「……どうして、君が此処にいるんですか?」と僕は動揺した

「おはようございます、クレイク♪ 良い朝ですね☆」

「……どうして、君が此処にいるんですか?」


 その日の朝、僕が目を覚ますと、何故か隣でクロエが寝ていた。

 別の部屋で寝た筈なのに。

 ……結局、昨日は侯爵家の御屋敷に泊まった。

 決して、決して敗北したわけじゃない。これは仕方なかったのだ。

 なお、クロエは当然の如く、寝間着姿。しかも……胸元が際どい。

 思考が停止しそうになるのを、意思の力で防ぎ、目を瞑る。


「あーあーあー。僕はまだ寝ています。寝ているんです。なので、これは夢な筈です。とっとと朝食を食べに行ってください」

「そうですか? 残念です。よいしょっと」

「!? ち、ちょっ、な、何をっ!?!!」


 柔らかい感触がし、頭を抱きしめられる。

 激しく動揺し目を開けると――クロエと視線が交錯した。

 ……いけない。

 何がどういけない、と具体的な言葉に出来ないけれど、これはいけない。

 侯爵令嬢は瞳に嗜虐を浮かべつつ、ニヤニヤ、ニヤニヤ、ニヤニヤ。


「今日は学院お休みですし、二度寝も悪くありません。クレイクが起きないのなら、私も寝直すことにします♪ うふふ……こうしていると小さい頃を思い出しますね?」

「…………思い出しません。は、離してくださいっ!」

「え? 嫌です。思い出してくれたら」

「お、思い出したら?」

「後で、あ~ん、をしてあげます☆」

「何処にも、逃げ道がないっ!?」


 このままなのはまずいっ! とにかくまずいっ!! 

 侯爵にこんな姿を見られたら、厳罰に処される可能性すらある。

 僕には……僕には成し遂げなければならない任務があるんだっ!

 クロエへ懇願する。


「お、憶えていますっ! 憶えていますから、は、離してくださいっ!!」

「信じられませ~ん。言葉にしてください★」

「うぐっ! …………小さい頃、よく、君とお昼寝をしていたのは覚えています」

「それだけ、ですかぁ?」


 ニヤニヤ。ニヤニヤ。ニヤニヤ。

 うぐぐぐ……。

 僕は目を瞑り早口で答える。


「よ、夜も、と、時々、一緒に寝ていました……。い、今みたいに、頭を抱きかかえられてっ!」

「正解です♪ そんなクレイクには御褒美です。一緒に二度寝をしましょう。そうしましょう☆」

「なっ!? は、話が違っ!」

「女の子のお茶目です。それとも――」


 クロエが僕の唇を指でなぞり、次いで、自分の唇につけた。

 妖艶な笑み。

 ……大蛇に見えるのは気のせいだろうか。


「キスの方が良いですか? どうせ、近い内にもっと凄い事をするんですし、私は何時でもいいですけど★」

「…………もう、許して、ください…………」


 僕はさめざめと泣く。

 ――勿論、クロエのことが嫌いなわけじゃない。

 この子には幸せになってほしい、と心から願っている。

 けれど、僕じゃとてもこの子を幸せにすることは――クロエが頬に触れてきた。


「クレイクはちょっと優し過ぎると思います。私と貴方の身分差なんて――この国がなくなったら全部、なくなってしまうものなんですよ? 他国の情勢について、知っている貴方なら、私の想定がそこまで的外れじゃないことは理解出来ますよね?」

「…………」


 僕は沈黙する。

 確かに連邦は焦っている。

 西方戦線において勝ち目は絶無。数的優勢こそあるものの、質の面で別次元の差がついてしまっているからだ。

 超々遠距離魔法・大陸最優の空中戦力・洗練されている兵站組織。

 下手に突けば……戦線全体が崩壊しかねない。

 機関長の見立てでは、


『あの御方は戦争を望んでおられません。けれど……皆は別です。向こうが手を出してくれば、容赦なく反撃するでしょうね。北の『皇帝陛下』ですら、悪態をつきながらも全力で義務は果たすと考えます』


 その言葉には同意せざるを得ない。

 西方で事を起こせば……連邦は亡国へと追いやれるだろう。

 溜め息を吐き、クロエを窘める。


「……言いたいことは分かります。分かりますが、連邦とて愚かじゃありません。西方で動けないから、といって、東方で事を起こすとは」

「動きますよ、近い将来、必ず。その際、狙われるのは――」


 クロエが微笑んだ。

 僕は瞑目する。

 ――多くの情報は、連邦がこの国を狙っている事実を示している。

 今日明日、すぐに殴り掛かってくることはないだろうが、数年の内に行動を起こすだろう。

 東方の小国家を併呑し、国力を増さない限り……西方戦線の圧迫に対応しきれないからだ。

 嘆息する。


「……僕にどうしろ、と?」

「何度も言ってると思います♪ 私はクレイク・クレイトンのことが大好きなんです。――この国よりも大事です」

「…………」


 真っすぐな想い。

 受け止める……べきなんだろうか?

 心が揺らぐ。機関長、僕は、僕はどうすれば……。

 扉がノックされた。外から、メイドさんの声が聞こえて来る。


「――おはようございます、クロエ御嬢様」

「起きています。その場で、内容を言ってください」

「はっ。御嬢様とクレイトン様宛に御手紙が届いております」

「「?」」


 小首を傾げ、クロエと目を合わせる。

 僕等を名指しで?

 機関長から手紙が戻ってくるには、日数が足りない。それこそ、転移魔法でなければ……。

 クロエは僕を抱きしめたまま、返答した。


「扉の下に置いてください。私達は二度寝をします。御父様と御母様にはそのように伝えておいてください」

「なっ!? ぼ、僕は起き」

「畏まりました。ごゆっくり」


 メイドさんの気配が遠ざかっていく。くっ!?

 クロエが柔らかく微笑んだ。


「さ、クレイク、一先ず寝ましょう。そして――私に世界で一番可愛い寝顔を見せてください♪」

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お嬢様と密偵―あの子が幸せになるのなら 七野りく @yukinagi

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