決闘までの一ヶ月の道のり

「ただいま」


 夕方五時過ぎに家に着くと、晩ご飯の唐揚げのにおいが、ぷーんと漂っていた。


「あらお帰り。遅かったわね」


 山本は自分の部屋に鞄を放り投げると、キッチンでまな板をトントン言わせている母親の背中を見つめた。


「あの……」


 なあに? と母は背中で答えた。


「あの……バレーボール。教えてもらえないかな」


 まな板のトントンが止まった。換気扇の音と、夕方のニュースを伝えるテレビが一気に聞こえるようになった。

 山本の練習場所のあてとは母の通うママさんバレーの事だった。バレーボールの話を息子から語られた母は目をキラキラさせてゆっくり振り返った。

 ただその直後、何かを思い出したかのように顔をキュッと引き締め、再び背中を向けた。


「へえ、バレーボールなんて興味なかったんじゃないの」


(めんどくせえな、この人)


 そう心で思いながらも、山本はぐっと堪えた。


「ああ、まあちょっと気が変わって。火と土に練習やってたよな? 行っていい?」


 母はさっと振り返り、溢れんばかりの笑顔を振りまいた。


「もちろんよぉ、お母さん嬉しい! 隆弘がバレーボールに興味持ってくれて。バレーボールはね、やりたいという気持ちが大事なのは。気持ちのある人全てを受け入れてくれるの!」


 そう言いながら目が潤んでいた。


「それとさ」


 なになに? と母は顔を近づけた。


「他にも来たいって言ってらやついるんだけど。いい?」


 そりゃもちろんよ……と言いかけて母は何かを思い出した。


「ちょっと待って。それってもしかして、あの蜷川にながわ組?」


 彼らの悪評は母の元にも当然届いていた。


「まあ、あいつらもだけど」


 突如顔色を変え、母は背中を向けた。そして勢いよくトントントントンとまな板を鳴らし始めた。


「ダメダメダメダメ、あんな子達連れてきたらお母さん、他のママさんになんて言われるか」

「頼むよ、あいつらかなり一生懸命なんだよ。気持ちは一番あるかもしれない」


 包丁を持ったまま、振り返る母。その表情はこわばっている。


「——な、なんだよ」


 トーンを下げて母は諭すようにこう告げた。


「あのね、隆弘。世の中気持ちだけじゃどうにもならないこともあるの。いい? あの子らだけは絶対に連れてこないでね、わかった?」


 そう言って、包丁の先をキラリと鈍く光らせてから、再びまな板をトントン言わせ始めた。




 ママさんバレーの練習日。体育館はいつものメンバーが徐々に集まりつつあった。その中に山本もいた。その横で母はルンルンと鼻歌を歌いながらストレッチを行っていた。


「母さん、隆弘にみっちり教えてあげるからね〜」


 そんな独り言を言いながら遠くを見つめる母。

 そんな横で隆弘は気になっていることがあった。


(あいつら、大丈夫かな)


 そう思いながら、山本が外を見た。


「あ!」


 思わず口を押させえたが、もう時すでに遅し。


「なに、どうしたの?」


 母も山本が見ていた方を見た。そして立ち上がり、身を乗り出す。


「ああっ! ちょっと、隆弘! なんで、何であの子らがいるのよ!」


 蜷川にながわ組の六人が、カマキリハンドルの自転車で蛇行運転しながら暗がりを進んで来ていた。


「隆弘! あれだけダメって言ったのに、母さん絶対にいれないからね!」

「頼むよ、あいつらだって本気なんだよだから……」


 他のママさんにも気づいた者がちらほら。そして指を差しながらざわつき始める。

 そうこうしているうちに、体育館の扉が開いた。バンッ、という音が響く。

 そこに立っていたのは六人のシルエット。それを体育館にいたメンバー全員が見つめる。そして暗がりに立っていたその姿が徐々にはっきり見えるようになっていった。

 まず先頭に立つのはアキラ。薄い眉にぎりぎりまで脱色した髪。だがセミロングでふわふわしていた髪は短く刈り上げられ、Tシャツと短パンという出で立ちだった。そのままずんずん中に入り、山本の母の前に立つ。


「あ、あなたたちちょっと……」

「山本さんのお母様でしょうか」


 母の言葉を遮るように、アキラが鋭い眼光のままそう言った。


「そ、そうだけど」


 シャッ、とアキラが頭を下げる。


「今日は、どうかよろしくお願いします!」

「「お願いします」」


 体育館に芯の強い声が響いた。そのお辞儀もしっかり九十度で緩みない。そして腰を曲げたまま、微動だにしない。その様子を見て、どうしたらいいのかわからない母。やがて、おどおどしながら口を開いた。


「な、何よ……突然」


 シャッ、とアキラが頭を上げた。真剣な眼差しがそこにはあった。


「俺たち強くなりたいんです。絶対負けられないんです、どうかバレーボールを教えてください」


 お願いしゃす、しゃす、しゃ……他の五人の声も続いた。

 山本の母は言葉に詰まりながらも当たりを伺った。そして、どもりながらもこう答えた。


「あ……あらそう。もちろんいいわよ、バレーボールはね、気持ちが大事なの。気持ちある人全てを受け入れてくれるのよ。ねえ、みなさん」


 他のママさんも、ま、まあそうね、と結局断る理由もなくなった雰囲気は結局蜷川組を受け入れざるをえなくなった。

 こうして男子バレー部の特訓が始まったのだった。


 火、土はみっちり特訓。他の日も基本毎日練習は続いた。

 蜷川組のポテンシャルは凄まじかった。というのも元々小学生の頃から野山を駆け巡っていた連中だったため、体力は人一倍高かった。そして何かに向かって突き進む推進力もずば抜けていた。山本も身長爆発のおかげで、すでに莫大なアドバンテージを持っていた。急成長を遂げた男子バレー部はムラカミの能力をみな軽々と飛び越していった。

 練習試合を重ねるたびに、徐々に男子バレー部はゲームらしいゲームを出来るようになっていった。


 女子バレー部との決闘を二週間後に迎えたその頃、ママさんバレーの休憩中、山本は母に問いかけた。


「これだけ上達すれば女子バレー部に勝てるかもな」


 しかし母は鼻で笑うのだった。


「いや、無理でしょう。だってあのら、歴代の選手の中で最強のチームって言われてるのよ。全国大会狙える実力を持ってるんだから、特にキャプテンの若槻さんは県の強化選手に選ばれてるんでしょ? そんなチームにいくらあんたたちだって勝てるわけないわ」


 山本はコートを駆けずり回っているアキラ含め蜷川組を見た。


「……でも、俺たちは負けるわけにいかないんだよ。絶対に勝たないと」


 そんな眼差しを見て、ふっと笑う母。


「へえ、あんたも少しはスポーツマンらしくなったじゃない。でもね、ダメなものはダメ。力の差はね、そう簡単には覆らない。奇跡でも起きない限りね」


 アキラがスライディングレシーブをして、結局届かず、顔面を強打していた。ボコッという鈍い音が体育館に響く。上げた顔を見てみると、顔中あざだらけだった。


「ボールを見ちゃだめよ! 手が届かないと思ったら敢えてボールを見ない! そうするとほんの少しだけ遠くも届くようになるから!」


 母のそんな声に、アキラが「はいっ!」と威勢のいい声を返した。


(奇跡か……こんなに頑張ってるのにな)


 練習場所を求めて、史上最強の女子バレー部に挑んだ弱小男子バレー部。そんな彼らに徐々に忍び寄るその「奇跡」の足音にまだ誰も気づいていなかった。

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