創作の役に立つ本達
基礎技術本
小説を書く前段階として、「わかりやすい文章を書く」という基本から始めるための本。
『作文・小論文の書き方』 編・就職作文研究会 池田書店
小説とはかなり縁の遠い本ではあるが、原稿用紙の書き方の解説でお世話になったこともあり、掲載。
要するに就職試験に合格するための実戦的な作文の書き方というわけで、読者を強く想定して書く就職作文の心構えは、小説を書く上での心構えに通じる部分がある。
自分だけが気持ちいい独りよがりな文章を書いても誰も読んでくれないのは、就職論文でも小説でも一緒ということである。
『悪文-裏返し文章読本』 著・中村明 ちくま新書
レポートの書き方の本。つまりは、こういうレポートはダメですよという反面教師的なものを踏まえつつ、実用的な文章の書き方を解説している。
読者が読みやすいように気配りした文章を書く技術というのは、様々な文章創作で必要になる技術である。小説だからわけのわからない文章を書いていいというものではない。
小説の技術本
「小説の書き方」について具体的に書かれた本。本レポートが直接参考にしている書物なので、できればこれら原文にも当たっておく方がいい。
『新版・シナリオの基礎技術』 著・新井一 ダヴィット社
シナリオライターのための入門書。
もちろんシナリオと小説とは別物なので、全てが小説の役に立つわけではないのだが、キャラクターの設計やプロットの作り方など、流用すれば役に立つ技術も多い。
特にプロットの書き方やキャラクター造形の仕方などは、意外と小説の技術本には詳しく書いていなかったりするものなのだ。
『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』 著・渡部直己 スガ(糸圭)秀美 太田出版
辛口批評家どもが、有名な作品の一場面を取り上げつつ小説の技術に関して解説している本。実例が挙がっているのでわかりやすい。
ただし、この本は技術解説本というよりも、愛と憎悪に満ちた悪口本の側面が強い。このくらいの悪口には耐えられる精神がないと、小説家なんてやってられないだろう。そういう意味では、精神面を間接的に鍛えてくれる本でもある……かも。
『本気で作家になりたければ漱石に学べ!』 著・渡部直己 太田出版
「それでも~」の続き本。夏目漱石の各作品を取り上げ、テクニックの分析・解説をしている。基本的な部分から高度なことまで、日本語小説のテクニック解説本としては非常にわかりやすい。
技術面に特化した「小説の書き方」系統の本はないので、これは重宝するだろうと思う。
『文章読本』 著・谷崎潤一郎 中央公論新社
日本語小説の書き手ではトップクラスの技術を誇る、谷崎潤一郎の技術本。ちょっと古めの本だが、十分今でも使える。
無駄な装飾に対する批判、「」、。!?などの記号に頼る文章への批判など、いちいち鋭い指摘が、半端な書き手の肺腑を抉る。
文章に対して本気でぶつかる小説家ならではの視点だと言える。
『キャラクター小説の作り方』 著・大塚英志 講談社現代新書
角川スニーカー文庫系(ライトノベル)の作家志望を主にターゲットにした技術本。角川スニーカー系の小説の特徴や諸問題を積極的に取り扱いながら、文学の領域にまで話を広げているあたりがこの著者らしく、読み物としてもなかなか面白い。
技術本としては、特にライトノベルの書き手にとって即戦力となるポイントを重点的に紹介しつつ、精神的な面へも言及している。特筆すべきなのは、プロットの書き方やキャラクター造形の仕方に関して、きちんと言及されている点。この手のやり方を丁寧に解説しているものは意外と少ない。
ここまで本気でライトノベルについて書いている本はそうない。ライトノベルをどこかでナメている人は、一度読んでおくといいだろう。
『サルまん-サルでも描けるまんが教室 21世紀愛蔵版-(上・下)』 著・相原コージ 竹熊健太郎 小学館
まんがの描き方の基礎からストーリーの練り方、商業まんが家としてデビューするための方法、デビュー後に発生するトラブル、挙げ句には業界から干された後のことまでも描いた即戦力型のまんが描き方本。
「売れる」という一点に絞った実践的なテクニックが紹介されており、特にキャラクター設定やストーリーをテンプレート化して、簡単に水準以上のお話が作れる方法を紹介している箇所などは、娯楽小説を書く上でも大いに参考になる。
小説の書き方本は少なからず文芸を意識した方向に偏りがちで、ここまで「売れ線」のみを考えて特化した講義本は存在しない。その欠陥を補う上で、本書は役に立つだろう。
純粋にまんがとしても面白い。
ただし、あくまでまんが用のテクニックなので、小説で応用するには自分で工夫する必要はある。
精神・思想
今現在小説を書く上で、避けては通れない知識を得るための本を紹介。これら思想の重箱の隅を突く必要はないが、いまどき記号論の基本的な知識もなく文章を書くのはとっても危険。
『記号論への招待』 著・池上嘉彦 岩波新書
記号論を簡単に解説している本。小説が扱う「言葉」とは何なのか? という根源的な問題を問うもので、これからものを書く人にとって、自分が一体何を扱っているのかを知っておくことは損ではないはずである。
ただ感覚的に扱うのと、その仕組みを理解して扱うのとでは、同じ扱い方でも全く次元が異なる。記号論をさわりだけでも理解すれば、自然と言葉の選定が洗練されてくるはずである。
ちなみに記号論を理解すると、何が差別的な発言であるかもわかってくる。自分が無意識の内に差別小説なんぞを書いてしまわないためにも、記号論はかじっておいた方がいいだろう。
『小説-いかに読み、いかに書くか』 著・後藤明生 講談社現代新書
小説を書くためには、小説を読まねばならないという、当たり前のことを気づかせてくれる本。読書体験から、それをどのように自分の作品として成立させていくかの実例を「作家論」という形で展開してみせる本である。
広範囲にわたって様々な作家や作品が取り上げられ、言及されるので、自然とそれらの作品を読まざるを得なくなり、結果、結構な読書をさせられる本でもある。焦って読了しようとせず、じっくりと対象作品を読みながら挑んで欲しい。
『構造と力』 著・浅田彰 勁草書房
無駄に難解にみせる書き方をしているため、かなりとっつきの悪い印象を与える本なのだが(特に第一章の序盤はひどいが、わからない単語は無視して読み進めても問題ない)、構造主義からポスト構造主義までの哲学的な変遷や、それによって得られる新しい考え方を、比較的わかりやすく解説している本。
内容も充実しているが、特に役に立つのは最後に収録されている表だろう。哲学史がどういう流れで発展していったのか一目瞭然。
ちなみに「序に代えて」というはしがきの部分は、何気に人生の役にも立つので、そういう意味でも読んでおいて損はない。
『はじめての構造主義』 著・橋爪大三郎 講談社現代新書
『構造と力』は文章が難解で読みづらいという欠点がある。そこで、構造主義の入門書としておすすめなのが本書。
文学に詳しくない人でも理解できるように書いた、とする著者の思惑通り、構造主義について書かれた本の中では群を抜いてわかりやすい。もうちょっと早く出会っていれば私も楽をできたのに、と思わされた一冊。
この本や『記号論への招待』を読んでから『構造と力』を読むと、内容がより分かり易くなるだろう。
『エクリチュールの零度』 著・ロラン・バルト 訳註・森本和夫、林好雄 ちくま学芸文庫
現代の小説の解釈法に多大な影響を与えたロラン・バルトのデビュー作。『零度のエクリチュール』とも訳される。文体とは何か、小説を書く際に、人は何に縛られ、何を選択しているかについて論じている。現代において小説について考えるのに、ロラン・バルトを知らないのでは話にならないので、文学者でなくてもこの本は読んでおくといい。
ロラン・バルトは学者のくせに読みやすい文章を書く人で、その上本文は文庫本にして120ページもなく、圧倒的に読むのが楽な部類である(文庫の後半は訳注等)。ただ、ソシュールの記号論をある程度理解していないと、何を言っているのかわかりにくい可能性はあるので、先に『記号論への招待』、『はじめての構造主義』あたりを読んでおく方がいいかもしれない。
みすず書房から新訳が出ており、これはこれで素晴らしいものだが、文庫サイズで安価ということで、ちくま学芸文庫の方を紹介しておく。
なお、文学をやっているなら、同じく小説の文体について論じているミハイル・バフチンの『小説と言葉』も読むことになる。ロラン・バルトの方が洗練されているので、技術的にはもはや必読ではないが、重要な一冊ではあるので、この手の問題に興味があるなら読んでおくといいだろう。特に『ドン・キホーテ』と併せて読むのがおすすめ。日本の国語教育における小説読解が時代遅れの骨董品であることもよくわかる。
『文学部唯野教授』 作・筒井康隆 岩波書店・同時代ライブラリー
文学部で行われる文芸批評論の講義がわりとまるまる収録されている小説。これを読めば、文学を論じるのに何を読んでおけばいいのかだいたいわかるため、文学部に行く必要は半分くらいなくなる。もちろん、この作品の講義だけ読んだらばっちりというわけではなく、挙げられている文献を読む必要はあるが、この点は大学の講義でも同じこと。
なお、この小説が好きなら、奥泉光の『モーダルな事象』は必読。直接どうということはないが、明らかに本作を意識しているはず。
小説
ここで紹介している作品は「小説を書く上で使える技術の使用例」としてわかりやすいものを取り上げている。そのため、技術力を重視する「文学」領域の小説が多くなっているが、扱われている技術のそのものは文学に限らず、どんな小説を書くにしても役に立つはずである。
『ドン・キホーテ』 作・セルバンテス
娯楽小説にしろ、文学小説にしろ、近現代の小説のほとんどはこの作品の血を引いている。その理由は読んでみればわかる。今で言うところの中二病に冒されたおっさんが、自分も伝説の騎士だと勘違いして冒険の旅に出て方々で迷惑をかけるストーリーは、少し手を加えるだけでそのまま現代のライトノベルでも通用するものになり、と同時に、文学批評やメタ・フィクションなどの手法は、これまた現代の文学作品としても通用するものとなっている。つまり、私たちが「斬新だ」と思い込んでいる手法の多くは、すでにセルバンテスがやっており、無知だから斬新なように思えるだけだったりする。
逆に言うと、今時ほとんどの人は(文学者を名乗る人間ですら)『ドン・キホーテ』を読んでないので、この作品を読んで真似すれば、斬新な作家扱いされるわけである。バレたらバレたで「『ドン・キホーテ』のオマージュです」と言っておけば格好が付く。
2001年に岩波文庫より牛島信明・訳の新版が出て、だいぶ手軽に読みやすくなった。
『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』 作・奥泉光 文藝春秋
芥川賞作家が渾身の力で書くバカ小説。文学小説を書く作家がこれだけプライドを擲って純粋な娯楽小説を書くのは珍しい。
読みやすく、その割には密度の高い文章、そしてキャラクター小説としての完成度も高いので、ライトノベルや大衆小説を書く人は、この作品は必読。文学的要素皆無の笑えるだけの小説を書くにしても、技術の引き出しの多さがどれだけ重要かを思い知らせてくれる。
『坊っちゃん』 作・夏目漱石 新潮文庫
方言やインテリ語など、様々な言葉が入り乱れて衝突し合う作品。会話文の特徴付けによって見事に登場人物を色分けし、言葉の違いによる齟齬が対立を生み、物語を形成する。会話文の技術を盗むにはこれ以上ない手本となる作品。
そもそも夏目漱石は大衆小説の書き手で、読者受けするために実戦的な技術をふんだんに使っている。ジャンルを問わず日本において小説を書くなら、夏目漱石を参考にしない手はない。
『吾輩は猫である』 作・夏目漱石 角川文庫
飼い主が仲間同士で世の中について語ったりしているのを猫が傍聴し、批評を加える「だけ」の小説。アニメでいう『サザエさん』タイプの走りとも言える作品で、決まった筋はなく、風変わりな登場人物達の日常風景を猫が傍観するという一定のスタイルで延々と続く。
文体や時代背景が当時の流行に沿っている分、今の私たちが読むには若干の困難を伴うが、だらだらといくらでも続けられる連載娯楽小説の原型である本作は、それでいて高度な描写力と個性的な登場人物によって支えられ、ただの娯楽小説にとどまらない風格を備えている。
小説書きなら一度は読んで、遊びで書いた娯楽小説ですらこのレベルで仕上げてしまう漱石の手腕を戒めとするべき。
『杳子・妻隠』 作・古井由吉 新潮文庫
日本語で書かれた三人称小説としては最高峰の技術を誇る作品。その技術によって描かれる、病的にして美しい世界は必見。特に冒頭の幻覚的な視点変化は強烈なインパクトを与えるだろう。
技術的な部分を差し置いても、酩酊しているかのような読みごこちは一回体験する価値はある。
『白鯨』 作・メルヴィル
凶暴な白い鯨、モビーディックを仕留めるのに生涯をかけたエイハブ船長とその仲間達の物語。
海洋文学として名高く、聖書からの引用(登場人物名の由来が旧約聖書)などでも有名な作品。そして、某コーヒーチェーンの名前の由来でもあるスターバック航海士も登場する。
しかし本作がとりわけ特徴的なのは、物語の合間になぜか鯨に関する蘊蓄が延々と挟まれている点。聖書に出てくる鯨に関する記述について、鯨の生態について、鯨が登場する諺集など、物語に何の関係もなくところどころに挿入されている。
この形態がいいのか悪いのかは判断が難しいところだが(文学的評価としては、あの延々と続く蘊蓄が、エイハブの鯨に対する執念を表現していると解釈されることが多い)、ともかく「こういう形の小説もある」ということは知っていて損はないだろう。うまく応用すると面白いものが書けるかもしれない。
この蘊蓄は、この作品を小説として読もうとしている人にとっては鬱陶しいだろうし、文学部の課題などでさっさと読んでレポートを書かにゃならん時には怒りさえもこみ上げるが、暇なときに蘊蓄の部分だけ読むと結構面白い。
『白鯨』にはいろんな翻訳があるが、今読むなら、講談社文芸文庫の千石英世・訳か、岩波文庫の八木敏雄・訳(古い岩波文庫だと訳が異なるので注意)がおすすめ。
『城』 作・カフカ
いつまで経っても城にたどり着けない話。カフカの『変身』は読書感想文の材料として読んだ人は多いだろうが、カフカの真骨頂はこの作品。未完だが、そもそも「城にたどり着けない話」など終わらせようがない。
いくら読んでも何の意味もなく、終わりもしないという酷い作品だが、この作品を体験することで、何かが開眼するかもしれないし、しないかもしれない。
なお、最初から最後まできっちり読む必要は全くないし、飛ばそうが途中でやめようが構わない。
『蜂アカデミーへの報告』 作・後藤明生 新潮社
家に蜂の巣ができて駆除する様を「蜂アカデミー」へ報告する、という形で書かれた作品。実話か作り話かさっぱりわからない調子で続くこの小説は非常に奇妙。それほど珍奇な出来事があるわけでもなく、ただ蜂と格闘する様を報告するだけの小説が、なぜこれほどまでに面白く、怪奇なのだろう。今まで当然のように存在していたはずの現実と虚構の境界線が破壊されていく感覚は爽快であり、空恐ろしくもある。
絶版して久しい(私も手元にはない)ので、大きい図書館の閉架書庫から引っ張り出してもらわないと読めないだろうが、その手間をかけてでも読む価値のある作品。これには「小説」の概念を根底から突き崩してしまう破壊力がある。
なお、『白鯨』を下敷きにした作品なので、併せて読むのがおすすめ。
2020年現在、Amazonで電子書籍版が出版されている。
『挟み撃ち』 作・後藤明生 講談社文芸文庫
「小説とは、読み、読まれるものだ」という原理を、高度に小説として昇華させた作品。
作中の過去と現在、現実の世界、ゴーゴリの「外套」をはじめとする別の小説の世界と、様々な世界が絡み合うことで作品を構築し、あげくには作者と読者、作品と実世界の境界すらもあいまいにしていく。
「作者」や「読者」という、あたりまえの小説の構造すらもさりげなく破壊しようとする野心を、笑いや道化、冗長な台詞によって覆い隠す本作品は、地味でありながらも非常に鋭い。
『罪と罰』 作・ドストエフスキー
要は主人公が殺人を犯して自首する話なのだが、その話の筋とは関係あったりなかったりする変な登場人物たちが勝手にストーリーを展開しては本筋を妨害し、あるいは助け、ひとつの小説を形成している。
強烈なインパクトの登場人物を複数登場させ、しかもそれを本筋との関連性とは無関係に色濃く作中に登場させる手法は、「本筋に関係してないエピソードは入れてはいけない」などという「常識」に縛られた書き手や読み手には衝撃をもたらすであろう。
ちなみに、そういう構成ゆえ、話の筋を理解したり、誰が誰か判別できるようになるには、ちょっと手間がかかる。
光文社古典新訳文庫の亀山郁夫・訳は、一見読みやすそうだが日本語が変なところがあるので、今読むなら角川文庫の米川正夫・訳(を米川和夫が現代風に書き直したもの)か、新潮文庫の工藤精一郎・訳がおすすめ。
また、この作品は連載小説なので、分厚い本に嫌気が差す人は、月イチ連載のつもりで一ヶ月に一章ずつ追加して読む形を取るとだいぶ精神的にも楽になると思われる。
『吉野葛・盲目物語』 作・谷崎潤一郎 新潮文庫
文章の視覚的効果をも使った、「盲目物語」のひらがなばかりの超絶文章は必見。句読点などの記号を必要最小限に使用し、かつ読みやすい本作品は、本当の意味での文字芸術の神髄を見せてくれる。
『ノヴァーリスの引用』 作・奥泉光 集英社文庫
恩師の葬式の帰りに飲みに行った四人が、大学時代に謎の死を遂げた学友について語り出す。語られることによって過去は動きだし、思い出すほどに謎は深まっていく。
書かれていないことなど何もなくなってしまったと言われる現代において、「何もない」ところからここまで濃厚なミステリーをひねり出してしまう技術は大いに参考になる。
『アフリカの印象』 作・レーモン・ルーセル
言葉遊びによって抽出された単語をつなぎ合わせて物語を作り出すという、独特の手法で書かれた作品。現実離れした出し物が次々に現れては消えていく、眩惑的な小説である。後半部では一連の出し物が一体何であったのかという謎解きが行われ、一種のミステリー小説の形態を取っている。
言葉遊びを用いた手法自体も注目に値するが、それよりも参考になるのは、現実世界の常識に束縛されない着想を得るために、別の世界の法則を利用するという発想そのもの。
私達は現実世界の住人であるため、何の手がかりもなく自由に発想すると、知らず知らずのうちに現実の観念に囚われてしまう。本当に現実離れした出来事を書くには、数学や物理、文法などの別の世界の法則に基づいて抽出された言葉を用いるしかない、というわけである。
『トリストラム・シャンディ』 作・ロレンス・スターン
表向きはトリストラム・シャンディの生涯を描いた小説……ということになっているのだが、いつまでたってもトリストラム・シャンディ自身の話にならず、次々と話は脱線し、時間軸は右往左往し、幕間には見せ物小屋の司会のような語りが怪しい解説を行い、登場人物が死ぬと紙面を真っ黒に塗りつぶし……と、およそまともに展開しない。
本作は「小説」というメディアそのものを風刺したギャグ小説であり、小説の常識を逆手にとってひたすら読者を馬鹿にし続け、ありとあらゆる手を使ってからかうのに全力を尽くす。作者死亡で未完に終わっている作品で、そういう意味でも最後まで読者を馬鹿にした小説だといえる。
一度は体験しておいて損のない小説ではある。真面目に読む類の小説じゃない、ということを念頭に置いて、適当に流し読みするのがおすすめ。
『パンツァーポリス1935』 作・川上稔 電撃文庫
架空世界でありながら、実際にこの都市が存在しているような錯覚を覚えさせるほどの存在感を与えている作品。
架空世界の設定・構築の仕方、それにリアリティを持たせるためのさりげない情報の出し方など、設定を小説内にとけ込ませる技術を盗むには最適。
『クライムクラッカーズ外伝』 作・中井紀夫 ファミ通ゲーム文庫
ゲームやアニメを題材にした小説の中では、素材のアレンジの仕方が非常にうまい作品。
原作を逸脱しない範囲で、うまく登場人物や設定を自分の扱いやすい方向に味付けしており、ゲームをプレイしたことのある読者と、原作を知らない読者のどちらでも読める質を維持している点は見事。ゲーム『クライムクラッカーズ2』の原作補完の小説であると同時に、単独の作品としての質もしっかり維持している。
二次創作をやるにも実力が必要という見本。
(2020年の今となっては、原作のゲーム自体がクラシックになってしまった。この本も入手困難なのではないか)
『バナールな現象』 作・奥泉光 集英社文庫
大江健三郎『個人的な体験』を下敷きにした……というよりは、踏み台にして原作の息の根を止めた感すらある恐ろしい小説。
『個人的な体験』が、アウトロー気取りで冒険の旅に憧れながら、結局は日常に帰って普通の生活に戻ってしまう小説であるのに対し、本作は日常に「帰りたい」主人公が、どんどんと非日常の世界へと飲み込まれていくという真逆の作りになっている。
存命中の作家の小説を本歌取りして、ここまで辛辣なものを書くのはいろいろ問題ではあるが、二次創作をやるには賛美と批判の両方が備わって、初めて良いものができる、という点ではいろいろ参考になる作品。
文字精錬研究部:カクヨム移植版 涼格朱銀 @ryokaku
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