「……此処は君が来る場所じゃない」と僕は告げた

 僕が通うカニンガム学院は、帝国最古の魔法学院だ。

 伝統と格式を感じさせる古い石造りの校舎は重厚で、僕好み。

 だけど、正直、学業には興味がない。

 半年、講義を受けて理解した。この国の魔法技術は機関長が操るそれに比べて、数段劣っている。

 所詮、僕が『学生』なのは機関の『任務』に過ぎないのだ。

 でも、嫌な建物よりは良いと思う。中でも暗くて、人がいない書庫は最高だ。多くの古書、奇書を模写し、報告することも出来るし。


 ……の、だけれども。


「どうかしましたか? クレイク」

「…………」


 書庫の古い椅子に座り、放課後に押しかけて以来、ずっっっと、僕を見つめている美少女が話しかけてきた。

 殆ど太陽の光が差さないこの場所でも、金髪は輝いている。

 浮かんでいるのは満面の笑み。何がそんなに面白いのだろうか……。

 古書を閉じ、溜め息を吐き、文句を言う。


「……此処は君が来る場所じゃない、と思います。コレットさん」

「つーん。失格です。はい、やり直し。名前で呼んでください。『世界で一番可愛い僕のクロエ』と♪」

「何の試験ですか。別に失格でも構いません。ほら、そろそろお屋敷からの迎えが来る時間ですよ? 待たせちゃまずいでしょう?」

「つーんつーん。失格、二度目です。あ、でも……」

「な、何ですか」


 クロエが突然、口籠った。

 そして、頬杖をつきニコニコ。

 ……とても気恥ずかしい。

 機関では、こういう時にどうすれば良いのか教えてくれなかった。早急な訓練が必要と具申しておかないと。

 古書の表紙をさすりながら、本棚を眺める。

 模写し、機関へ送った古書、奇書は今頃、解析が進んで――クロエが口を開いた。


「私が帰る時間、どうして、知っているんですか?」

「――……そんなの、この学院にいる生徒ならば、知らない人はいないと思います。もしかして、僕が君の行動を気にして、全部知っていると? 残念ですが、そんなことはありません」

「ふっふっふっ~♪」

「……何ですか、その顔は」


 クロエの笑みは崩れない。

 ほわほわな顔で僕を見てくる。……小さい頃、よく見た顔だ。


「確かに、私は馬車で学院に通っています。けどですよぉ~」

「あ、ち、ちょっと」


 細い指で頬を突かれる。

 これまた、小さい頃によくされた。


「曜日毎の詳細な送り迎えの時間なんて、誰も知りません。私を半年間も無視しつつ、気にしてくれていたんですね。嬉しいです♪ ……私に告白してくる他の男の子を、助けようとするのは、ちょっと優し過ぎですけどね~」

「…………」


 頬を突かれつつ考える。

 まずい。これはまずい。非常にまずい。

 クロエはとても頭が良い。一を知れば、百を知る。おそらく、すぐに父親である侯爵の企てには辿り着いてしまうだろう。

 ……問題はその先。

 僕の正体――


『某国、某秘密機関諜報員』 


 という事実にまで辿り着く可能性がある。

 そうなったら……僕は、クロエの細い指を優しく掴んだ。

 少女は、びくりと身体を震わし、ほんのりと頬を染める。


「……クレイク、ちょっと乱暴なんですね。でも、初めてのキスはもう少し、ドキドキしてからが、私いいです♪」

「……何を言っているんですか。そんなことはしません。仮にも侯爵令嬢がはしたないですよ?」

「貴方相手なら問題ありません。私の唇は貴方だけのものですし♪」

「…………僕は学院生活を平穏無事に過ごしたいんです。自分の御立場を考えてください」

「そうですね。それじゃ、私とお付き合いしましょうか?」

「どうして、そうなるんですかっ。……はぁ。ほら、行きますよ」


 僕は溜め息を吐き、古書を鞄に仕舞った。先は下宿先で読もう。

 クロエの指を離し、立ち上がり入口へ向かう。


「クレイク、帰るんですか?」

「……帰ります。何処かの侯爵令嬢に平穏を乱されたので」

「なら、私も帰りま~す。夕食はうちで? それとも、貴方の下宿先で?」

「僕は下宿先。君は御屋敷です」

「つーんつーんつーん。はい、三回目の失格です。クレイク・クレイトン君は、私、クロエ・コレットの言う事を聞かないといけません★」

「……僕には関係ない話ですね」


 肩を竦め、そのまま扉を開ける。

 ――クロエが回り込み、にっこり。

 この顔を僕は知っている。小さな僕をからかった悪戯好きな少女。


「いいんですか? そんなこと言って」

「…………何が言いたいんですか?」

「ふふふ……私、知っているんです」


 クロエは右の人差し指を顎につけ、可愛らしく微笑んだ。

 ……あ、これ、まずい。

 僕もまた微笑み、廊下に出ようとし、両手で押し止められる。


「クレイク、御父様に何か頼まれていますね?」

「――……いいえ、頼まれていません」

「ふふふのふ~♪ 小さい頃と一緒です。嘘をつく時、ちょっとだけ間があるんですよね★」

「……そんなことは」

「この前も言いましたけど、私は貴方のことが世界で一番好きです。大好きです。だから、他の男の子とか興味がありません。無駄な努力だと思います。な・の・で」 


 クロエが一歩前進。僕は一歩後退。

 再びクロエが前進。ま、まずいっ! 本当にまずいっ!!


「私と貴方が付き合えば、万事解決だと思います」

「し、爵位の差っ! 差があるからっ!!」

「愛の前にそんなものは無価値です。具体的には、貴方が学院首席卒業すれば解決します★」

「む、無茶なっ! だ、第一、入学以来、首席な侯爵令嬢がいて」

「点数、私が調整します♪」

「…………」


 約十年ぶりにあった幼馴染が、昔と変わらず、僕に無理難題を出してくる。

 けれど、僕にも任務がある。

 学院内に保管されている可能性がある、というとある神代の古書を探し出す、という任務が。

 学内で目立つのはまずい。あくまでも、密かに動かなければ……クロエが僕の左腕を捕獲した。

 そして――囁かれる。


「(――大丈夫ですよ。クレイクが密偵でも、私の愛は変わりませんから。任務の変更交渉、私がしても良いですよ? こんな国、綺麗さっぱり一度解体しても構いませんし?)」

「………………」


 機関長、本当に申し訳ありません。許してください。怒らないでください。

 やっぱり、僕には荷が重かったようです。

 反省文は後日、提出させていただきます。

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