死を知らない宇宙人と猫を弔った話

わたしはキーボードを無心で叩いていた。脇汗が伝う。既に二日過ぎた締め切り。ほんとうの締め切りは週明けだ。なんとしてでも間に合わせなければならなかった。でなければお前の枠はもう消すぞと編集に脅されていたのだ。


引き戸の開く音がして、後ろから声がかかった。

「これ、猫だろ」

「あ?……おいそれどっから持ってきてん」


振り返ると、宇宙人は猫を持っている。猫は尻尾を握られている。狩られた獣のように揺れている。完全に死んでいた。何かがはみ出て揺れている。宇宙人の顔はギリシア彫刻のように無表情だった。気づくと、わっと蝉の声が聞こえてきた。


宇宙人の姿は現在の阿部寛である。宇宙人には数百ほどのジェンダーがあり、それらは流動的であったり何らかのサイクルがあったりするらしい。色々と教えてもらったが、いまだに理解できていない。


地球で言う「男性」のジェンダーがこのくらいの時期にはまあまだ近いということで、阿部寛の姿になった。じぶんは阿部寛の演じる『TRICK』の上田がたいへん気にいった、とウエダ(以下「ウエダ」は阿部寛そっくりの宇宙人)は言っている。


「これ、猫だろ?」

「ああ……そら猫や。どっから拾ってきてん」

「道路に横たわっていた。だが、猫にしてはあまりに大人しい。なぜだ?」

「轢かれて死んどるからや」

「死んどる……?」

「死や。動かんやろ。生命が終わったんや」


しばらく猫を持ったまま、ウエダは途方に暮れたような顔をしていた。そのあいだにも、猫の体内から何らかのものがカーペットにぼとぼとと零れ落ちていく。


「保健所電話しとくから。庭においとけ。あと、手洗って拭くん手伝え」


俯いたまま猫を持ってウエダは立ち去った。


「おれにとって死は休符のようなものだ」

ウエダは土仕事で汚れた手を眺めて言う。「なぜなら死の後と前とで何かが変わるものではないからだ」


わたしはウエダの言葉を聞きながら汚れた手を拭いた。

「死によって失われるかにみえるものは、音楽の流れのなかで失われるものと同じ。何も失われてない」

「ぼくにはまだ分からんが、けど、音楽やってその曲自体が中断されてもうたら、死に近いはずやろ。死はひとつのパートの終わりやなく、曲そのものを続けられなくなることやと思うんやけど」


ウエダは渡されたふきんを手にして、汚れた手を見ていた。


締め切りが間に合うとウエダは消えた。わたしはウエダを覚えており、ウエダの作った猫の墓は確かにある。だが、ウエダはいない。蝉の声は途切れがちになってきた。


ウエダは生きているのだろうか。わたしは、曲の続きを何となく待ち望みながら、パソコンから漏れ出る次の締め切りを伝える編集者の声を聞いていた。



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宇宙的ていねいな暮らし 難波優輝 @deinotaton17

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