「……それは僕じゃありません」と僕は告げた
「……はぁ」
学院書庫。
何時もの椅子に座りながら、僕は今日何十回目になるか分からない深い溜め息を吐いた。
機関へ報告書を書かなければならないのに、まるでやる気が出てこない。
原因は何か?
……それを直視出来る程、僕の心は回復仕切っていない。
何しろ、口が軽いバーナードを思いっきりぶん殴っても、埋められない程なのだ。安心の致命傷と言える。
しかも、あの男『……初めて、友人に殴られた……』と何故か嬉しそうにし、張り切って殴り返してきた。無駄に重たい拳だった。今度は罠にでも嵌めようと思う。
独白する。
「…………駄目だ。今日はもう帰ろう。そうしよう。そして、何か美味しい物でも作って食べよう。そうすれば、きっと心も落ち着くに違いない。そうと決まれば、帰りに食材を仕入れて、時間をかけて料理をしないと!」
「男の人の料理、良いですね♪ もしかして、私の為に作ってくれるですか☆? うちの屋敷のキッチンで♪」
「………………」
目の前で、両手を合わせたクロエが満面の笑みを浮かべ、僕へ問うてきた。
こ、このっ!
い、いったい、誰のせいで、僕の心が搔き乱されていると思って――……ダメだ。冷静になれ、クレイク。ここで反応すれば付け込まれるのみ。
僕は学ぶ生き物なので、敢えて無視する。
そして、鞄を持ち立ち上がり、出口へと向かう。
「クレイク、待ってください☆ 一緒に帰りましょう♪」
「……一人で帰ります。侯爵家からの出迎えはもう来ている筈でしょう?」
「ん~?」
クロエが僕の隣に並び、ニヤニヤ、ニヤニヤ、ニヤニヤ。
……落ち着け、落ち着くんだ。クレイク・クレイトン。
ここで動揺すればこの子の思う壺だ。平静を保て。
僕は昨日の晩も今朝も、何も見ていないし、何もされていないのだから!
クロエが耳元で囁いた。
「クレイクの寝顔、世界で一番可愛かったです♪ 私、凄くドキドキしてしまいました」
「……それは僕じゃありません。赤の他人か、君の妄想の登場人物じゃないですか? 何故ならば、僕は昨晩、君と同じベッドで寝ていないからです」
「え? 勿論、夜中に忍び込みましたけど? だって、同じ屋根の下にクレイクがいたんですよ?? 私が忍びこまない筈がないじゃないですか! 私、これでも良識人なんです☆ あと、勝手に魔法で鍵をかけたのは減点です。『世界で一番可愛いクロエ』と十回言ってください☆」
「それが良識な世界を、僕は、絶対に許さないっ!!! ……あの鍵を短時間で解いた、と? そ、そんな馬鹿な…………」
侯爵令嬢が『何をそんな常識を言って??』という表情をしたので、思わず突っ込み、同時に戦慄してしまう。
こ、この子、ひ、人としての基本性能が高過ぎるっ!
すると、クロエはニマァ、と笑い、詰め寄ってきた。
――今朝、感じた花の香り。
「も~♪ そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか? 少し傷ついてしまいます。私だって……恥ずかしかったんですよ?」
「……恥ずかしがってなんかいません。仮にです。仮に、君が誰かさんのベッドに忍び込み、朝まで一緒に寝てしまったとして……そういうことをする女の子はどうかと思います」
「ふむむ……」
クロエが少し考え込む。
どうやら、多少は思うことがあったらしい。
良かった。本当に良かった。このお尻から真っ黒な尻尾を生やしている疑惑な幼馴染の少女にも一欠片の良心が残って――クロエが手を叩き、得心した。
そして、頬を薄っすらと染める。
「分かりました――そ、それじゃ、こ、今晩は私、部屋で待っていますね?」
「………………待ってください。激しい誤解がですね」
「子供は何人がいいですか? 私はやっぱり、子供はたくさんがいいなぁって」
「あーあーあーあーあー!!!!! お、女の子が、そ、そんな言葉を人前で口にしないでくださいっ!!!!!」
書庫に響き渡る僕の声。きっと、頬は真っ赤になっているだろう。
……うぅぅ。
項垂れ、懇願する。
「……お願いです。あまり虐めないでください。僕には任務があり、君には立場がある。学内でこれ以上、騒げば」
「波風上等です。前にも言いましたよね?」
クロエが僕の頬に触れた。
真剣な眼差し。
「――私は、貴方が私のものにならないのら、こんな国滅んだって構いません。どうせ、このままいけば、何れは連邦に飲み込まれる運命でしょうし? もしかしたら、その連邦も西方の国の併合されるのかもしれませんが」
「……クロエ。あまり、過激なことを口にするのも」
「貴方の前だけです。――ふふふ♪ やっと、つまらず名前を呼んでくれましたね? そうです! それでいいんですっ!! 抱きしめられながら寝言で名前を呼ばれるのも、物凄い破壊力で、思わず襲ってしまいまそうになりましたけど、やっぱり、起きている時に言われたいですし♪」
「!? 待ってっ!? 寝言で呼んだって、何っ!?!!」
「ふっふっ~ん♪ 特別に聞かせてあげます☆ はい、ど~ぞ」
クロエは片耳に着けているイヤリングを外し、僕の耳元へ近づけた。
これって、西方の通信宝珠じゃ……声が飛び込んできた。
『……クロエ……』
「かふっ……」
思わず、膝が崩れた。
間違いなく――僕の声だ
頭上からクロエが楽しそうに告げてきた。
「ね? ドキドキしちゃうの分かるでしょう? 私、とっっても嬉しくて♪ 思わず、同級生の子達に聞かせたく――」
「止めてっ!!! し、静かな学院生活が送れなくなっちゃっ!!!」
再び悲鳴をあげる。
顔を上げると、クレアは指を二本立てた。
「いいですよ。でもぉ――交換条件です★ いち~♪ 私が泊りたい時に、下宿先に泊まらせてくれる☆ に~♪ うちの屋敷から学院に通う♪ どうぞ、お好きな方を選んでください。あ、機関長さんが反対されるなら、私が交渉するので心配しないでください☆」
「………………」
機関長! お願いですっ!! どうか……どうか、この子に負けないでくださいっ!!!
僕は、僕は貴方のことを心から信じて――。
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