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すべて読み終わったあとで、わたしのこころに生じたものは、怒りだった。
二枚目以降の紙片には、わたしと秋人が交わした架空の会話や独白が書き記されていた。もっとも、子どものころの話については、わたしがヨウコに話した内容にもとづいてはいた。もちろん細部はちがうにしても、おおきく改変されるということはなかった。
問題は、事件以降の記述についてだ。
そこから物語は終始、秋人の視点から語られる。秋人が思ったこと、感じたこと、わたしについてなにを考えているのか、なにを望んでいるのか。そういった物ごとが、文章のテーマとなっていく。
【そんなこと、あり得るはずがないのに】
わたしはこころが切り刻まれるような気がした。ヨウコはわたしと、秋人を、勝手にもてあそんでいる。許可もなく勝手に、考えや思いを語ろうとしている。それが純粋に、許せなかった。腹立たしかった。
【秋人がそんなこと考えているはずがないのに】
ヨウコの物語のなかで秋人は、わたしのことをとても心配していた。わたしが無意味な罪の意識にさいなまれて、身動きがとれないでいることを、悲しんでいた。なんとか力になりたいと秋人は考える。それができない自分のことを、ひどくもどかしく思っている。
【そんなはずがないとわたしは思う】。【秋人はわたしを恨んでいるにきまっているとわたしは思う】。そうじゃないと考えることなんて、ただの都合のいい解釈だ。残されたものの、自分勝手な思いこみだ。ヨウコはそれを手助けして、いいことをしたつもりになっている偽善者だ。わたしはそれを、許せない。
それでもわたしはその手紙を捨てなかった。
それどころか、わたしはたびたびその手紙を読み直した。
はじめに感じていた怒りは、読み直すたびにすこしずつ、摩滅されていった。そこに書かれている物ごとを、秋人の視点を、わたしはすこしずつ受けいれていくようだった。いけない、とわたしは思う。この物語に甘えちゃいけないとわたしは思う。でもいつしか、文章のなかの秋人の言葉が、秋人の声で再生されるようになる。秋人の考えが、思いが、秋人の声でなぞられるようになる。
そのときわたしは、もうずっと秋人の声を忘れていたことに気づいたのだ。
わたしはもうずっと、秋人の偽りの姿しか見つめていなかったことに、気づいたのだ。
【そしてノックの音が聞こえる】。わたしは立ちあがる。夜は更けて、窓のむこうには罪そのもののように無垢な大粒の雪が、音もなく舞っている。
❅ ❅
ひさしぶり。秋人ははにかむようにわらい、わたしを見あげる。
【ひさしぶり、とわたしはちいさな声でそれにこたえる】
もっと早く来られればよかった、と秋人は表情を曇らせる。おずおずと、言葉をつづける。そのせいで、美冬は、苦しみつづけることになった。
【アキにくらべれば、わたしの苦しみなんて、ぜんぜんたいしたことじゃない。わたしはどこか呆けたようにそうつぶやく】
でも、苦しんでいることにはちがいない、と秋人はいう。おれはそれは困るんだ。
【部屋のなかにまねこうとするわたしの動作に、秋人は首をふる】
ここでいい、と秋人はいう。漆黒の闇夜を背景に、大粒の雪が重力を感じさせるスピードでせわしげに地面を目指す。雪の粒は、秋人のからだを遠慮なく通過する。十年前とすこしもかわらない、子どものままの秋人のからだを。
【わたしはちいさくうなずく。そしてくちびるを噛む。雪が肌に触れる冷たさが、わたしをさいなむようでどこか心地よい】
すぐにいくから、と慌てたように秋人はいう。ずっとこんなところに立ってちゃ、風邪をひくだろう。
【風邪なんて、とわたしはつぶやく】
そんな言葉には取り合わないで、秋人はつづける。わかってると思うけど、きょうはお別れをいいに来たんだ。息を吸いこんで、意を決したように口を開く。おれはこの町を出るよ。いままでありがとう。それをいいたかったんだ。
【でも、わたしのせいで秋人は、とわたしはいう。わたしのうそのせいで秋人は】
おれはいつもつらかったんだ、と秋人はいう。あのころ毎日毎日死にたくなるようなことばかりだった。苦しかった。でもそんなとき、美冬のつくり話はおれを楽しませてくれたんだ。おれを勇気づけてくれたんだ。だからおれは美冬のつくり話を信じた。信じて、楽しんだんだよ。
【わたしは首をふる。そしてつぶやく。【うそつき】】
秋人はわらう。そして尋ねる。おれはこれから自分の星に帰るわけだけど、その星は、どこにあるんだろう?
【わからないよ、とわたしはつぶやく。探そうにも、そらはもう、見えないから】
もうそろそろ、雪がやんでもいいころだよ、と秋人はいう。もうそろそろ、ほんものの星をながめる頃合いだ。
【わかった、探すよ、とわたしは約束する。秋人の星を、わたしはきっと見つけだす】
ありがとうと秋人はいう。すこしだけ名残惜しそうな表情をして、でもそれを明るい顔につくり替えて、秋人は最後の言葉をかける。ばいばい。美冬と会えて、おれは楽しかったよ。
【ばいばい、とわたしもいう。アキのこと、わたしはずっと、忘れないよ】
まばたきをすると秋人は消えた。どこまでもつづく闇を背景に、地面の雪だけがほのかな明かりを返していた。そして雪はやんでいた。十年降りつづけた雪は、この瞬間にあっけなく、降りつづけるのをやめてしまったようだった。
❅ ❅
十年ぶりの陽ざしに誰もが驚きの声をあげていた。
世界は唐突に輝きはじめた。真っ白な雪の肌は陽の光をあびて無垢さを強調し、屋根にぶらさがるつららはギラギラと光を反射させていた。昼が近づいてもいっこうに雲は戻らず、青空のもと突き刺すような太陽の光は雪を溶く熱となってこの町に降りそそぎつづけていた。
わたしはいつものように塔にのぼり、そらを見あげる。日中のそらが青いということを、ほとんど忘れかけていた。なんだかすこしうす気味悪いような気さえした。はやく夜になればいいのにと、それだけが待ち遠しかった。
秋人はもう旅立ったのだろう。秋人の姿はもう見えなかった。自分の星に戻れたのだろうか。自分の星を、見つけられたのだろうか。いまはまだ、わからない。
わたしはヨウコの手紙を取りだして、読みはじめる。そこにえがかれた秋人の姿に、秋人の声に、思いに、考えに触れて、こころを動かす。わたしは静かに泣きはじめる。頬を伝う涙が、すこしだけあたたかい。
物語をつくろう、とわたしは思いつく。誰かを楽しませるためのうそを、ひさしぶりについてみようと、わたしは思った。思うことができた。それを秋人に聞かせられないのが、残念ではあるけれど。
【おれは聞いてるよと秋人はいった。おれはいつでも、美冬のうそを楽しみに待っている】
【わたしはうそつきです】。その言葉をわたしはもういちどくり返す。青ぞらのむこう、見えない星を見つめながら、わたしはきょうも、ひとりその言葉をくり返す。
雪を溶く熱【企画参加作品】 あかいかわ @akaikawa
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