お嬢様と密偵―あの子が幸せになるのなら
七野りく
「分かった。いいよ」と僕は告げた
「……え? 僕に」
「ああ、そうだ! 頼む、この通りだっ!!」
普段は滅多に人もやって来ない学院書庫に少年の大声が響き渡った。
脚立の上から見下ろす限り、とても必死な様子。ふむ。
僕は考え込み、持っていた古書を閉じた。
「分かった。いいよ」
「本当かっ!?」
少年――普段はとても凛々しく漢らしい同級生、バーナード・テニソンが顔を上げた。女の子達が噂するのが、僕でも分かる位に美形だ。しかも、長身で鍛えているのがここからでもよく分かる。
成績も確か彼女に次いでた筈。性格だって、悪い噂を聞いたことがない。
もっと言うと、テニソン家は公爵家で御家柄も完璧ときている。うん――合格。
僕は内心で頷きつつ、脚立を降り、バーナードに話しかける。
「さて――それじゃ詳しく話を聞かせてよ」
※※※
僕が通うカニンガム学院は古い歴史を有する、帝国有数の魔法学院だ。
当然、集まってきている生徒達はそれ相応に優秀で、競争も激しい。
ま、上位を狙うなら、だけど。
僕みたいに学内中位で良いなら、そこまで辛くもない。人には分相応というものがあるのだ。所詮、うちの実家は準爵に過ぎない。
うんうん、と頷き、講義を聞き終えた僕は今日もまた一人書庫へと向かう。
廊下を女子の同級生達が駆けて行く。
「ねぇ、聞いた!?」「うん! 聞いた、聞いたっ!!」「バーナード様が、遂にクロエ様へ告白されるんですってっ!」「すっっごく、綺麗な白と黄色の花束を持ってたらしいわよっ!!!」『みた~いっ』
大変姦しい。
――『クロエ』というのは、クロエ・コレット。
コレット侯爵家の次女で、僕達、カニンガム学院六年生首席。
とにかく綺麗な女の子で、優しくて明るい性格。それでいて茶目っ気もあり、男女問わず大変に人気がある。バーナードとは双璧、と言っていい。
所謂『お似合い』な二人なのだ。
でもそうか……彼は僕の助言を採用したのか。
数日前、書庫でバーナードに頼み込まれたことを思い出す。
『君はコレッド嬢と幼馴染だと聞いた。どうか、教えてほしい。彼女は何を贈られたら最も喜ぶのだろうか?』
上に立つ人物とは彼みたいな人なのだろう。
明らかに格下の相手であっても、必要とあらば、きちんと頭を下げられる。正直、とてもいい奴だと思う。彼女が好きな物、教えて良かったな。
……いやまぁ、今でも好きかは知らないのだけれど。
何せクロエと僕が仲良く遊んでいたのは、それこそ小さい頃までなのだ。
半年前、転校してきたこの学院で再会して以降、会話を交わした記憶は二、三度。
僕等も十六歳だし、好みが絶対に同じ、とは言い切れない。
『今でも好きかは分からないよ? 事前にきちんと調べてね?』
『ああ。感謝する!!!』
念押しする僕へ大袈裟に頭を下げて、軽い足取りで書庫を出て至ったバーナード。健闘を影ながら祈っておこう。
――勿論、彼女の幸せも。
※※※
書庫を出た時、既に陽は落ちていた。今日もまた長居をしてしまった。夕食、何を作ろうかな。
考えながら入口の鍵を閉め、鞄を持ち廊下を歩き始めようとすると――後方から声をかけられた。
「あ、あの……」
「!」
思わず、びくり、とし振り向く。
少し離れたそこにいたのは、灯りの下でも光輝く金髪の女の子――クロエ・コレットだった。前髪を指で弄っている。手には何も持っていない。
僕は、おずおず、と返事をする。
「な、何かな? こんな時間まで残っているなんて珍しいね。暗いし、早く帰った方が良いと思うんだけど……」
「…………」
クロエは無言で僕へ近づいて来た。
……心なしか不機嫌そうだ。
背が同じくらいなので、目線が自然と合う。
「……先程、私、テニソンさんに告白されたんです」
「あ、そ、そうなんだぁ。ふ、ふ~ん……え、えっと、お似合いだと思うよ?」
「勿論、お断りました」
クロエはあっさりと結果を報告してきた。
そしてそのまま、僕へにじり寄り、詰問口調。
「……テニソンさんから、綺麗な花束を差し出されました。しかも、私の大好きな花ばかりで作られた物を、です」
「……好きな女の子のことだから、彼は一生懸命、調べたんじゃないかな?」
「私の大好きな花を知っているのは、この世の中にたった一人しかいません。聞けば、貴方に聞いた、と」
きっぱり、とクロエは言い切り、ジト目で僕を見てきた。ちょっと怒っているようだ。此処は逃げるのが得策か。
僕は曖昧に笑い、廊下を歩き出す。
すると、クロエは隣に並び、歩きながら告げてきた。
「その男の子は、私の為に世界で一番綺麗な髪飾りを作ってくれたんです。それ以来、私の好きな物は変わっていません。――この後、何かご予定がありますか?」
「下宿先へ帰って夕食を作らないと……」
「分かりました。話の続きは食べながらで。途中で食材を買って行きましょうか?」
「…………入れないよ?」
「貴方に拒否権はないと思います。……学内で私を避け続けていましたよね? 私の目配せに気付いてくれていたのに。しかも、しかも、花束の入れ知恵までっ! 今日は絶対に逃しません。テニソンさんには悪いと思うのですが……良い機会です。よろしいですね?」
「…………あは」
「あっ!」
笑みを浮かべ、全力で逃走を開始する。
クロエ・コレット侯爵令嬢と夕食?
冗談じゃない。僕が願うのは穏やかな学院生活なのだ。……まぁ、あとは。
すぐさま、クロエが追いかけて来る。
「待ってくださいっ! クレイク! クレイク・クレイトン!!」
「待たないよっ!」
髪を靡かせながらクロエが僕に迫って来る。……困った子だ。
バーナードは申し分ない相手だろうに。
――彼女の父親に託された任務を思い出す。
『私は娘に、クロエに幸せになってほしいのだ。だが、あの子は私のいうことを聞かぬ……。それ故――君に頼む。クレイク君。密かに娘が幸せになるよう、後押しをしてほしい。各家とは既に話を通してある』
否応なし。僕とて人の子なのだ。
幼馴染の少女の幸せを心から、心から祈っている。……僕では、到底彼女を。
けれど、肝心のこの子が――クロエは僕の背中、目掛け跳躍した。
「クレイク! 私を受けとめてくださいっ!!」
この後、僕が捕獲され、下宿先で一緒に夕食を食べることになったのは言うまでもない。学年首席の力、恐るべし。
帰りの馬車に乗りながら、クロエは僕を脅迫してきた。
「では、おやすみなさい。明日以降もよろしく」
「あ、明日以降は」
「――私、男の子と二人きりで食事をしたの初めてだったんですよ? お願いしますね?」
……雲行きがおかしい。
でも、僕は決して、決して負けない!
必ずクロエを幸せにしてみせるっ! そう――幼きあの日に誓ったのだから。
耳元で囁かれる。
「あ、一応言っておきますけど――私、貴方のことが世界で一番好きですので、悪しからず。必ず、貴方から告白させてみせます。覚悟していてくださいね? 当然、その時は花飾りを作ってもらいます♪」
……どうやら、事態はあらぬ方向へ走り始めてしまったらしい。
これは、僕と彼女が幸せになる物語。
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