最終話 VS未来

 その光景を、大賢者はしかとまぶたに収めていた。

 『地上最強』と『地上最強』が一撃をもって殴り合い、『地上最強』が勝ち残った。『地上最強』は揺らぎ、崩折れ、横臥し、やがて大の字となった。

 大賢者は、己のうちから沸き起こる叫びを、抑え切れなかった。


「カ、カバキイイイッッッ!!!」


 ***


 カバキ・オーカクは天を仰いでいた。『神々の大地』に吹く風が、傷にまみれた体を撫でていく。不思議なことに痛みは感じず、むしろ清々しいほどだった。優しく包まれていると、錯覚するほどだった。


「ああ、負けたかぁ」


 カバキは、口の中でつぶやいた。言い訳のしようのない、敗北だった。奥の奥の手まで振るい、ユージオを押さえ付けてぶん殴り、それでもなお届かなかった。最後の一撃を、許してしまった。


『カバキ、なぜ使わなかった』


 脳裏に、声が響いた。至高竜、虹霓竜のものだった。叱咤というよりは、優しく問い質すような声だった。


「へへ、最後はまっさらに勝負したくなっちまった」


 青空を仰いだまま、カバキは答えた。嘘偽りなき回答だった。そもそも至高の竜に嘘はつけない。つけないが、心の底からの回答だった。


「てか……『魔眼イビルアイ』まで使っちまったら、俺が限界だったよ……」


 ぼやくように、言葉を放つ。言い訳ではない。最強どもから力を借りるだけとはいえ、人の身で魔の力を振るうには限界があったのだ。仮に真の『魔眼』が放たれていたならば、ユージオの身体は石となり、カバキの剛拳に砕かれ、絶命していたであろう。


『足りなんだ、か』

「うん」


 カバキは素直に、不足を認めた。同時に、彼は思う。あと一歩、あるいは二歩か。手の届き得るところまでは、ユージオを引きずり下ろせた。悔しくはあるが、不思議な充足感もそこにはあった。


『動けぬ、か』

「無理っぽいね」


 虹霓竜の問いかけに、カバキはうなずいた。戦の残り火は、未だ身体に燻っている。しかしどんなに己を強いたとしても、先刻までの闘志が立ち上ってくる気配は皆無だった。使い切ったと、認めざるを得なかった。


『わかった』


 虹霓竜から、重い声が響いた。瞬間、カバキは意識が引っ張られる感覚を得た。安堵の世界へと、遠のいていく感覚。いけない、これは。


「おい、この戦は俺の」

『汝の不甲斐なさに反吐が出た。後は任せろ』


 その声を聞いたのを最後に、カバキは意識を手放した。


 ***


 暫くの眠りの後、ようやく起き上がったカバキ・オーカク。しかしユージオ・バールは、その正体をひと目見ただけで喝破した。


「やはりテメエまでは殴り抜けなんだか、虹霓竜」

『……』


 ユージオからの声に、虹霓竜は無言をもって応えた。七色の威光――カバキが纏ったものより強い――を纏い、虹彩を虹色に染めたカバキは、一見すると今までの傷をすべて洗い流したかのようにさえ思えた。


「だんまりかい」


 無言のままの虹霓竜に、ユージオはさらに言葉を続けた。凶相でもって、睨み付けた。しかし虹霓竜は、無言を貫いたままだった。


「そうかい。まあいい。『次』はキサマらごとブチ抜いてやる」


 答えぬ虹霓竜に、ユージオは一方的に宣言する。戦闘の打ち切りとも取れる、奇妙な発言だった。


『次、とは』

「次だ」


 ついに口を開いた虹霓竜を、だがユージオは一太刀で切り捨てた。有無を言わさぬ姿はしかし、戦闘終結を焦っているようにも見えた。


『さては手負いか』

「手負いだな。キサマもそうだろう?」


 虹霓竜の問いかけを、ユージオはいともあっさりと肯定した。事実ユージオは色褪せていた。容貌魁偉と凶相、筋肉にくの漲りはそのままだが、鋼を殴りつけた両の拳、撃ち抜かれた四肢、その他各所の傷は限界だった。今こうして二本の足で立ち、あくまで強い言葉を放っているのは、奇跡に近いと言っても過言ではない。


『否定はせぬよ』


 虹霓竜――正確には虹霓竜が操るカバキ・オーカクの身体だ――も同じだった。虹霓竜の手によって表面こそは整えられたものの、その内実は立つのもやっとといったありさまである。一度ひとたびマトモに攻撃を受ければ、たちまち崩壊するのが目に見えていた。


「だから『次』だ。同じ喰らうにしても、より美味い『餌』を喰いてえ。それだけだ。カバキ・オーカクにもよく言っておけ。次は容赦しねえとな」


 ユージオは今度こそ会話を打ち切った。虹霓竜から背を向け、『神々の大地』を歩み始めた。傷痕に重ねて、新たな傷が痛々しく残る背中を見やりながら、虹霓竜は大きく息を吐いた。


『なんとかなったか……』


 ユージオには聞こえぬよう、小さくボヤく。なんのことはない。至高の竜は最初から、カバキを守るためだけに前へ出たのだった。カバキの不甲斐なさをなじったのは、己が出るための理由作りに過ぎなかった。


『次の相対は何時になるのか……』


 虹霓竜がつぶやいた。神ならぬ己には、邂逅の期日などわかりもしない。一年経たぬ内に出会うかもしれないし、十年を超えても出会えぬかもしれない。されど、一つだけ。分かっていることがあった。


『カバキもあやつも、進み続けるのだろうな……』


 そうしてユージオの背が消えるまで見送った後。カバキ・オーカクの身体は静かに崩折れた。


 ***


「未来が、変わった」


 カバキ・オーカクを魔法で回復させながら、大賢者は独りごちた。ユージオ・バールは決戦を生き残り、更には人の領域に踏み留まった。彼は、既に神からの意志を受け取っていた。


 ――ユージオ・バールは現状、我が敵にあらず。バグではあれど、我を食い破るにはあたわず。

 ――さっくり言えば、『世界の敵』ではなくなった、と。

 ――当面は様子を見る。……精査を広げれば、まだまだ虫には事欠かぬようだったからな。


 最後に余計な情報が増えた気がするが、今の大賢者には関係のない話だった。苦労するのは、ユージオであり、己ではない。


「やるべきことが、増えたからの」

「増えたのか。いいことじゃないか」


 大賢者の独り言に、割って入る声。治療を受けている、カバキ・オーカクその人だった。虹霓竜の気配はない。至高の竜はどうやら、カバキの中で憩っているようだ。大賢者は、胸をなでおろした。


「さんざん引っ掻き回したからの。他国の手を借り、時をも越えた。ある程度の、『原状復帰』をせにゃならん。おちおち死んでもおられんわい」


 自己責任でありながら、スラスラと愚痴をこぼす大賢者。しかもカバキは乗ることなく、己の問いを優先した。


「そう。で、ユージオは?」

「去った。おそらくは大森林を抜け、王国へ戻る腹積もりだろう。追うか?」


 大賢者も会話を切り替える。降って湧いた未来のことを思うよりも、気が紛れるからだった。


「いんや」


 カバキは首を横に振った。体を起こして、言葉を続ける。遠くの空に目をやれば、闇の時間が近付きつつあった。


「今から追っ掛けても、まだ追っ付かない。ついでに、夜の大森林はおっかないから」

「まだ届かぬか」

「もうちょっとだけどね。ソイツが遠いんだ」


 それきりカバキは、遠くへ視線を向けたままとなった。大賢者には意味が読み取れず、手持ち無沙汰と成り果てた。そのまま手をこまねいていると、カバキが再び口を開いた。


「……一応、止めたよな」


 いつでも悠然としていた男にしては、妙に力のない言葉だった。大賢者は、幾ばくか考え込む。『止める』の意味を測りかねていた。


「……ユージオは生き残った。この大地から、息災で出て行った。アンタの言ってた、未来は消えた。だから、止めたことにはなるんだろうけど」


 常ならざる物言いに、大賢者は恐る恐る、カバキの顔を見た。そして開いた口が塞がらなくなった。カバキはその人懐っこい相貌に、涙を浮かべていた。大粒の涙が、頬から滴り落ちていた。


「約定は守ったのに、涙が溢れる……ちくしょう。コイツは一体、なんなんだ」

「それが、『負けた』ということだろうの」


 大賢者は多くを語らず、次の『仕事』へと乗り出した。『神々の大地』には夜が訪れ、カバキの涙を覆い隠した。


 ***


 酷寒期。道行く人々が着膨れし、足早に道を歩む季節が訪れた王都。その大通りを、王城から出ていく方に行く四頭立ての馬車があった。側面には『王国大将軍・ベルンディー家』の紋が描かれ、道行く人々を押しのけていく。その内部には――


「傷はどうだ」


 片目に刀傷を宿し、口周りには灰色混じりの髭を蓄えた男。王国大将軍、ゴルニーゼ・ベルンディーと。


「愚問だな」


 凶相に容貌魁偉。総髪に酷寒期には似合わぬ軽装。『地上最強の生物』ユージオ・バールが座していた。


「それもそうか」


 ゴルニーゼが、葉巻に火をつける。御者が渋い顔をして己を見るが、彼は全く意に介さなかった。臭いが嫌われようが、嗜好品は欠かせぬものだ。ゴルニーゼはたっぷり煙と香りを堪能し、吐き出す。白煙がふわりと、二人の男を包んでいった。


「王都のアレコレも一段落ついて、ようやく互いに身軽になった。……次は、どこへ行く」

「さあな」


 ユージオは小さく答え、軽くあくびをした。このところ、あくびがどうにも止まらない。非常に苛立たしい。寒さが勢いを増すこの時期に王都を離れる決断をしたのも、それが原因だった。刺激を、欲したのだ。


「俺は、俺よりも強い奴に会いに行く。それだけだ」


 馬車が静かに、城門へと迫っていた。

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その男、異世界最強生物につき~俺より強い奴に会いに行く。立ちはだかるなら押し通る~ 南雲麗 @nagumo_rei

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