紅桜の連理

四季

紅桜の連理

 ひらりひらりとそよ風に乗せられて一片の花弁が舞い落ちる。見渡すと限りの紅と桜の絨毯がなだらかな斜面に沿って広がっている。この光景を余すところなく楽しめるようにつくられた遊歩道は眼前の雰囲気を壊さないように柵も竹で造られている。その道には広がる景色を楽しむ観光客が各々ゆっくりと歩いていた。

そこから数歩外れた斜面の裏。この山でも一、二番に歳を重ねているかもしれないくらいに大きく枝を広げた桜の樹の下。ただ一人、その満開に咲き誇る桜の花を見上げている。広がった枝は隣り合った樹と絡み合いまるで手をつなぎ合うようにそこに佇んでいる――。




 お話の時期と季節ががらり変わり今は雪がしんしんと降り積もる真冬。とある高校の昼休みに一人の女子生徒が体育館の入口から館内を覗き込んでいる。

「ああ、吉野よしの先輩……カッコイイ……。」

 彼女の表情を一目見るだけで視線の先の男子生徒に恋い焦がれていることは一目瞭然。敢えて「もしかして先輩のこと好きなの?」と聞くのは、春に咲き誇る桜の樹の下、ブルーシートを広げる人に向けて「もしかしてお花見してるんですか?」とわざわざ聞くくらい意味がない。

 視線の先でバスケットボールに興じる男子生徒の機敏な動作を見ながら、その少女はぐっと伸ばしたカーディガンの袖口でニヤついた口元隠していた。漏れた息がふわりと真っ白に染まる気温の中、その寒さに身体を震わせることも忘れて館内の彼をじっと眺めている。

「先輩とお付き合いして、結婚したら……吉野 さくらになるなー。やだーいい名前。ソメイヨシノみたい。えー、古風で素敵。」

 片思いのはずなのにすっかりと誇大妄想に囚われた彼女へそっと近づく人影が一つ。

「ソメイヨシノは奈良の桜の名所、吉野山にあやかって名前を付けられた昭和に開発された近代種だぞ。」

「ぎゃー!びっくりしたー!」

 彼女の後ろからすっと近づいた男子生徒はそっと耳元でTPOをわきまえないトリビアを披露する。

「もう紅葉もみじ!急に現れるのは止めてよって前から言ってるでしょ!」

 女子生徒に怒られているのに、眼鏡をかけた男子生徒なぜか無表情でVサインを決める。

「桜が隙だらけでな、ついしてしまった。許してくれ。」

「もー。しかもまたどうでも良い知識を私に植え付けるし!古風っていい感じに妄想してたのに、昭和とか言われたらなんか、こう、ショックじゃん!」

 身振り手振りを交えて怒りを伝えてる女子生徒は春野はるの さくら。それを意にも介さず無表情で怒られている男子生徒は十月とつき 紅葉もみじという。紅葉は彼女の怒りを受け流して言葉を続ける。

「あとソメイヨシノは自家不和性が高いからソメイヨシノ同士では種子が発芽することはできないぞ。」

「あぁー!また夢のないことを!要らない。その知識要らないよ!」

 桜は紅葉の言う言葉がそれ以上に聞こえないように耳を塞いで首を大きく振りかぶる。

「ああ、それでも日本で一番に人気のある桜であることは間違いないな。」

 彼女の様子を見て紅葉は話の方針を変えて言葉を続ける。

「そ・れ・は、フォローになってない!なってないよー!」

「そうか……。」

 紅葉は意図していた結果が得られなかったのか少しだけ首を傾げる。

「もー。また私の邪魔してー。」

 桜はそんな彼を無視して、視線を元に戻し体育館の中の男子生徒を眺めようとする。

「桜、ほら。」

「ん?何?」

「昼飯食べてないだろう。ほら、ちゃんとせめてスープくらい飲めよ。」

 紅葉はすっとポケとから桜にコーンスープの缶を手渡す。

「わ、あつあつ。」

「今日も寒いからな。身体冷やすなよ。」

「なによ。気が利くじゃない。もう、いつもありがとう。」

 紅葉はそんな彼女に渡せたことに満足したのか、そっと去っていった。二人は生まれた頃からの幼馴染。桜が傍からみて怒っているように見えても心の底から彼に怒っていることはなかった。

「ふーん。何だったんだろう……。あ、そうだった。」

 元の目的を思い出した桜はぽんっと手を叩いて体育館の中を振り返った。ただ、無情にも予鈴が鳴り響く。その音を聞いた体育館の生徒たちは片付けを始めてしまった。

「あー終わってるじゃん……。くそぉ。紅葉ぃー。」

 恋路なのかストーキングなのか怪しい線引の行為を邪魔された彼女は幼馴染の彼に恨み言をつぶやき、がっくりをと肩を落として教室へと帰っていった。残念ながら恋い焦がれる相手に直接アプローチをする勇気は無いのだった。




 また時期と季節ががらり変わり、春の柔らかな陽射しが降り注ぐ陽気な日。昼休みに校舎の3階から中庭を覗く桜の姿があった。

「えー、先輩の隣にいるの誰……。」

 彼女は相変わらず男子生徒を眺めることしか出来ていなかった。ずっと男友達と遊んでいた彼の隣には綺麗な黒髪の女子生徒が並んで座っているのが見える。

「あんな子いたの……しらない……。」

 悪い妄想に取り憑かれた彼女へそっと近づく人影がまた一つ。

「あの子は紫雲木しうんぎさんだね。この前転校してきた後輩だよ。たしかバスケットボール部に入ったはず。」

 まるで呼びかけられた音声アシスタントのように検索結果を桜に伝える。

「わっーーー!」

 その耳元の声に驚いた桜は覗き込んだ窓辺から落ちそうになる。そんな桜をそっと紅葉は制服を引っ張って支えた。

「もう紅葉!また急に現れて!」

「そんなに急だったかなあ?」

 紅葉は変わらずの無表情のまま首を傾げる。

「急すぎ!でも今回はナイス情報!でかした!」

 素性が分からなかった恋敵の情報を手に入れた桜はもう一度ぐっと目を窓の外へ凝らす。

「ちなみに、紫雲木っていうのは世界3大花木にも数えられるジャカランダの和名だ。紫色の重なった円錐系の花弁を垂らす。メキシコやオーストラリアでは日本の桜のように花見を楽しむ文化が――……。」

 紅葉のトリビアがまた始まったけれどもその言葉たちを右から左に受け流して桜は恋敵をじっと見つめる。

「あー。近いよ、近い!手触れそう!」

「――花言葉は名誉、栄光だな。」

 その花言葉の示す印象通り先輩の男子生徒の隣の女子生徒は自信に満ち溢れたような表情をしている。

「あー。あぁー。その情報は別に要らない……。」

 校舎の廊下でのたうち回る桜をそっと友人たちが見守りながら、その横には紅葉が相変わらず寄り添っていた。



またまた時期と季節ががらり変わり桜の葉を散らせる秋風が吹き荒れる日。桜の心中も嵐が到来したかのように落ちついてはいられなかった。

「先輩……紫雲木さんと帰ってる……。がーん!」

 颯爽と現れた恋敵はこの夏の間に恋い焦がれる先輩との距離を急接近させたのだろう。仲睦まじく寄り添って下校する姿を見た桜は傷心に打ちひしがれる。

「くそぉ。私にもっと勇気があれば……。」

「桜。まだアプローチしないのか?」

「できたらもうしてるよぉ。また紅葉急に来てー。もー。もう驚いてないけどさー。」

「桜は名前の通りに繊細なやつだな。」

「うるさーい。紅葉は名前の通りみたいには明るくない。」

 遠目に映る男女の姿を眺めながら桜は口元をぐっと歪めて悔しがる。握られた手はぐっと震えていた。

「桜?もしかして泣いているのか?」

「うるさーい……。紅葉のあほー。」

 瞳を涙で潤わせて視界が歪む彼女はひと目をはばからずぽろりと涙をこぼしそうになっている。

「桜、こっちにおいで。ほら、ハンカチ。」

「んー。ありがとうー。ぐすん。」

 正門から少し外れた道の奥。春になれば一面に咲き誇る桜の木々の中でも一番大きな樹の下で桜は決壊したように涙をこぼす。花だけではなくて葉も散ってしまった樹には枝しか残されていない。

「私の恋、散っちゃったなあ。もう咲かないのかなぁ……。」

 そっとその近く寄り添う彼は言葉を絞り出すようにつぶやく。

「桜の木は、葉を早くに散らしてしまうとホルモンバランスを崩してしまって春だけじゃなくて秋にも花を咲かせる事がある。例えばアメリカシロヒトリの幼虫が夏に葉を食い散らかしてしまうと冬と勘違いした桜の樹は秋になって花を咲かせてしまう。まあ、所謂狂い咲きと言われるやつだよ。」

「何だそれはー。慰めなのかー。狂い咲きってなんか自棄みたいじゃんー。紅葉センスなさすぎー!」

 涙に瞳を濡らしながらいつもどおりに彼に突っ込みを入れる。

「ダメだったか……?」

 言葉を十分に選んだつもりだった紅葉はまた首を傾げる。少しだけ表情は無表情ではなく焦っている。

「ダメだよー!くそぉ。はぁ……。怒るのもアホらしくなってきた……。帰って寝る……。」


「なら――十月じゅうがつ さくらになれば、四季になんども花を咲かせられる。」


十月じゅうがつ……、なにそれ。どうやったらなれるのさ。ふん。」

 鼻を鳴らして桜は踵を帰して正門へと向かい始める。幼馴染が気を使っていることは分かるが今日はさすがにそんな気分ではなかった。

「ん。十月じゅうがつ?」

 彼の言葉を反芻する。そして、振り返る。

「紅葉、もしかしてそれって告白?」

 いつも無表情な紅葉の顔が名前の通りに少しだけ赤く染まっている。

吉野よしの さくらの代わりに十月とつき さくらになったら何度でも花を咲かせられる。だから、その……だな……。」

 珍しく歯切れの悪い幼馴染の様子。彼はいつもの饒舌な様子からは想像もできないくらいにしどろもどろしている。

「桜、先輩じゃなくて、俺じゃあダメか?」

 これが春野 桜と十月 紅葉、二つの季節を冠した幼馴染から恋人へのターニングポイントだった。



 お話は冒頭の季節と時間に巻き戻る。季節は十月の秋。観光客でひしめき合う目の前の光景は四季桜、別名十月桜の花が満開に咲き誇る光景と紅く染まった紅葉が一度に並んでいる。

さくら、急に道外れるから見失ったじゃないか。」

「んーごめんね。でも気になってさ。紅葉もみじはこれが見せたかったからココに連れてきてくれたんでしょう?」

 振り返った彼女はむかえにきた彼の手を取りにっこりと微笑んだ。


 広がった十月桜の枝は隣り合った紅葉と絡み合いまるで手をつなぎ合うようにそこに佇んでいる――。並んだ二人が手を取り合うように。




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紅桜の連理 四季 @siki1419

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