6月の雨と雪

怪人X

6月の雨と雪

 文献によると、ずっと昔は6月に〝雨〟というものが降っていたらしい。

 西暦2369年、6月——……現在。

 窓の外でしんしんと降り積もっているものは、灰色の雪だ。




「アメ、またここにいたのか」

 僕の名前を呼んだのは、聞き慣れた声。幼なじみであり、友人でもある奴の声だ。

 日本語を話しているが母方の祖母に異国の血が混じっていて、金色の髪に青い目というとても日本人には見えない容姿をしている。

 生まれも育ちも日本だから、もちろん日本語は流暢に話すし、逆に英語は普段使わないから少し話しにくそうにする。名前も見目にそぐわず、コタローという日本っぽい名前だ。

「暇だからね、雪の降る日は」

「まあ、そうだなあ」

 コタローは僕の向かい側に座る。

 ここは図書室だ。けれどみんなほとんど本は読まないから、滅多にここに人は来ない。貸し借りもすべて機械で行えるから、司書もいない。

 この建物は一階が食堂や商店、二階が居住区、三階の東側が居住区で西側が図書室になっている。あとは地下に少しの保管庫や野菜などの栽培場、家畜がいるくらい。

 窓の外を見ると、灰色の雪に埋もれていく町が見える。

 この雪は、有毒だ。

 触れてすぐにどうにかなるものではないけれど、長時間触れたり吸い込んだりすると有毒な成分が蓄積されていって、やがて死ぬ。じわじわと死に至る、遅効性の毒だ。

 だから雪の日は基本的には誰も外出しないし、雪が解けるまでこうして家にこもる。そのためにそれぞれの建物である程度こもっていられるように、様々な機能があったり、備蓄している。


「予報だと、雪は明後日までは続くらしいぞ」

 コタローが重い溜め息を吐いてぼやく。

「梅雨の季節だね」

「ツユなー。ほんと嫌になる」

 コタローは静と動なら、動を好むタイプだ。僕は逆だから大して苦ではない。むしろ学校も休みになって調べごとも進むから、毒のことさえなければあと数週間でもずっと雪でいいくらいだ。

「コタロー、300年くらい前は梅雨の時期は雪じゃなくて、雨が降っていたらしいよ」

「アメ?」

「そう、雨」

「お前と同じ名前?」

「うん。梅雨って、雨って漢字が入っているから気になって調べていたんだ」

「へー。雨の日も外に出たらダメなのか?」

「いや、有毒ではなかったみたいだね」

 僕は文献に載っていた、雨の日を描いたという絵をコタローに見せる。

 雪のような固まったものではなく、水滴が空から降ってくる。色とりどりのアジサイという花が咲いていて、外にいる子供は楽しそうに笑っている。そんな絵だった。

「いいな」

 どうして雨が雪になってしまったのかまでは、この文献には書いていなかった。

 今も降るものが、雨のままだったら良かったのに。




 人口は今、とても少ない。

 食糧にも限りがある。

 かつて地球に豊富にあったという資源は今はもうほとんどなく、その大切な資源を費やして計画された他の惑星への移住は、地球とよく似た惑星を発見はしたけれど、先んじて移住した人間も連れて行った動物たちも原因不明のまま次々と倒れて死んでいき、誰一人として十年も住めなかった。

 別の惑星を探そうと言い出した人もいたけれど、ごく少数だったと聞いている。この移住計画が失敗したのだと世界が認めた頃にはもう、資源の多くは失われていたのだから。

 ボロボロの地球とともに、今地球にいる生命は、弱いものからゆっくりと死んでいる。


〝この灰色の雪は、地球の悲鳴だ〟

 どこかの国のとても博識だった学者の最期の言葉だ。

 教科書に載るほど有名なその言葉には、どれほどの悔恨が内に秘められていたのだろう。


「こうしてただ降っているのを見ているぶんには、雪は綺麗だけどね」

 しんしんと。それは命を奪うものだけれど。

「……アメ。隣の建物の食糧、今日あたりで尽きるって噂がある」

「そうなんだね。でも、ここにも分けられるくらいにはないんじゃない?」

「ああ。さっき父さんに聞いたけど、無理そうだって。この雪が今回はどのくらい続くのかもわからないし。本当に予報どおり明後日降りやめばいいけど、梅雨の時期って……急に雪が降ることもあるし」

 どの建物も、備蓄している食糧は心許ない。

 土はどこも栄養不足で、中々食物は育たない。毒を含む雪が降る外では当然、食べられるものは育たないから、それぞれの建物の中で栽培しているけれど、太陽の光もなく、水は汚れ、土も枯れている状態では、とても難しい。

 この建物に備蓄してある食糧も、多くはない。

 雪が明け、食べられる動物を狩ろうにも、この雪でまた多くの動物が死に絶えただろう。

 どう明るく見積もっても、こんな生活ではあと数年しか保たないだろう。多くのところはそうだ。たくさんお金を持っていた人たちは大きな建物にたっぷりの備蓄があるからまだ大丈夫だろうけれど、大多数はそうではない。




「アメは、これからハナのところに行くのか?」

 コタローの問い掛けに頷く。

「そっか」

 努めて明るくしようとしていることはわかっても、どうにも、もううまく笑顔が作れないな。




 一冊、本を借りた。

 図書室を出て東側にある、居住区の一角へ向かう。


「入るよ、ハナ」

 ノックをして呼び掛けても返事はないけれど、構わずに開ける。

 応える人は誰もいないからだ。ここはハナとハナの両親が暮らす家だったけれど、春先に外に出ていた時に雪崩に巻き込まれてしまったから。ハナの両親は亡くなり、ハナは助かったけれど、雪の毒を吸い過ぎてまだ意識が戻らない。

 痩せたな、と思う。

 幼い頃からずっと一緒にいたけれど、ハナはいつも快活で、にこにこしている女の子だった。

 こんな風に青白い色をして、骨と皮になって、死んでいるように冷たくなるなんて、思いもしなかった。

 どんなに点滴で栄養を入れても、体がかたくならないように腕や足を動かしても、少しずつ少しずつ弱っていく。

「ハナ。今日は6月の雨の話をするね」

 美しいものの話をしても、面白い物語を聞かせても、ハナはただ時間が止まったように、こんこんと眠り続ける。

 現実はこんなにも灰色だけれど、夢の中はもしかしたら雨がやんだあとに架かるという虹のように、綺麗なままかもしれない。


 点滴の備蓄も、もうあまりない。次に交換したその点滴が、ハナのために使える最後のひとつだと、そう医師には言われた。

「ねえ、ハナ。明後日雪がやんだら、月を見に行こうか」


 6月にもう雨は降らない。

 人類は失敗した。もう取り戻せないほどの失敗を。

 窓の外は変わらず、しんしんと降り積もっていく灰色の雪。厚い雲の向こうに、太陽も月も覆い隠されたままでいる。

 せめてこのささやかな希望くらいは、叶ってほしいと思う。

 どうかこの幽かな呼吸が止まる前に。


































 ——知ってる?アメ。昔の人たちって、好きって言葉を色んな形で表現していたのよ!ちなみに6月ってジューンなんとかって言って特別みたいで。素敵よね。告白されるなら、私は月のやつがいいなあ。詩的で、すごく綺麗なの。


 なんていうの?それ。


 ——それはね、……あっごめんもう出掛ける時間だ!帰ってきたら、教えてあげるね!

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