ。
でも、早苗の彼って男は、早苗の彼だけあって、愚鈍で、鈍感で、素早く行動に移さないのよね。あれほど使えない男もいないわ)
梓は喫茶店を出てからずっと頭をフル回転させ、どうにかして早苗経由で明美を、いや、妙子までもどうにかしてやろうと考える。
早苗の場合は、巧く行けば婚約破棄をさせ、男はその直後に用済みで捨てればいい。だが、明美はどうしたものか、今、明美は何をしているのだろうか? 仕事を引っ掻き回すか、それとも……、
(そういえば、親の介護をしているって言ってたっけ? 施設に入っていたら、その施設を破滅させようか。立ち退きさせるために、その土地を奪ってやろうか。親が施設にから帰ってきて、どうしようもなくなって、親子で衰弱死。なんて面白いわよね。
だって、施設の土地を買っただけだもの、悪いことはしてない。いいわね、この案でいこう。
それで、妙子は、妙子もなにしてるんだろう……、本当にむかつく女だわ。いつもそう、表立って明美は邪魔をするけど、妙子はそうじゃない。私の初恋の相手も、妙子が好きだからと断ってきた。中村君のこと、本気で好きになって、今までのは冗談で、本当に好きだ。って言ったのに、僕は嫌いだって言った。そのあと、妙子のことが好きだと聞いた時には、もう、腹が立ってしようがなかった。
私の邪魔ばかりする女と、私の恋を破滅させる女。どちらも、大嫌い)
梓は爪をぎりっと噛み締める。その瞬間、爪がぱりんと割れた。梓の絹を裂くような悲鳴に、そこにいたものすべての目が集まったが、梓はそんなことを気にせず、そのままネイルサロンへと直行した。
春樹が帰ってきて、意地の悪そうな顔をしているので、梓から何かを言われたのだと解った。数日前なら、この顔を見るたびに気分が沈んでいたが、今ではその様子をつぶさに明美に報告しようとして冷静に見れていた。
「学生時代の友達は、所詮学生時代で、思考がお子様なんだよねぇ。そういうのと付き合うと、迷惑するのは早苗のほうだよ? いつまでたっても、成長しない仲良しこよしは、一家を預かる主婦にはふさわしくないねぇ」
という春樹に、早苗は(何を言ってるんだ?)と言う気になる。そして、妙子に聞かれた言葉が頭をよぎる。
―例えば、梓を片付けれたとして、その後、それでも一緒に居たい? 猜疑心をもって接してきた相手を、以前と同じく好きでいられる?―
早苗は思い出した途端、この人との結婚は無理なのじゃないかと言う気がしてきた。好きで一緒になるのはいいが、一方的な好きでは、うまくいく気がきがしない。
好きと言えたらいいのに 松浦 由香 @yuka_matuura
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