三人



 翌日。雨は夜明け前には止んだようで、昨日とは打って変わって清々しい春の朝となった。地面はわずかに濡れているけど、それは些末な問題というやつだろう。


 地元の駅。過疎化が進むこの町の駅は、当然のように無人駅。だからこうして、列車に乗りもしないのに駅に入っても、咎める人は誰もいなかった。

 ディーゼルエンジンの音と共に、遠く、滑るようにその列車が近づいてくる。でも、この駅まではまだ距離がある。

 ホームに、その列車を待っている人影を認めた。傍には大きなトランク。まさに今から旅に出るという出で立ちのそいつに、大きな声を掛けてみる。


「おはよ、秋人」


 そいつ──、つまり秋人は、振り返って少し驚いたような表情を浮かべた。誰も見送りにくるとは思ってなかった。そんな顔をしたまま、秋人は言う。


「……俺、夏月に今日出発だって言ってたか」


「言ってないね。すっかり忘れてたんじゃない?」


「確かに。夏月にメールするの忘れてたな。すまん」


「すまん、じゃないよ。薄情だなぁ。何年の付き合いだと思ってんのさ。まぁそこが秋人らしいと言えば、らしいけどね。あぁそうだ、これ餞別。秋人の好きなミルクティー」


 甘いミルクティーを渡すと、秋人はバツが悪そうに頭を掻いた。いつもの秋人の仕草だけど、視線は周囲に這わせていて、を探しているようだった。


「もしかして、美冬を探してる?」


「来てないのか」


「来て欲しかった?」


「……いや。来られると、どんな顔していいのかわからないからな。夏月だけで、気が楽と言えば楽だ」


「悲しむよ、それ美冬が聞いたら。きっと声は届かないけどさ、美冬は見てると思う。この町にさよならをする秋人を、きっとどこかでね。また涙を流してるんじゃないのかな」


「昨日も泣いてたな、美冬は。まぁ、泣かせたのは俺なんだが」


「それ聞いたよ、美冬の口から直接。しかも今日の午前二時に。おかげでこっちは寝不足だよ。秋人のせいだからね」


「……すまん」


「すまん、じゃないよ。でも最後の夜に美冬に会いに行ったのは、いい決断だったと思うな。あれで完全に、美冬は秋人のこと、吹っ切れたんだと思う。ありがとう、秋人。お礼を言うのは、変かも知れないけどね」


 秋人は何も言わなかった。それは決意の現れなのだろう。

 秋人の気持ちはわからない。でもきっと、最後に美冬に会いに来たということは。心のどこかに、やっぱり美冬がいたのだろう。

 本当は、美冬を選んで欲しかったけど。でもそれは秋人が決めたこと。その選択を、尊重してやるのが幼なじみというものだろう。


 汽笛の音が聞こえた。まもなくホームに列車が入ってくる。こうして秋人と話せるのは、あと少しだけ。


「ねぇ、秋人。これが最後だとは思ってないけどさ。でもこの町で秋人と会えるのは、きっと最後の気がするから。だからひとつだけ、答えてくれない?」


「何を?」


「美冬のこと。恋愛の対象として、一度でも見てた?」


 ややあってから。真っ直ぐな眼差しで、秋人は答える。

 それは決意に満ちた、強い言葉だった。


「美冬は大事な存在だ。でもそれはきっと、兄妹みたいに思ってたからだと思う。俺たち、距離が近すぎたんだ。だから家族みたいなもんだと、俺は本気で思ってたよ」


「……そっか」


「もちろんお前もな、夏月。今までありがとう、本当に感謝している。こんなこと面と向かって言うのは、ちょっと恥ずかしいけどな」


「まぁ、その気持ちもわかるよ。確かに恥ずかしいよね、さすがにさ。でもありがとう、秋人。最後にちゃんと答えてくれて」


 そして、ホームに列車が入ってくる。緩やかにスピードを落として、それは停まる。扉が開く。時間が動く。そして秋人が列車に乗り込んだところで。


 ──さよならの時間が、決まった。



「それじゃ秋人、向こうに行っても頑張ってよ。身体に気をつけて。こっちはこっちで頑張るからさ」


「あぁ。夏月も頑張れよ。落ち着いたら、また連絡する」


「嘘ばっか。秋人の『また連絡する』は信用できないよ」


「……それもそうか。なら、気が向いたら連絡する」


「うん、それでいい。それじゃ、また」


 ベルの音と共に、扉が閉まった。

 ゆるりと走り出す列車。秋人はボックス席に移動して、窓を開けた。

 徐々に距離が開いていく中、叫ぶように秋人は言う。


「──夏月! 美冬を頼んだぞ!」


「頼まれても嫌だよ、今まで何年世話したと思ってんのさ!」


「お前にしか頼めないだろう! 約束だぞ、これはの約束だ!」


 列車はスピードを上げていく。どんどん小さくなる秋人。

 でも秋人は声を張り上げている。まだ声は届いている。


「俺はな、お前の気持ちを知っていた! 誰よりも美冬を大切に思っている、お前の気持ちをな!」


 線路のカーブで、もう見えなくなる秋人に。最後にもう一度、一番大きな声で名前を呼ばれた。


「──夏月かづき! 頑張れ! また会おう!」



 ──そして完全に、秋人は見えなくなった。

 それが、「三人」の最後の瞬間となった。




    ──────────


 


 さてと、これからどうしようか。

 季節は春。雪はきっともう降らないし、降ってもすぐに融けるだけ。


 よし、まずは美冬に会いに行こう。どうせどこかで泣いてるに決まってる。

 時間は掛かるだろうけど、凍ってしまった美冬の心を、ゆっくり溶かしてあげたいと思う。


 きっと大丈夫。できるはず。

 だって僕の胸の中には、再び。雪を溶く熱が、生まれたのだから。


 



【完】

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雪を溶く熱 薮坂 @yabusaka

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