初試合は衝撃の展開!

 その日の昼休みも、山本は屋上で焼きそばパンをかじっていた。

 青空を見つめながらも、頭に浮かぶのは恐ろしい予感。試合ができる人数が揃ってしまったバレー部と、自分の身長がバレーボールに適した長さまで伸びてしまったこの事実。この事実に山本は恐怖すら覚えていた。


(お願い……お願いだからあと二年間は緩く過ごさせてください)


 そんな淡い期待を空に願っていた山本。その背中に、突如聞き覚えのある声がかかった。


「山本君」


 この声は……? 何か嫌な予感がして振り返ると、そこには色白黒眼鏡、小柄な坊ちゃん刈りのムラカミが立っていた。


「な、なんすか?」


 ムラカミはニヤニヤしていた。


「今日はいい天気だね」


 そう言いながら、山本の横に座った。


(なんだよ、この人。気持ち悪いな)


 そう思いながら、少し距離を取るべく、お尻で移動した。それに合わせてムラカミもお尻で、きゅきゅっとすり寄ってくる。


「なんですか?」

「あのさ、気づいていると思うけど——」


 山本の毛穴がぞわぞわっと震えた。


「ついにバレー部も試合ができる人数が揃ったでしょ? だからほら!」


 そう言ってムラカミは一枚の紙を突き出した。そこにはとある高校の名前が書いてあった。


「来週の日曜日、練習試合が決まったよ! やったね山本君、これで試合ができるよ!」


 うわっ、ついに来た。恐れていたことが起こってしまった、とがっくりとうなだれる山本の表情にまったく気づいていないムラカミ。鼻歌でも流れてきそうなその表情で、斜め上を見つめたまま目をきらきらさせていた。

 だが山本はまだ諦めない。


「そうなんすね、でもあいつら……蜷川組はさすがに来ないっしょ?」

「それがねえー!」


  待ってましたとばかりに顔をぐいぐい寄せてくるムラカミ。


「彼らにこの話したら、かなり食いつきが良くてさ! 『やってやろうじゃん、ぶっ潰す』なんて言ってさ、かなりやる気あったよ」


(おいおい、大丈夫かよ。殴り合いと勘違いしてんじゃねーの? 負けてぶん殴ったりしねえかな)


 山本の心配は常に緩さの維持だった。


(暴力はいけない、廃部になってしまったら緩く過ごせないからな)


 ムラカミは赤みを帯びた表情でぐっと顔を近づけた。


「もちろん山本君も来れるよね? エースなんだから!」

「エース? 俺が?」


 ムラカミはにやにやと頷いた。


「その身長なら簡単にブロック出来るし、山本君のアタックは誰も取れないよ! きっと勝てる! 相手チームもほぼ全員初心者で、うちらと一緒らしいから」


(あーあ! めんどーな事になったな)


 残念な気持ちでいっぱいだったが、さらに残念な事にその日程を断る予定も山本には持ち合わせていなかった。さすがに自分のせいで試合ができない、というのはばつが悪い。誰か体調不良者が出てキャンセルにならないかな、そんな事を最後まで考えていたが、もちろんそんなことは起こるはずもなかった。

 しかしこの練習試合こそが、彼らの運命を大きく変えることになろうとは、まだこの時誰も気付いていなかった。



 練習試合当日、バレー部は全員集合して相手チームの体育館にいた。蜷川組メンバーもアキラ筆頭にやる気十分で集合していた。


「おい、どこだよ、相手チームは。ぶっ潰してやる」


 ムラカミは微笑みながらそれをなだめた。


「まあまあ、落ち着いて。今日はバレーしに来たんだからね、いい?」


 こうしてついに初の練習試合が始まった。

 相手チームと向かい合い、メンバーを確認する。どうやらまだ初々しさ溢れる、おそらく始めたばかりのチームだった。身長もそんなに高くはなく、アキラ達を見てみんなおどおどしていた。アキラが相手チームの一人にヤンキー歩きで近寄り、メンチ切ったにらみつけた


「おい、てめえ。点とったら承知しねえからな……」


 ムラカミが必死で背中のTシャツを引っ張る。


「まあまあ、仲良くやろうよ、まずは目標一点ね! あわよくば勝てたら勝とう!」


 何はともあれ、こうして初めての試合が始まった。そして結果は……。




 試合終了後、メンバーは床に倒れ込み、ぐでっとしていた。身体の至る所には多数のあざ、表情は固い。みんなどこか一点を見つめ、誰も口を開こうとはしない。


「…………」


 そんな沈黙を破ったのは彼だった。


「まあ今回は惜しかったけど、みんなよくがんばったよ、良い経験も出来たしね!」


 そう言いながら、点数表示を見た。


 0-15 0-15。

 結局チームムラカミは一点も取れなかった。

 それだけではない、何故こんなにあざだらけでぐでっとしているのか? それにはいくつかの理由がある。


 まず両手でサーブを打ち反則を取られる、次にレシーブの度にその痛さに悶絶。また一つのボールにみんなが集まるため、何度も頭、体が激しくぶつかりあい、仲間同士で喧嘩した後みたいになった。さらにこちら側のアタックは全てブロックされ、あちら側のフェイントには全てひっかかっていた。


 そもそも、よくよく考えてみるとコートでバレーボールをした経験があるのはムラカミだけだった。ステージでしかバレーをしたことが無かった彼らにとって、コートはとてつもなく広く、試合は果てしなく痛かった。よくもそんな状態で他校に試合を挑んだものだと後悔してももう遅い。


 ムラカミはその様子を見て、おどおどしていた。


(まずいな、蜷川組怒ってる……殴って来ないかな? 早く切り上げよう、もうしばらくは試合はやめておこう!)


 そう思って帰ろうとしたそのときだった。


「おい! ムラカミ!」


 アキラがムラカミに詰め寄った。そして、上から睨み付ける。


「え? な、何かな? アキラ……君」

「どうゆうことだよ、これは?」


 やばい、殴られる、ムラカミの本能はそう感じ取った。アキラの目は真剣だった。


「いや、まあその……」


 アキラはムラカミの胸ぐらを掴んだ。


「どういう事だって言ってんだよ! 教えろ」

「いや、あの……ごめんなさい、その、あの……」


 アキラの腕に力が入る。


「教えろ! どーすれば勝てるんだよ?」

「え?」

「え、じゃねーよ、どうすればあいつらに勝てるのか教えろって言ってんだよ!」


 アキラは、ふっと力を抜いた。


「俺らはな、今の今まで一度も負けたことが無かったんだよ! たった一度でもな。でもなんだこのザマは。あんなしょぼいやつらにボコボコにされて……あいつらぜってー許さねえ。この借りは絶対返す!」


 蜷川組の他のメンバーも同様に怒りに燃えていた。それは相手への憎しみというより、自分の中に燃えたぎる悔しさ、不甲斐なさ、バレーボールという試合に勝ちたいと強く思うその気持ちだった。それだけではない、山本自身も自分の心の中に、何か新しいものが芽生えているのを感じていた。

 というのも山本は180cmの長身でありながら、自分よりはるかに背丈の小さい相手にほぼ全てのアタックはブロックされ、相手のアタックは全くブロック出来なかった。そのことに悔しさと同時に、どうすればあんな風にうまくなれるだろうか、その事に興味を持ち始めていた。


「そ、そうなんだ。また明日から練習しようか」

「いや……」


 アキラが遠くを見つめた。


「今からだ。お前らも行くぞ!」


 オウ、と掛け声を上げてから、蜷川組は体育館を後にした。


「え? 今からって……どこ?」


 その横で山本も歩いて行った。


「え? 山本君も行くの? ちょっと待ってって……」


 こうして初試合は結果こそ散々だったが、その深い悔恨は確かに山本を取り巻く面々の、心の奥底に刻まれ、それはやがてゆっくりと大きく動きだそうとしていたのだった。

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