第56話-④ 首相代理・柳井義久
六月一〇日一二時〇四分
迎賓館
執務室
「内国公安局東部支局員は現時刻を以て、自治共和国内務省の支援任務を終了します」
逮捕者リストは第五次までで一五九五名を数え、すでに一二一名は東部軍管区首都星ロージントンの内国公安局ロージントン支局に送致されている。
保釈された一二四四名については、治安維持法に基づき、五年の間、二ヶ月ごとに最寄りの警察署に出頭し、市民IDの更新および聴取を行うこととされており、惑星から出る際も事前に警察へ届け出て、審査を受けることになる。
また、逮捕者リストから二三〇名は"事故死"とされており、書類送検のみが行われ、今後の治安維持については自治共和国内務省が責任を持つことになる。
「ご苦労だった」
柳井の疑わしげな視線を受け、マクファーレンは本当に困った、というように肩を落としていた。
「閣下の内務省への不安や不満は重々承知しております。しかし、少なくとも我々東部支局は、私心からこういったことをしているわけではない、ということはご理解いただきたいのですが」
二三〇名のうち、車両事故で亡くなったのが二六名。首つり、拳銃、服毒などで自殺とされたのが三四名。五四名は構成員同士の内紛によるものとされ、一一六名は行方不明とされている。
これで不安に思うなは無理がある、と柳井は顔を顰めていた。
「分かっている。FPUの浸透なども多い東部の治安が、比較的平穏なのは君たちのおかげだ。私が個人的に内務省を信用していないからといって、帝国宰相として君たちを信用していないわけではない、ということも理解してもらえるとありがたいが」
柳井も自身が帝国皇帝の重臣として、為政者側の人間であり、治安維持の大任を担う者に対して敬意を払わないわけではない、と念を押した。
「無論です。我々は閣下と共に、陛下の御世の安定を望む者。今後とも何卒ご理解賜れればと思います」
「そうであれば、迎賓館に盗聴器を仕掛けていくのはやめてくれないか?」
柳井は苦笑しながら日々の虫取りの成果である数個の盗聴器を、マクファーレンに差し出した。
「閣下も目が早いことですな。私も焼きが回ったのかもしれませんね」
マクファーレンは微笑みを浮かべ、盗聴器を受け取って背広のポケットへ無造作に放り込んだ。ついでにソファのクッションの隙間からも、何かを抜き取っていたのを、柳井は見逃さなかった。
「それでは、これにて」
「ご苦労だった。元帥には、今後もよろしくと伝えてくれ」
「ははっ」
柳井は肩の荷が下りた思いで溜息を吐いた。
「ようやく帰ってくれましたね」
清々した、という表情のジェラフスカヤだったが、柳井は違う感覚も持っていた。
「私自身、子供っぽいことをしている自覚はあるんだ。彼らが帝国の暗部を引き受けてくれているからこそ、皇帝陛下や私は、自らを清廉潔白と言い張り仕事が出来ている。あまり悪し様に言うのも考え物だな」
「……失礼しました。考えが足りていませんでした」
「まあ、気持ちのいい連中でないのは確かだな。何かあれば腹を切るのは首相や私になるのだからな」
それはそれとして、柳井の内務省不信はそうそう軽いものでもないことを、ジェラフスカヤは理解した。
「彼らに危うく殺され掛けた私は、そのくらいの不快感を抱く権利があると思うのだが?」
「答えにくい冗談ですね」
「冗談ではないさ」
口調こそ砕けていたが、表情は真顔そのものだったので、ジェラフスカヤは苦笑して見つめていた。
一六時一二分
政府合同庁舎ビル
国土省オフィス
「閣下! ご足労頂かずとも、こちらから出向きましたのに」
カミーユ・ロベール開拓監理官は普段はイステール自治共和国で、ルブルトン皇統子爵と共に領邦建設計画を進めているが、柳井が首相代理としてバーウィッチ自治共和国再建計画に携わってからは、増援としてバーウィッチに来ている。
彼の主な役目は、自治共和国内産業政策の見直しだった。
「忙しい君を呼び出すほど無神経じゃないさ。調子はどうだ?」
「バーウィッチの状況は良くありませんが、改善策がないわけではありません。鉱山資源の輸出だけでなく、精錬からそれを使った加工業の増加で随分経済状況は改善するかと」
「しかし、新たに会社を立ち上げるわけにはいくまい?」
バーウィッチ自治共和国に限らず、惑星系には大小様々な小惑星が浮かんでいる。太陽系と完全に同じではなく、個々の星系で傾向は違うとは言え、有望な資源小惑星は探せば無数にある。
ただし、それは資源を掘り出し精錬して輸出してからの話だった。これについてはロベールに妙案があった。
「既存の工場を呼び込むのなら、手間はさほどではありません。オービタル・マイニング・エンタープライズをご存じですか?」
ロベールが表示させた企業情報を見て、柳井は見覚えのある企業名だと記憶を手繰った。
「確か、リパブリック級改造の工場船で帝国領内を移動しつつ操業している会社だったな。鉱山開発から精錬、製品レベルまでの加工を請け負うとか」
リパブリック級軌道都市船は、帝国の植民計画で使われる超大型船で、基本的には植民惑星の軌道上に置かれてそのまま軌道都市として使用される。
オービタル・マイニング・エンタープライズ社は業績不振の造船会社を買収して自社造船部門を構築。老朽化したリパブリック級を安値で買い取って工場船に改造しているから、基本的に鉱山惑星さえあればどこでも操業できる利点があった。自社改造なので経費が削減できているのが他社と差別化され、業績を上げ続けている秘訣だ。
「ここなら有望な資源があると分かれば、放っておいても来るでしょう。自治共和国の資源局には、すでに調査を命じてあります」
「なるほど。それはいい案だ……しかし、だとしたら何故今までやってなかったんだ?」
「長年の慣習のようですね。地元企業との癒着もあるのでは……」
「硬直化した産業構造を切り替えるいいチャンスだ。徹底的にしばいてやってくれ」
「はっ! 徹底的にやります!」
一六時二一分
迎賓館
執務室
『それでは閣下。我々も任地へ戻ります』
「リカルド准将、松本大佐、黄中佐、本当に世話になった」
叛乱鎮圧のための増援部隊として派遣されていたリカルド准将らの部隊も、ようやくバーウィッチ自治共和国防衛支援任務から離れることとなった。
「また君たちの力を借りねばならぬ時が来るかもしれない。そのときは頼む」
『はっ! いつでも馳せ参じましょう!』
通信を終えた後、柳井は隣に控えていたハーゼンバインに顔を向けた。
「後任の防衛軍司令官は、今日決まるのだったな?」
「はい。 オットー・スヴィターク防衛軍少将を防衛軍中将に昇進させることになっています。こちらが彼の人事考課です。そろそろ出頭する時間ですが」
オットー・スヴィターク中将は五三歳。防衛軍艦隊の参謀長だった。だった、というのは、蜂起に際して法的正当性を訴え艦隊司令官に解任され、旗艦内部に拘禁されていたところを、帝国軍により解放されていた。
帝国の国防大学校の成績は中の上、防衛軍志願で少尉からコツコツと昇進を重ねていたところを見る限り、生真面目な模範的軍人と言えた。
『閣下、防衛軍のオットー・スヴィターク中将が出頭いたしました』
「通してくれ」
執務室に通されたスヴィターク中将は、やや緊張した面持ちで柳井に敬礼を向けた。
「オットー・スヴィターク中将であります。本日付で防衛軍司令長官を拝命いたしました」
「二階級昇進させて大将に、という話もあったのだが、さすがに叛乱を起こした自治共和国の防衛軍でその人事は出来ないと、東部軍管区から断られてしまってな」
「いえ、私の年次と実績であれば、過ぎたる栄誉です。防衛軍の再構築について、急ぎ進めます」
「頼む」
このあと、スヴィターク中将と柳井は今後の防衛計画についてや、帝国軍駐留問題についての議論を一時間ほど交わした。
七月一日八時四八分
迎賓館
談話室
『選挙戦も終盤。明日日曜日には投開票となります。叛乱後初の選挙という異例の状況下。また自由連盟の政治活動停止に伴う政界再編を伴う混乱の中行われる選挙選となりますが――』
「混乱はありましたが、無事選挙が執り行われそうでよかったですね」
バヤールが安堵と疲労を合わせて、溜息と共に吐きだした。土曜日ということもあり、柳井達はこの日を休暇に充てていた。
近所のコンビニエンスストアU&Vで買ってきたパンやら何やらを広げた談話室では、柳井と宰相付き侍従、ロベールらが朝食がてらテレビを見て、柳井はここまでの苦労を思い返していた。
約二ヶ月に及ぶ自治共和国再建計画も終盤に差し掛かり、あとは新政権の誕生後、引き継ぎを行えば、柳井達臨時政府の役目も終わる。
「自由連盟の政治活動停止は違法だと騒ぎ、市民連合の残党が爆弾テロ未遂……」
「内務省が早めの対処をしたので沈静化も早かったですね」
ジェラフスカヤとハーゼンバインの言葉に柳井も頷く。
ここに来て、柳井は内務省の動きが見違えるようになったことを認めざるを得なかった。自治共和国内務省はここ数年、自由連盟の介入により独立性を失っており、しかも市民連合の犯罪などは内務大臣からの圧力で揉み消し続けていた。
マクファーレンはこれらの行為に関与した人員を根こそぎ逮捕者リストに放り込み、内務省の人事を一新した。これによりようやく真っ当な治安維持活動も行えるようになっただけでなく、予想される事態に対してマクファーレンが対処方法をあらかじめ指示していたこともあり、種々の事件は短期間で解決されていた。
「マクファーレンのお手柄だな。これは」
陰気な支局長の顔を思い出しつつ、柳井はグライフ元帥にこの功績についての報告書を書かなければ、と思いつつ、さすがにそれは月曜日に行えばいいと、インスタントコーヒーが注がれたコーヒーカップを取り上げた。
八月一二日一〇時三二分
首相官邸
閣議室
地下シェルターでの前内務大臣らの自爆により破壊されていた首相官邸は、復旧工事を終えてようやく使えるようになっていた。七月二日に行われた選挙のあと、下院議会で選出された新たな首相、バーウィッチ自由党のウィルソン総裁へ、柳井から首相職の引き継ぎ式が執り行われていた。
「それでは、現時刻を以て首相代行から首相に、権限を委譲するものとします」
式の進行を務める宇佐美事務局長の言葉と共に、柳井とウィルソン首相は握手を交わした。詰めかけた取材陣や、立ち会っていた官僚達から拍手が送られる。
「お疲れさまでした、閣下。バーウィッチ自治共和国と帝国との友好関係を回復していくことをお約束いたします」
「この不安定な情勢下、首相の責任は重いものと存じます。帝国の良き友邦としてバーウィッチ自治共和国が発展していくことをお祈りすると共に、その支援を、帝国中央政府共々全力で取り組んでいきます」
滞りなく首相への引き継ぎ式が終わった後、柳井以下宰相府の面々と、五月から当地の治安維持を支援していた近衛師団と近衛艦隊は、バーウィッチを出立した。
一五時一二分
インペラトール・メリディアンⅡ
士官食堂
「今回の出張は、今までで一番長期間だったのでは?」
「ああ。こんなつもりはなかったんだが……」
インペラトール・メリディアンⅡに乗り込んだ際の恒例となっている艦長のブロックマイヤー大佐とのささやかな飲み会で、柳井はややうんざりしたように言って、ショットグラスの中身を一息に飲み干した。
「辺境部の政情不安に毎回こんなことをしていたら、私はインペラトール・メリディアンⅡに住所を移さねばならない」
「貴賓室の前に閣下の家の表札を移しておきましょうか」
艦長のジョークに、柳井は苦笑して首を振った。
「実際にそうなりそうだから止めてくれ。言霊というやつだ」
「コトダマ……ああ、確か閣下の生まれ故郷のあたりで、言葉に宿る霊力とかいうやつですか。閣下も案外、オカルトを信じるのですね」
「私も船乗りの端くれでね。君たちもそうだろう?」
柳井は士官食堂の壁に設けられた帝国国教会の簡易祭壇を指さした。
「軍艦ですからね。航行中のトラブル以外にも、戦闘での撃沈も考えれば、それを回避できるならデコイでも艦砲でも、歴代皇帝でもなんでも使うのが船乗りです」
そう言いつつ、艦長は柳井のグラスにウイスキーを注いだ。
「しかし、閣下のご自宅は未だに宮殿内でしょう? よほど住み心地がよろしいので?」
「……つい先送りにしてしまうんだ。私はワンルームあれば事足りてしまうから」
閣下らしいですな、と微笑んで、艦長もショットグラスを飲み干した。
八月一四日二三時三〇分
ライヒェンバッハ宮殿
樫の間
「お帰り義久。ご苦労様」
インペラトール・メリディアンⅡ以下近衛艦隊分遣隊が帝都に着いたのは二三時も過ぎてから。宇佐美やジェラフスカヤらと別れ、柳井は久々の我が家であるライヒェンバッハ宮殿に戻ってきた。
それを出迎えたのは、他でもない皇帝だった。
「はっ……不手際により時間を掛けてしまいました。お許しを」
柳井は深々と頭を下げる。
「上手く収めてくれたじゃない。遅かれ早かれ爆発するものだったと聞いてるわ」
「考え無しの叛乱など、やめてほしいものですね」
「考えあっての叛乱はもっとイヤよ。鎮圧の手間ばかり掛かって仕方ないのだから。」
それもそうだ、と柳井は笑う。
「明日一日くらいはゆっくり休んでちょうだい。宰相府のスタッフにも休暇を出してやりなさいな。それじゃ、話は明日ゆっくりと聞かせてもらうわ」
「そうさせていただきます」
二三時三五分
海棠の間
約三ヶ月ぶりとなる海棠の間の中は、五月に出発したときと同様に綺麗に片付けられていた。
「……」
さすがに疲労を感じた柳井は、ジャケットを脱ぎ捨てネクタイを緩めて、そのまま寝室のベッドに倒れ込む。
「……」
ようやく仕事が片付いたという安堵と心労が続いていた柳井は、そのまま翌日朝八時まで起きることはなかった。
皇帝陛下の懐刀――帝国宰相・柳井義久 山﨑 孝明 @tsp765601
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