桜の雨

十文字心

第1話

彼女を初めて見たのは、この国が梅雨という季節に差し掛かろうとする頃だった。

雨が降っているというのに、自分ではなく腕に抱えていた荷物を守るように傘を差しながら俺の定位置である、小さな丘の上の木陰へとやってきた少女。

確か先日までこの木には、キレイなピンク色の花が咲き乱れ、人間達が集まってきては

"キレイね、やはり桜は日本人の心だ"

などと言っていたのに、花が散り葉だけとなった今、近寄るものは皆無である。


少女は敷物を広げると荷物を置き、タオルで顔についた雨粒を拭いながら小さな声で

"間に合うかな…"と呟いている。木の上にいる俺の存在には全く気づいていない様子。

それにしても…何が間に合うのだろうか?

大事そうに抱えてきた荷物の中から、銀色で棒状の物体を取り出してきた少女はその棒状の物を口に当てている。濡れた長い髪を気にすることもなく、その道具で何かを始めようとしている少女に興味が湧いた。

すると突然────



「♪♪♪♪♪♪~」


「…うわっ!!」



予想外に鳴りだした音に驚いた俺は

うっかり声を出してしまった。

そうか、この銀色の綺麗な棒は

楽器だったのか…



「…え、誰かいるの?」


突然発せられた声の主を探し出そうと、キョロキョロと辺りを見回している少女。

俺は木の上で葉に身を隠し、息を殺して気配を消した。一瞬目が合ったような気がしたが、違う方角を向き出したので俺の姿は見えていないようだ。

しかし声は聞かれてしまった…。

今日のところは帰るとするか。

───今まで降り続いていた雨が止んだ。




「桜~?今日もくじら行くの?」


「…うん。少しだけね。また明日~。」


夏に開催される様々な運動部の大会を応援する為、この時期の吹奏楽部は大忙しだ。

三年生である私も今年が最後。練習が終わり、友達と別れるといつものようにくじら山へと向かった。

そういえばこの前、フルートを鳴らし始めた時どこからか変な声がしたな…。まぁ変質者なら何かしらの行動をしてくるだろうし大丈夫か。

私が晴れの日にここへ行くことはない。なぜなら、雨の日のくじら山にはほとんど人もいない上、雨音により私の下手くそな音色がかき消されるので絶好の練習場所になるのだ。今日も本降りではないが、梅雨特有の湿気を纏った雨が一日中、降り続いている。

いつもと同じ木の下に、シートを広げ楽器と楽譜を取り出すと続きから練習を始めることにした。


「♪♪♪♪♪~」


────雨が強くなった。



「ねぇ、今日もいつものやつ吹いてよ。

最近その音を聴くとね、眠くなるくらい心地いいんだ。最初は雑音にしか聴こえなかったはずなのに不思議だよね。」


「雑音とは酷い言われようね。…まぁ最初はともかく、沢山練習したもの。一人?でも認めてくれる人ができたのは嬉しいことだわ。あなたも、いつものやつお願いね。」


彼女のお願いを聞き、この小さな丘以外の場所に強めの雨を降らせ始める。これでこの場所に近寄ってくるものはいないだろう。


俺と彼女の二人だけの時間。

誰にも邪魔されたくはない。

彼女が奏で出す音色は俺だけのもの。

──俺は彼女のことが好きだ。



彼女と初めて言葉を交わした時、あの綺麗な楽器の名前を"フルート"だと教えてくれた。


二回目に言葉を交わした時には

自分の名前が"桜"だと教えてくれた。

それを聞いて、人間とは不思議なものだなと思った。確かに花をつけている時は美しいが一年のうちのほとんどが葉であるか枝だけの状態の植物の名前をそのままつけるとは。

俺がその事を伝えると、彼女は笑いながら

"確かにね"と言って理由を教えてくれた。


そして、五度目に言葉を交わし時

俺は自分の正体を明かした。

彼女は初め"まさか"と驚いていたがその後

笑いながら"まぁいっか"と言っていた。

───入道雲が増え蝉が鳴き始めた。



山の主役が、わしゃわしゃと喚くように鳴いていた蝉から、誰もいない森の中でひっそりと涼しげな声を発している蝉へと変わった頃、彼女が久しぶりにやってきた。


「久しぶりだね、会いたかった。」


「やっと私の夏も終わったの。」


「夏が終わる?こんなにも毎日暑いのに。

君は変わったことを言うんだね。」


「そうね、あなたにはわからないかもね。」


「…君の世界に行ったら教えてくれる?」


「うん。」


遠雷と共にどしゃ降りの雨が降ってくる。

これが俺の最後の仕事。

桜が帰ったら、この森の神に会いに行こう。

────俺は、雨神を辞める。


彼は自分のことを"神様なんだ"と言った。

冗談を言い合うような間柄でもないのに、突然発せられた言葉に最初は驚いたが、二人で過ごす時間の全てに合点がいった。彼は絶対に姿を見せず、木の上から私に話しかけてくるだけ。私がフルートの演奏を始めると、決まって強くなる雨。そして私が帰り支度を始めると"またね"と言って去っていき、練習中に降っていた雨はピタリと止んでいるのだ。

だから私は内心、人間ではない何かだと思っていた。

───彼はきっと、雨を降らせる神様。




蝉の声が消え、山の主役が寂しげに鳴く

小さな虫達となり、秋の桜が満開を迎えた頃

俺たちはいつもの小さな丘の上に並び

手を繋いで座っていた。


「ねぇ、元雨男さん?雨を降らせてよ。」


「雨男はね、晴女には勝てないの。」

───もう、二人の上に雨は降っていない。

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