「……これは由々しき事態と考えます」と私は告げた

「機関長、エスター・マクドナルド、参りました」

「――ああ。お疲れ様です」


 部屋へ入り挨拶をした私へ、機関長は普段と変わらない穏やかな声で答えてくださった。ただし、手のペンはずっと動き続けている。

 重厚な執務机の上には、書類が山積みだ。

 ……また、量が増えたような気が。

 私は思わず尋ねてしまう。


「……機関長、その……また、御仕事の量が増えていませんか……? あまり、御無理をされては……」

「少しばかり立て込んでいましてね。この程度の量を捌けないとは……己の非才を恥じ入るばかりです」

「…………毎回、思うんですが、機関長の基準は絶っ対におかしいです。もしも、以前のように倒れられたら――私にも考えがあります」

「と、言うと?」


 ようやく機関長が顔を上げられた。

 眼鏡の奥の瞳には、疲労が見て取れる。


「――中央に現状を直接訴え」

「分かりました、了解です。出来うる限り休みます。ですから、訴えるのは止めてください。……言っておきますが仕事量は適切です。この忙しさは局地的なものですよ。北部の『皇帝陛下』じゃあるまいし、無理はしません」

「その言葉、覚えていますから。――用件をお聞きします」

「これを」


 機関長が珍しく同僚を揶揄される。

 あの方は『皇帝陛下』と言われるのを殊の外、嫌われるので……耳にされたら、また喧嘩だろう。

 曰く『私は押し付けられているだけだっ! 文句の言う先を誤るなっ!!』

 ……あの方にしても、機関長にしても、大陸西方における重要人物なのだけれど、どうして、こんなに仲が悪いんだろう。それでいて、御仕事は完璧以上だし。

 若干、呆れつつ浮遊魔法でふわふわと飛んで来た書類を受け取る。

 署名は『クレイク・クレイトン』。

 不出来な後輩の報告書だ。ざっと目を走らせる。


 …………はぁ? はぁぁ?? はぁぁぁぁ!?


 ゆっくりと顔を上げ、機関長へ微笑みかえる。


「……これは、いったい、どういうこと、なんでしょうか?」

「クレイクは件の侯爵家の居候になったようですね。バレたようです」

「な、何で、そんなことになっているんですかっ!? あ、あいつ、じ、自分がどういう立場なのか理解していないんじゃっ!?!!」


 ――私達の組織は『機関』と呼ばれている。

 役割は主に南東方面各国の諜報及び古書・奇書の収集。

 他の諜報組織に比べると歴史も浅く小規模なものの、今までに赫々たる成果を上げてきた。

 けれど、その任務上、他国にバレれるのはまずい。非常にまずい。

 なのに、あの……バカっ!!! 

 機関長が、肩を竦められた。


「詳しい事は分かりません。分かりませんが……クレイクは優秀です。今回は相手が悪過ぎたんでしょう」

「連邦ならともかく……あの国にそれ程の能力があるのでしょうか?」


 クレイクが潜入しているのは、彼の故国である老帝国。

 国家としての最盛期はとうに過ぎ、大陸情勢に興味もなく、ただただ微睡んでいるだけといっていい。

 ……そんな国がクレイクの正体を突き止めた? あり得ない。

 椅子の背もたれに身体を預けられ、機関長が苦笑された。


「クレイクの正体を見破ったのは、彼の幼馴染の子らしいです。ご丁寧なことに、報告書に私信まで紛れ込ませてきました。『そちらの御仕事を邪魔するつもりは微塵もありません。どうぞ、徹底的に、容赦なく骨の髄までしゃぶり尽くしてください』と書いてきました」

「……幼馴染、ですか?」


 冷静を装いながらも、女の子に対して耐性があまりなかった後輩を思い出す。

 私は再質問する。


「……その幼馴染って」

「女の子ですね。綺麗な字でした」

「――……機関長」


 私は自分の声が冷たくなっていくのを感じた。

 機関長は肩を叩かれている。


「……これは由々しき事態と考えます。幸い私は自分の任務が片付いています。現地へ赴きクレイク・クレイトンの補佐をしたいと思うのですが、如何でしょうか?」

「……エスター、それは難しいです」

「何故ですかっ!? クレイクの正体がバレれば、大きな問題になって」


 機関長が軽く両手を挙げられ、苦笑された。

 それでいて、誇らし気に告げてこられる。


「『クレイクの件は手を出さなくて良いよ。問題にはならないと思う。むしろ、クロエ・コレットさんに興味があるね。調べてきてくれないかな?』。こう言われてしまった以上、手出しは出来ません。……いったい何処で知られたのか。今、大陸で一番多忙な筈なんですが……あの人は、昔からそうなんです」

「!? そ、それは――」


 私は絶句する。

 確かにあの御方にそう言われてしまったら何も言えない。

 それにしても、出会った人間全員の名前を記憶されている、っていう噂、本当なんじゃ……。

 機関長が居住まいを正された。


「――エスター・マグドナルド機関員。君を老帝国へと派遣します。任務内容は、クロエ・コレットの人となりを調べることです」

「……その後は?」

「さぁ、分からないですね。ただ、何処もかしかも人手不足なのは君も知っているでしょう? 行ってくれますか? クレイクの補佐役ではなく、クロエ・コレットの調査役として」

「…………」


 私は暫し黙考し――そして、頷いた。

 待ってなさいよ、クレイクっ!

 この私、貴方の頼りになる先輩の、エスター・マクドナルドが、行くからねっ!!

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