送り犬

タカナシ

「送り犬の少年と男」

 男は不安そうに周囲を見渡していた。


「ここって、どこだ?」


 都心より少し離れた、家賃の安い地域に住んでいた男は、気づいたら山深い森の中へと迷い込んでいた。


 山へ入る予定など毛頭なかった男の恰好は、Tシャツにジャージのズボン。なんとかスマホだけはポケットに入っていたが、画面を見るに、圏外の表記がされている。


「一応、都会だと思ってたんだけど、電波が届かないことってあるんだな……」


 再び周囲に視線を配る。

 見えるのは樹木とか細い道しかない。

 男は背後に嫌なものを感じ、ぶるるっと身震いすると、その道を進み始めた。


 背後が気になるのかときおり振り向きながら、速足で移動していると、慣れない山道からか、足を滑らせ転んでしまう。


「痛っつ」


 数年ぶりに派手に転んだ男は、痛みよりも、疲労から、すぐには起き上がれなかった。


「おにいさん。寝てるの? こんなところで寝てたら風邪引くよ」


 まだ大人になりきれていない、高めの少年の声が降り注ぐと、男はバッと顔を上げた。

 そこには、時代錯誤な藤柄の羽織と洋装をまとい、泰然とした雰囲気を漂わせた少年。歳のころは10かそこらに見える。


「なんで、こんなところに子供が?」


「僕、そこんなんだよ。それより、おにいさんが倒れているのが見えたから来たんだけど、大丈夫?」


「あ、ああ、少し休んでいただけだよ。それより、俺の家、○○区なんだけど、どう行けば帰れるかわかるかい?」


「ああっ、そこからね。よく迷う人がいるんだ。口で言うのは難しいから、僕が送っていくよ」


 少年の翡翠色の瞳が怪しく光った気がしたが、男は少年に送ってもらうしか道はなかった。


 男は少年の歩みに合わせて、ゆっくりと歩く。

 しばし、無言の時間が続いたが、不意に少年が口を開いた。


「ねぇ、おにいさん。送り犬って知ってる?」


「送り犬? 初めて聞くな。なんだいそれは?」


「送り犬って言うのは、妖怪なんだけど、山道を歩く人の後ろをついて行って、転んだりして隙があると食べちゃう妖怪なんだ。そこから送り狼って言うのもあるんだよ」


「送り狼って……、キミみたいな子供が使う言葉じゃないな」


 男は内容よりも送り狼が気になり、苦笑いを浮かべる。


「ま、送り狼は置いといて、送り犬はでも、怖いだけの妖怪じゃなくて、正しく対処すると逆に守ってくれる良い妖怪でもあるんだよ」


「正しく対処?」


「うん。なにか食べ物をごちそうしたり、きちんと礼を尽くしたりだね」


「ふ~ん。それ、正しい対処なのか? 普通のことじゃないのか?」


 男がそう述べると、少年は、大人びた笑みを見せると、誰にも聞こえないような声で、「それが普通って言える人は少ないんだよ」と呟いた。


「あっ! 明かりが見えてきたから、〇〇区まではあと少しだよ」


 少年の言葉通り、光が差す道まで出ると、そこは男の見知った〇〇区の道だった。


「おおっ! 帰ってこれた。ありがとう!」


「ところで、おにいさん。話の続きなんだけど」


「話? 送り犬の?」


「うん。そう! 実は僕ね。送り犬なんだワン!」


 少年は片手で中指と薬指を親指に合わせ、キツネもとい、犬を表す。


「ぷっ! ハハッ! そういうことね。いいよ。今手持ちはあんまりないけど、コンビニで何か買ってやるよ。何がいい?」


「じゃあ、ホットケーキ!!」


「犬なのに?」


「むぅ。猫でどら焼き好きなのがいるんだから、犬でホットケーキ好きでもいいでしょ」


 男はコンビニで少し高めのホットケーキをスマホ決済で買うと、少年に渡した。


「ありがとう。おにいさん! それじゃあ、おにいさんに1つ、アドバイス。この道を絶対右に行ってね。左には決していっちゃダメだよ。いい? 右に行って」


 少年の真剣なまなざしに男は、思わずうなずき、そして少年が見送る中、右へと進んで行った。



 女はきょろきょろと周囲を見渡していた。


「ここは、どこなの?」


 都心から、少し地方へと出向いていた女だったが、いつもは迷うはずのないところで、なぜか迷い、こんな山の中へ来てしまっていた。


 女は、動くのに適したスニーカーを履き、黒のジャージに身を包んでいた。

 荷物は肩掛けカバンを1つ。

 女性が持つにしては実用的なデザインで、多くの物が入りそうである。


 女は、迷いなく、目の前の細い道をぐんぐんと進んで行く。


 そんな、女に、不意に声が掛けられた。


「おねえさん。こんな時間に一人で大丈夫ですか?」


 女は少年を一瞥すると、「ねぇ、さっき、ここを男の人が通らなかった?」と質問する。


「通りましたよ。なんたって僕がこの山を抜けるまで送りましたから。良かったらおねえさんも送りましょうか?」


 女は少年がまだ幼そうだと判断すると、


「私急いでいるの、だから走って案内してくれる?」


 そう条件をつけて、案内を頼んだ。


「いいですよ。僕、こう見えて走るのは得意ですから!」


 少年は女の脚に合わせ小走りに進んでいく。


「ねぇ、おねえさん。送り犬って知ってる?」


「知らないし、興味ないわ」


「じゃあ、送り狼は?」


「うるさいわね。そんなくだらない話をするくらいなら、しっかり案内しなさい」


 つっけんどんな女の対応だが、少年は気を悪くした様子もなく、並走する。


「あっ、あの明かりが〇〇区ですよ!」


 女は息を整えると、大事そうにバッグを抱えた。


「で、男の人はどっちに行ったの?」


「ねぇ、おねえさん。僕はね実は送り犬って妖怪なんだ。送り犬はね、最後に対価を求めるんだよ」


 女は少年が、なにか案内したことの褒美を求めていると察し、舌打ちしながら、バックから財布を取り出し、千円札を押し付ける。


「これでいいでしょ。さっ、早く教えなさい。どっちに行ったの?」


「おねえさん。その包丁を捨ててくれたら教えてもいいよ」


「なんで、そのことを! あっ、この私のカバンを盗み見たのね。なんて卑しい子なのかしら。この包丁は、そう! 彼に料理を振る舞う為よ。なんでそれを捨てなきゃいけないのよ」


「そう、ですか。それは僕の勘違いだったみたいですね。てっきりストーカーってやつかと思ってました。すみません。先ほどの男性は、左へ行きましたよ」


 言うやいなや、女は、左へ駆け出した。


「送り犬は無礼な人には容赦しないワン!」


 少年が指で犬を作る。


「「ワンワンワンッ!!」」


 周囲の犬がいっせいに女目掛け、吠え出し、それに驚いた女は、よろめき、転ぶ。


 ドスッ!


「えっ?」


 女の転んだ先には自身のバッグがあり、たまたま縦になっていた包丁が女の体を突き刺す。


(えっ? なんで、これが私に刺さっているの? これは、あの人を私だけのものにする魔法のアイテムのはずなのに……)


 そこで、女の意識は途絶えた。



 送り犬の少年は、山の中へ帰りながら、ホットケーキを貪る。


「う~ん。良いことをしたあとのホットケーキは格別だな~。これで、あと94人、人助けすれば、呪いが解けて本来の送り犬の姿に戻れるはず! 早くダンディな元の姿に戻りたいな~」


 いつの間にか少年の姿は山の闇へと溶けて消えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

送り犬 タカナシ @takanashi30

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ