第29話 VS同類

「おお、おお」


 ユージオとカバキが干戈を交える戦舞台から、二百歩の距離。大賢者は二匹の獣を畏れ、わなないていた。彼はユージオのあるべき未来を知っている。彼に訪れる未来を知っている。だが今、その未来は霞んでいた。軋んでいた。


「なぜだ。カバキ・オーカク。なぜ至高竜の威光を解いた」


 荒れた大地に膝をつき、打ち震える。目からは涙さえもこぼれていた。彼には全く、支離滅裂な戦が続いていた。


「わからぬ……だが、ユージオは……」


 涙でぼやけてなお、彼の目はユージオ・バールを見据えていた。一時は人ならざる領域まで進歩し続けていた男が、今はカバキと丁々発止の戦に終始している。その意味が読み取れぬほど、彼は呆けていなかった。


「いずれは至高竜さえも踏み越えると。踏み越えるための時間すら耐え抜くと。カバキは直感した。そう見る他ないというのか」


 だとすれば。大賢者は推測する。


「カバキは、ユージオを……引きずり下ろしに行ったのか」


 大賢者は、カバキの出した答えにたどり着いた。大賢者には理解できる。できてしまう。ユージオが人の領域を踏み越えれば、その先にあるのは神による世界からの排除である。だがユージオを引きずり下ろすことができたらば。


「ユージオに好敵手が生まれ、ユージオが神を穿つ日は遠くなる……」


 大賢者は、絶句した。まさかそういう止め方があったとは、思いもよらなかった。ユージオがこの世界から消失する。あるいは敗北して死に至る。そのどちらかしかないと、勝手に思い込んでいた。


 ――俺が止めるからさ、大丈夫だ。


 言葉が、脳裏に浮かぶ。カバキが暫く前に放った言葉だ。かの時は結局己の妄念を打ち明け、暗黒の未来を語りつけた。カバキに勝利への期待を押し付け、彼の怒りに触れてしまった。だが。しかし。


「本当に、本当に『勝負をして止める』というのか。殺さずに、どうにかするというのか」


 振り返る。カバキは、真っ当な勝負を求めていた。しがらみのない戦を、求めていた。今一度、二百歩先の光景を注視する。大賢者から見れば、カバキの求めていたものは実現されていた。


「いっそ勝て。勝ってしまえ……」


 力なく、大賢者はつぶやいた。未だ未来は、揺蕩っている。しかし生まれた軋みは、もはや塞き止められそうになかった。


 ***


 塞き止められぬのは、両者の戦も同様だった。二匹の獣は、互いに戦意を曝け出し、己の持ち得る暴力をぶつけ合っていた。


「シャアッッッ!」

「シイイッ!」


 カバキが爪を起点に腕の白刃を振るう。ユージオは筋肉にくでは受けず、引き付けて紙一重でかわす。しかし避けるだけには留めず、拳を打ち出して追撃を抑止した。


「こんのっ!」


 拳を見切って動きを止めたカバキに、ユージオは大地を蹴りつけ砂塵を起こす。本能がカバキから視界を奪う間に、ユージオは飛び退きから再襲撃までの段階を踏む。無論全てが雷速、稲光を伴った瞬時の動きだった。


「くたばれ!」

「なんの!」


 足を狙った超速の蹴りを、カバキは飛ばずにわずかにかわす。先人の、最強たちの技能を『先読』に切り替えたのだ。事実時を同じくして、亜竜による肉体強化がかき消えた。筋肉の膨張がかき消え、カバキ自身の体へと戻る。ユージオはこの機を逃さず、左の突きを打ち放った。


「もらった!」

「いんや、まだだね!」


 カバキが右で迎撃する。交差する一撃はしかし、どちらの拳もが互いに突き刺さった。カバキは仰け反り、少しして立て直す。だがユージオは頬を押さえ、二、三歩揺らいでから踏みとどまった。彼には似つかわしくないことに、口から血溜まりを吐き出した。一呼吸してから、口を開く。


「『鋼肌はがねはだ』ァ……。防御だけかと思ったが……」

「使えるものなら、なんでも使うさ」


 今度はカバキが動く番だった。頭部に追い打ちをかけるべく、顎を狙って蹴りを繰り出す。しかしユージオは鎧通しの要領で横合いから足を殴りつけた。多少の揺らぎはあれども、前後不覚に陥るほどではない。健在を示す、剛拳の一撃。


「ぐううっ……!」

「がああっ……!」


 互いに唸りを上げ、場に踏み止まる。もはややるべきことは一つだった。全能力、全膂力を尽くした我慢比べ。終わるまでは、この泥沼からは出られない。奇妙な確信が、両者を支配した。


「だらぁ!」


 先手を取ったのは『地上最強の生物』。左のフックを、カバキの頬へとめがけて放つ。


「ふんぬ!」


 しかし『職業ジョブ・地上最強の生物』は右腕でフックを防御し、反撃の左を内臓めがけて繰り出す。ユージオは肘と膝で挟んでそれを止める。骨が軋む痛みに、ユージオは歯噛みした。歯噛みはしたがうめきはしない。それどころか、左の蹴りを浴びせに掛かる。脛を引っ叩く。次の瞬間、ユージオはカバキの左足を踏み付けた。


「なんのつもりだい」

「手品は見飽きた」


 ユージオが拳を構える。カバキは先を読んだ。己が殴られる未来が見えた。抵抗を試みるが、足の踏み付けが強まる。足を折られるわけにもいかず、『鋼肌』をそちらに回した。そして。


「オオシャアアッ!」


 ユージオの殴打が、頬を穿った。それだけではない。往復ビンタめいて、逆の拳もカバキを襲った。慌てて腕を構え、防御を固める。しかし三撃目は、防御の上からカバキの意識を刈り取った。


「ぐおあああっ!?」


 拍子を合わせて踏み付けの足が外され、カバキの身体は容易く物理法則に従った。殴られるままに吹き飛んだ。なんという膂力。なんという剛力。だがしかし、ユージオは筋肉にくを漲らせていた。傷痕の絵も、消え失せてはいなかった。油断皆無。ただただ緊張し、残心していた。


「ぬあっ!」


 カバキは、無理に立とうとは試みなかった。敢えて吹き飛ぶに任せ、頭部を守って地面に着弾し、勢いが衰えるのを待った。一回、二回と大地を跳ね、三度目でようやく四肢を地面に食い込ませた。指先、足先の力を全力で地面に伝える。その瞳は、未だ死してはいなかった。とある決意とともに己の全てを振り絞り、解き放った。


「あ゛!」

「応!」


 浅黒い弾丸が、大地を蹴る。今度はユージオが迎え撃つ形になった。低く、低く。足の筋肉すべてを使って、カバキが己を制御する。十歩、七歩、三歩。両者の間合いが瞬く間に迫る。そして。


「ぬぅん!」

「うっ!?」


 低く、顔を伏せて突進していたカバキが、三歩の間合いで初めて顔を上げた。その瞳は金色に光り、ユージオの動きを押さえ付けた。伝説の魔王が備えた百八の能力が一つ、『魔眼イビルアイ』である。直視してしまったユージオは、そのまま地面に縫い留められ――


「オオオッッッ!!!」


 カバキの拳、その全力を顎に受けた。顔が上がる。ツバが重力に逆らう。歯が軋む。鼻水が吹き出す。意思に逆らって、目から水が溢れる。そして身体が、宙に浮く。


「が……あ……っ」


 ユージオは舞った。鋼肌の剛拳ではないが、カバキの全力の拳である。意識は打ち払われ、一度目のバウンドまで目覚めなかった。天を仰ぎ、地に伏せるまで、ユージオは己の身に起きた事実を理解できなかった。二度目のバウンドを経て、地面に倒れて。そこでようやく事態を飲み込んでいく。己はカバキに殴られた。目を見た瞬間、縫い留められた。あの目はまさしく。


「ど、瞳術の類、かぁ……」


 ユージオは立ち上がった。もっとも、流石にしばしの時間がかかった。カバキは敢えて追い打ちせず、その時間を己の回復に使った。いかに『職業ジョブ・地上最強の生物』とはいえ、ここまでの疲弊と損傷は確実に身体を蝕んでいた。残心し、緊張を解かない。それだけで精一杯だったのだ。


「そうだよ」


 カバキが、ジリジリとユージオへ迫る。先ほどまでの全速力ではない。魔眼という奥の奥の手を駆使したカバキの体力は、もはや意地と矜持プライドだけで動いていた。


「そうかい」


 しかし疲弊しているのはカバキだけではない。ユージオもまた、足を引きずりながら近付いていた。この場に至るまでの痛みを受け入れてしまえば、今にも崩れ落ちる。彼自身が自覚していた。自覚しているが故に彼は己を奮い立たせ、痛みを拒絶し、身体を動かしていた。凄まじい意志力である。


「いい加減に決着ケリ付けようや」

「そうだね」


 どちらからともなく、互いの距離を指呼の間に定める。ユージオは身体をねじり、右腕の筋肉にくを漲らせた。カバキに背を向ける形となり、傷痕連なるおぞましき絵が視界いっぱいに展開される。

 しかしカバキは意に介さない。いい絵とのたまう余裕はなくとも、動じはしない。ユージオと同じく右腕を振りかぶり、筋肉を漲らせる。上半身すべての筋肉が、ギチギチに張り詰めていた。


「くくっ」

「なにがおかしい」

「いんや。俺たち、似た者同士だったんだなって。意地っ張りの、痩せ我慢で、大馬鹿同志だ」

ちげえねえな」


 互いに拳を構えたまま、最後の言葉を交わし合う。不思議なことに、事ここに至りて二人はようやく互いを理解した。似た者同士だと理解した。しかしだからこそ、決着はつけねばならなかった。互いの拳を、ぶつけ合わねばならなかった。


「オオオッッッ!!!」

「邪ッツッ!!!」


 刹那の後、二人は互いの拳を己が身体で受け合った。

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