向いてない



 早朝の廊下を進んでゆく。


 登校時間にはまだ早く、校舎には人影は見当たらない。


「――ああ、もう」


 苛立たしく海子は自分の胸を何度もたたく。さっきから緊張で胸がどうにかなりそうだった。歩を進めるたび、心臓の鼓動が強く暴れまわり周囲の音が聞こえ辛い。


 こんな状態で理路整然と話すことができるだろうかと不安になってくる。


 深呼吸をしてから校則委員会の扉をノックする。


「はい」という返事を受け、入室する。


「失礼します」


「ああ、星さん。どうしたの? こんな時間に」


 篠崎が机でコーヒーを飲みながら、スマホを眺めていた。


「1Bの堀江ゆかりの件で報告したいんですが」


「ああ……なにか、不純異性交遊は認められなかったってね」


 なにげなく返された言葉に動揺が走る。すでに話を知っていることは誤算だった。


「だ、誰から聞いたんですか?」


「もちろん鷲崎くんからだよ」


 告げられた名前に舌打ちがもれる。もう先手を打たれているとは思わなかった。総一郎よりも早く、ことの顛末を報告するために朝早くに登校した意味がなくなる。


「なんでも友達に騙されて停学になりそうだったんだって? かわいそうだねえ」


 やはり由美のことは悪く伝わっているようだ。


「そ、それなんですが……」


「うん、なんだい?」


「その子の処分はどうなるんですか?」


 意を決して発した言葉だったが、篠崎は興味がないのかスマホ画面に指を走らせている。


「さあ? 簡単な経緯は聞いたけど、まだ報告書も提出されていないからね。決めるのはそれからだよ」


 想像していた展開と違う。


 この場で篠崎を説き伏せれば、由美のことを救えると思っていた。そのために昨日は遅くまで作戦を練って、今日は早起きした意味がなくなってしまう。


「その、彼女なりの理由がありまして」


「あ、そうなの? ふーん」


 視線をこちらに向けることなく、コーヒーを片手にスマホへ視線を落としている。チラリと視線を向けて覗くと、なにかの広告を見ている。たぶん漫画のポイントを貯めるやつのようだった。


「ちょっと聞いてください」


 また頭に血が昇りかけたが、冷静にならないといけない。


「うーん聞いてるよ。まあそこらへん、しっかりと報告書に書いてきてよ」


「え? わたしが書くんですか?」


「そりゃあキミが担当してるんでしょ? 鷲崎くんからそう聞いてるよ」


 報告書はあくまで客観的に事実を記載しなければならないが、その内容が大きく処罰の左右に関わる。つまり海子にはまだチャンスが残っているということだった。


「センパイがですか?」


「うん。その虚偽の報告をした生徒についての処罰も、キミの意見をちゃんと聞いてあげてくれって昨日言われたよ」


 どうやら昨日のうちに報告を済ませていたようだ。休日なのによくやる。


「う、うそ……」


 海子の小さな呟きは、篠崎には届いていなかったようだ。


「まあ不純異性交遊じゃないならなんでもいいから、早く報告書もってきてね」


「あ、あの……」


「な、なんだい」


 なんだか信じられずに、無駄なことを口走ってしまう。どうしても篠崎の真意が知りたかった。自分は由美を退学にするべきではないと思っていることを伝え、どう反論されるのか見極めなければならない。


「高林由美さんなんですが、――」


「ああ、嘘をついちゃった生徒?」


「は、はい。本人は、その……騙すつもりはなかったらしく、なりゆきでそうなってしまったみたいで。わたしは被害者の堀江さんにも原因があると思いまして、本人も反省していますし退学はいきすぎた処罰かなって考えているんですけど」


 気持ちが先走りすぎて、うまく順序立てて説明ができず焦ってしまう。


「ははっ、まあそこらへんは文章にして下さい。……それとちゃんと担任の先生に相談して作成してくださいね」


「ああ。はい」


 なんだか拍子抜けだが、どうやら校則委員としては由美を退学にしようとは今のところは考えていないようだった。篠崎の口ぶりからすると、総一郎がなにか言ったのだろうか?


 頭をひねりながら、教室へ向かう。


「よう」


 廊下の壁に寄りかかる総一郎に声をかけられる。


「センパイがなにか言ったんですか……」


 一昨日のこともあり、思わず仏頂面になってしまう。


「とりあえず篠崎は不純異性交遊の取り締まり以外は、あまり興味ないから心配しなくていい。お前がちゃんとした報告書を上げれることができれば、その意向通りになるんじゃないか?」


 やはり総一郎の口添えがあってのことらしい。さすがに興味がないとはいえあの態度は不自然だった。海子の後ろにいる総一郎を信頼してこそのものだったのだろう。


「どうしたんですか? 考えが変わったんですか? それとも変なものでも食べたんですか?」


 海子が皮肉を言うと、総一郎はどこか神妙な顔をする。


「まあそうかもな。あの後、堀江からも連絡があって同じようなこと言ってたよ。……自分にも非あったから、高林の処分を軽くしてくれって懇願された」


「堀江さんが?」


「そう」聞き返すと、総一郎は壁から背を離し海子と向き直る。


「お前は堀江のこと嫌っているから、あいつもお前には心うちを話せなかったんじゃないか?」


「そんなことは……」


 思わず言葉を詰まらせる。そう言われると、由美から相談を受けた印象を持ったまま彼女に接したことは事実だった。


「あるかもしれないです」


「ああみえて気が小さくて繊細なのかもな。だから虚勢をはって強気な態度をとる」


「わたし……いろいろ間違ってたんですね」


 海子から見れば堀江ゆかりは嫌な人間だったが、逆に彼女も海子には同じ印象を持っているだろう。彼女の表面だけではなく内面を知ろうとさえすれば、今回のことはただの内輪もめで解決できたのかもしれない。


「正解なんてない。つまりは間違いもない」


 世の中、本当に良い人間などいない。そしてたぶん、本当に悪い人間も滅多にいないんじゃないか、って海子はそう思った。


 誰もが悪いことなどないし、誰もが悪いともいえた。


「先輩……そ、そのう」


 海子が言いにくそうに髪を梳くと、総一郎はビクリと反応し身構える。


「な、なんだよ?」


 よっぽど殴られたことが効いているようだった。


「いや……怖がりすぎです」


「ほっとけ」


 少しマヌケな姿に、頬がゆるんだ。その瞬間、いろんなものが海子から抜けでた気がした。 


「殴ったことすみませんでした。それと……いろいろありがとうございます」


 深々と頭をさげる。色んなことを学んだ気がしたのだ。顔をあげると、海子はすっきりとした顔をした。


「わたし、やっぱり校則委員に向いてないです」


 星海子は最期にそう付けたし、


「向いてる奴なんかいないよ」


 鷲崎総一郎はそう返した。







 星海子編 了




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不純異性交遊ヲ禁ズ 見る子 @mirukosm3

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