拾う神
神崎あきら
第1話
「こら、お前!罰当たりが」
高山康司は声のする方を振り向いた。道路沿いの畑にいたおやじが叫んでいる。最初は誰に怒鳴っているのかも分からず、眉をひそめた。何年も前に仕事はリタイアしているであろうそのおやじが指さしている先には、畑の畝に転がった空き缶があった。康司がさっき飲み終えてポイ捨てしたものだ。
「ああ、悪いなじいさん、拾っといてよ」
「拾いに来い!」
「うるせえ、どうせヒマだろ」
おやじに怒鳴り返して、康司は歩き出した。背後でまだおやじの声がしているが無視だ。
その畑は住宅街の中に一区画残された小さなもので、線路の手前にあるため踏切待ちの車からのポイ捨てゴミがいつも散乱していた。タバコ、空き缶、ひどければ車内に置いていたゴミ袋やファーストフードの食べ残しを袋ごと。
畑の持ち主であるそのおやじがいつも文句を言いながらゴミを拾っている姿があった。
どうせ他の奴も捨ててるだろ、康司は自分だけに文句を言われたことを腹立たしく思った。
アパートに戻ると、美步が夕食を作って待っていた。キッチンから立ち上る湯気から美味しそうな匂いが漂ってくる。
「おかえり康司、今日はハンバーグ作ってるよ」
「おう、ただいま。美味そうだな」
康司はフライパンを握る美步を背後から抱きしめて首筋にキスをした。くすぐったいよ、と美步は体をよじるが嬉しそうだ。ほどよい肉付きの体は抱き心地が良く、その温もりが愛しかった。
美步とは付き合い始めて1年になる。仕事先の建設現場に弁当を配達する宅配スタッフだった。康司から何度か声をかけてデートに持ち込んだ。派手さはないが、笑顔が可愛い女だ。そのときにも何人か遊んでいた女はいたが、わがままな女の相手をするには金が必要で、美步と付き合い始めてからは会っていない。今は築30年の安アパートに一緒に住んでいる。
「できたよ、食べよ」
テーブルに並ぶ手料理。今までの女はこんなことはしてくれなかった。家庭的で献身的な美步といるのは心地良い。自分と同じ高卒ということもどこか安心できた。これまでの女で、けんかのときに学歴をあげつらうやつがいて、はたいてやったことがある。
食事が済み、タバコを吸いながらテレビを観ていると、部屋の隅に缶が転がっているのに気がついた。拾い上げてみると、コーヒーの空き缶だ。机から転がり落ちてそのままだっただろうか。康司は特に気にせずゴミ箱に捨てた。
翌日、線路前の道を通りかかった。相変わらず畑にはゴミが投げ入れられている。ほら、俺だけじゃねえ。康司は口うるさいおやじのことを思い出して腹が立ってきた。吸っていたタバコを指で弾いて畑に投げ捨てた。
帰宅して、テレビをつけると部屋の隅にタバコの吸い殻が落ちているのに気がついた。まだ火がついたままだ。
「おい美步、お前タバコこんなところに落として危ねえじゃん」
拾い上げると畳が焦げていた。タバコは自分の吸っている銘柄だった。
「なによー、私最近タバコやめてるわよ」
そう言ってキッチンから顔を出した美步は安っぽい赤い口紅をつけていた。フィルターに口紅はついていない。
無意識に自分が落としたのだろうか、康司は怪訝な顔をしてタバコの吸い殻を灰皿に押しつけた。
翌日、帰宅すると美步が畳を拭きながらぶつぶつ文句を言っている。康司がのぞき込むと、畳の上にファーストフード店のテイクアウトの飲み物がこぼれていた。飲みかけのコーラと氷がぶちまけられて畳をぬらしている。
「なんだよこれ・・・」
康司がつぶやく。
「康司、こういうのちゃんと捨ててよね。そのままにしてるから机から落ちてこぼれたんじゃないの?」
美步の苦言に応えず、康司は今日のことを思い出した。仕事の帰りに冷えた炭酸が飲みたくなって、途中のファーストフード店で持ち帰りでコーラを買った。サービス期間でLサイズがMサイズと同じ料金だったので、Lサイズを選んだ。
飲みながら歩いていたが、Lサイズは量が多く味にも飽きてきて、踏み切り前のいつもの畑にそのまま捨てたのだった。
「まさか、あのおやじ」
そう、先日から空き缶、タバコ、そしてジュース。あの畑に捨てたものがこの部屋に捨てられているのではないか。あのおやじが拾ってわざわざ投げ込んだのだろう。どうやってこのアパートを突き止めたのか、ここは踏み切りから徒歩10分ほどのアパートだ。康司を尾行しようと思えばできなくはないだろう。
康司は瞬間で頭に血が上った。
「あの野郎」
恐ろしい剣幕で立ち上がった康司を見て、美歩は驚いた。
「ちょっと、どこ行くのよ?」
康司はアパートを出て走り出した。踏み切りを渡って畑の前に来た。おやじが畑でゴミを拾っている。そのゴミを捨てた人間一人一人に届けようというのか、康司は込み上げる怒りで顔をゆがめた。
道路から畑へ降り、そばにあった角材を手にした。夕闇の中、道路に人通りがないことを確認し、おやじの背後から力いっぱい振りかぶった。
遮断機の音が遠く鳴り響いていた。
数日後、畑はポイ捨てによりひどいゴミ溜めになっていた。おやじが拾わないとこんなに捨てられるもんなのか、いい気味だ。康司は口の端を釣り上げて笑った。
「ただいま」
アパートに帰ると、美歩がトイレから青白い顔をして出てきた。
「大丈夫か?」
「うん…」
水を飲ませて落ち着かせる。背中をさすってやると美歩の顔にうっすら血の気が戻ってきた。
「どした、気分悪いのか?」
「うん、できちゃったみたい」
「え…?」
「赤ちゃん」
康司は頭が真っ白になった。
「検査して、病院にも行ったの。」
「なんだって、勝手にお前」
「勝手て何よ!?喜んでくれると思ったのに!」
美歩は涙目で叫んだ。康司は結婚なんて考えていなかった。家事をしてくれて、体の相性も悪くない、一緒にて苦ではない女だった。しかし、あまりにも急すぎる。
目の前で半狂乱になる美歩を見て、康司は嫌悪感を覚えた。今まで見せたことのない、感情を爆発させて喚き散らす姿にこの先の未来が暗いものに思えた。
「まだ間に合うだろ」
「何がよ…」
「堕ろせよ」
その言葉に美歩は一瞬息をするのも忘れ、康司を血走った目で凝視した。そして康司の胸をドンドンと両手で殴り始めた。
「あなたの子なのよ!何言ってるの?ねえ、ねえ!私産むわよ!」
鼻水を流しながら縋り付かれて、康司は美歩を乱暴に払いのけた。容赦ない男の力で吹き飛ばされた美歩は机の角で激しく頭をぶつけ、そのまま動かなくなった。
「お、おい美歩、美歩!?」
康司は慌てて美歩の体を抱き起す。ぐったりと糸の切れた人形のように力なくガクンと首が垂れた。額から血が流れている。呼吸はない。顔からだんだん血の気が引いていく。
康司はまだ生温かいその体が気味悪くなって、床に放り出した。
「なんてことをしてしまったんだ俺は…」
康司は頭を抱えてむせび泣いた。ひとしきり泣いて、思い立った。刑務所には行きたくない。事故だといっても妊娠している女を死なせたとなれば、どうやっても疑われるだろう。
康司は美歩の体を毛布でくるみ、ロープを巻いた。職場から軽トラを借りてきて、やたら重く感じる美歩の体を荷台に転がした。ブルーシートで荷台を覆い、車を飛ばした。
山奥の県境について、毛布にくるんだ美歩をかついで雑木林の中に入っていく。スコップを土に突き立て、ただ無心で掘った。野良犬に掘り返されてはたまらない。額から流れる汗も拭わず、泥にまみれて康司はただ穴を掘り進めた。
完成した穴へ美歩の体を投げ込む。
「お前が言うこときかないから」
悪いんだぞ、そう言い聞かせて康司は念入りに穴をふさいだ。
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