第2話

 翌朝、目が覚めると部屋の隅に大きな塊があるのに気がついた。おそるおそる近づくと、見覚えのある毛布だった。ロープでぐるぐる巻きにしてある。

「嘘だろ…」

 震える手でロープを解き、毛布を開くと、そこには土気色になった美歩の死体があった。


「ヒぇつ」

 康司は後ずさりして両手で頭を抱えた。死体の鼻から口へ、森に棲んでいたであろう甲虫が行き来していた。目の端からはウジがはみ出している。

「ひぃぃぃ」

 康司はそのおぞましい姿と鼻をつく死臭に絶叫した。声を出したと思ったが、喉がつぶれて声は出ていないようだった。


 康司はそれからしばらく部屋の隅でひざをかかえてぶつぶつと独り言をつぶやいていた。なんで、なんで戻ってくるんだ?空き缶、たばこ、ジュース、美歩。

 「捨てた」ものを誰かが拾っている。あの畑のじいさんが犯人だと思っていたが、部屋には鍵がかかっていたはずだ、どうやって空き缶を持ってきた?それに美歩は?なんで殺して捨てたことがわかる?

 康司は笑いながら立ち上がった。誰がやっている嫌がらせなのか知らないが、とにかく美歩を片付けないと。


 その日仕事は無断で休んだ。深夜、仕事場に潜り込んで軽トラを借りてきた。美歩をもう一度毛布にくるんで荷台に乗せた。毛布からはみ出たウジが手を這うのを振り落とし、靴先で踏み潰した。

 海へ走った。拾ってこられない場所に捨てればいい。笑いながらハンドルを握り、アクセルをふかした。美歩の死体に石を抱かせてもう一度毛布でくるみ、ロープでぐるぐる巻きにした。立ち入り禁止の看板を無視して港の奥へ向かう。

 車を停め、毛布を海へ投げ入れた。激しい水音。毛布にくるまれた美歩は暗い海の底に沈んでいった。これなら「拾って」こられないだろう。


 翌朝、康司は鼻をつく生臭い匂いに目を覚ました。まさか。部屋の奥から磯の匂いがする。まさか。康司は起きだして部屋を覗き込んだ。あの毛布だ。毛布から青白い腕がのぞいている。腕の肉は膨張し、ところどころ魚に食い散らされたのか、骨が見えていた。

 あまりのおぞましさに康司はその場に吐いた。


「なんでこんなことに…なんでだよ…」

 なんでだ、なんで。康司は狂いそうな頭でつぶやき続けた。たかがポイ捨てじゃないか。あのじじいが悪いんだ。それに美歩も、あいつが俺の言うことを聞かずに子供を産むって…みんな、みんなが悪いんだ。あれ、そうなのか?


「悪いの、俺じゃん…」

 康司の目から涙が流れた。毛布から出た美歩の手を握った。ぶよぶよとした皮膚は破れ、海水が染み出して畳を濡らした。ひどく冷たい手だった。美歩の笑顔が脳裏に蘇ってくる。

「美歩、ごめんな…」

 康司はゆっくりと立ち上がった。


 足は自然とあの畑に向かっていた。管理するおやじもいなくなってごみ溜めになっている畑。

 あの日、おやじの頭に角材を振り下ろした。おやじは驚いた顔をしてこちらを見て、畑の泥の中に倒れた。頭から血を流していた。

 今まで気がつかなかったが、畑の畔の先に小さな祠があった。近づいてみると、乾いた稲が供えてある。狭い小さな畑でもささやかな豊穣を祈っていたのだろう。


 康司は祠の前に膝をついた。泥で汚れるのも気にせずに。

「ごめんなさい」

 ただ子供のように謝った。泣きながら、何度も頭を泥に突っ込みながら、鼻水と涙と泥で顔がぐちゃぐちゃになった。

「ごめん…」


 気が付けば、手に角材をもっておやじの背後にいた。康司はその角材を遠くに放り投げた。

「ごめんなさい」

 康司の声におやじが驚いて振り向く。涙を流しながら立ち尽くす青年におやじは唖然としている。

「なんじゃ、お前か」

「ゴミ、捨ててすみませんでした」

 おやじは厳しい顔で康司の顔をじっと見て、そして笑った。

「…よく謝りにきたな」

 また怒られると思った康司は驚いておやじの顔を見つめたまま声が出なかった。


「この一帯は全部畑だった。それが管理ができず手放して、とうとうここだけになってしまってな。ここだけは残して昔のように野菜を育てようと思っているんじゃ」

「…」

「あの花、きれいじゃろう。死んだかみさんが好きでな。金にならんものを植えてどうすると叱ったがどうしても花を植えたいといってきかんかった」

 康司は大事な思いのある土地に何も考えずにゴミを捨てた自分を恥じた。もう一度おやじに深々と頭を下げて、康司はアパートに走った。


 ドアを開けると、美歩がキッチンに立っていた。慌てて駆け寄る。

「どうしたの、康司?」

 顔色が悪い。

「気分が悪いんじゃないのか?」

 康司は美歩のほほを両手ではさんだ。温かいぬくもりを感じる。美歩は生きている。それだけで涙が出るほど嬉しかった。

「う、うん実はね、できちゃったみたいなの」

 康司は美歩を抱きしめた。

「ちょっと、康司…」

「そうか」

「産んでいい?」

「もちろんだよ」

「嬉しい…」

 美歩のぬくもりを体中で感じて、康司は涙を流した。


 天気の良い日曜、康司と美歩は買い物袋を手に踏み切り待ちをしていた。ふと田んぼを見ると、おやじがゴミ拾いをしていた。

「ちょっと待ってて」

「何するの?」

 康司は田んぼに降り立った。

「おっさん、手伝うよ」

 おやじは驚いていたが、好きにしろと言って、どこか嬉しそうだった。


「こんなにゴミ捨てて、ひどいよな」

「ゴミを捨てるものは心が貧しい、それは自分に跳ね返ってくるんじゃ」

「…そうだな」

 道路を見上げると、花柄のワンピースを着た美歩が少し膨れたおなかをさすりながこちらに手を振って微笑んでいる。

「奥さん身重じゃないか、大事にしないとな」

「うん」

 康司は照れ臭そうに笑った。


「持っていけ」

 ひとしきりゴミを片付け終えると、おやじが花をくれた。畑の脇で育てていた花だ。

「きれいだな、ありがと」

 康司は美歩に花を渡し、手を取りながら帰っていった。

「捨てる神あれば、拾う神あり。手痛いお仕置きじゃったが、これで道を誤ることはなかろう」

 おやじは二人の背を見送りながら畑を耕しはじめた。

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拾う神 神崎あきら @akatuki_kz

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