ハンバーガー
インターホンを鳴らし続けしばらくすると、無機質なチャイムがやっと反応を見せる。
「星さん?」
スピーカーの向こうから聞こえてくる音声は、高林由美本人だった。家の明かりが真っ暗だったので留守かと思ったが、やはり家に帰っていたようだ。
「うん」
「なんで?」
どこか突き放すような口調だったが、めげるわけにはいかない。海子だって覚悟を決めてここに来たのだ。
「ご飯する約束でしょ?」
そう言って、マクドナルドの袋を掲げる。自分でも苦しい言い分だと理解しているが、思いつかなかったのだから仕方がない。
ブツリ、という音と共に通信が切れる。拒否されたのかと心配になったが、しばらくすると玄関の扉が開き、由美が泣きはらした顔をのぞかせる。
「入りなよ……」
静かな声が暗やみに溶け込んだ。
真っ暗な玄関に明かりが灯される。高林家に足を踏み入れると、自分の家とは違う匂いがした。
「おじゃましまーす」
声をひそませて、一応あいさつを口にする。
「家の人は?」
「今はいない」
由美はこちらを見ずに、二階へと上がってゆく。慌ててその後を追った。
パチッと電気を付けて入った部屋は、由美のイメージ通りに可愛らしさがありながらも、小ぎれいに整頓されていた。
「おー、シャレてますねえ」
わざと陽気にふる舞うが、由美は無反応だった。
「どうして家知ってるの?」
背中ごしの由美にそう尋ねられる。
「ま、まあ……校則委員の特権ってやつかな」
苦笑いをすると、由美は質問をつづけた。
「それでなにしにきたの?」
ただ力ない声でポツリと言う。
「いやー、お腹減っちゃって。ハンバーガー買ってきたよ。どれ食べる?」
「なんでもいい」
てっきり断られると思っていたのに、すんなりと手を差し出してくる。なんとなく由美が好きそうだと思って買ってきたフィッシュバーガーを手渡した。
「あたしはテリヤキー」
子供の頃から変わらない。ハンバーガーを食べる時はこれだと決めている。
包み紙をむくと美味しいそうな匂いが漂い、空腹感が刺激される。大口を開けて多少オーバーにかじりついた。
「うんうん。やっぱ美味しい美味しい」
大袈裟に喜んでハンバーガーを口にしながら、横目で由美の様子をうかがう。両手でハンバーガ―の包みを持って、放心したように動かない。
「あ……フィッシュバーガー嫌いだった? ベーコンレタスにする?」
「あ、ううん」
力なく首をふって、由美はハンバーガーを口にした。
もしゃもしゃガサガサ、と咀嚼音と包み紙の物音が奏でられる。海子が腹ペコだったのだ。きっと由美もそうだったに違いない。ひと安心だと胸をなで下ろす。
しかしすぐに、うっ、うっと由美の嗚咽が聞こえてきた。
涙を流しながら、由美はハンバーガーにかじりついていた。何かがきっかけになったのだろう。こぼれる涙は頬をつたって、床を濡らした。
なにか声を掛けようと口を開くが、なにも言葉がでない。差し伸ばした手も、結局虚空を撫でて止まってしまう。ただ何もせずここにいることしかできなかった。刺激しないように、ゆっくりとハンバーガーを食べきる。
「どうしても許せなかったの……」
ひとしきり泣いた後、由美はそう呟いた。
くしゃりと丸められた包みを、さらに握り込む。
「あの子に言われたの。……ひがまないでよ、って」
置かれているテレビの黒い画面に、二人の姿が反射している。ベットを背もたれに二人で床に並んで座っている姿は、なんだか自分たちではないように思えた。
「私、ゆかりと一緒に居たくて同じ高校に入ったのにな……」
どこを見るでもなく、由美は声をふるわせる。
「そうだったんだ」
「みんなには大地くん目的って思われてるけど」
ポツリと漏らされた言葉に、海子は苦笑する。
「やっぱり知ってるんだ。私が大地くんのこと好きだったってこと」
海子の反応で察したのか、由美は瞳をほそめた。
「う、うん」
「最初はね、私と仲良くなったんだ。クラスが一緒になってよく喋るようになったの。それから三人でも話すようになって……すごく楽しかった。たしかにあの頃は大地くんのこと好きだった」
だった、と過去形でそう口にする。
「でもすぐに気づいたの、彼はゆかりのほうが好きってことに……」
当時を振り返っているのか、なかなか言葉にできないようだった。海子はゆっくり促すように、声をかけた。
「それで諦めた?」
「どうなのかなあ? 彼がゆかりを好きなことは納得したし、それでいいと思ってた。でも心の奥底では違ったのかな、自分でもよくわかんないや」
ぼんやりとした視線は、きっと過去を眺めているにちがいない。
「そんな気持ちよりも、ゆかりのほうが大事だったのに……」
彼女なりに事実を受け止め、身を引いたのだろう。
「そ、その……二人は付き合ってたの?」
おずおずと海子はそう質問を口にする。
「ゆかりと大地くん?」
「うん」
静かに首をふって否定した。
「結局うまくいかなかったみたい。ゆかりはああいう子だし。でも二人ともマイナーな映画が好きでよく出掛けてた。二人の話題に入っていけなくて、どちらかといえば大地くんに嫉妬してたかなあ」
きっとそれはどこにでもある青春の一ページだったのかもしれない。友情と恋愛の間で懊悩するのは、そう珍しいことじゃない。
「高校で二人は同じクラスになって、もっと親密になっていった。でも校則があるから、停学になるようなマネはしないでって私言ったの」
少し間をとって、由美は静かに海子に視線をやる。
「同じクラスの子が停学になったから」
「えー、それはなんというか……」
目に涙を溢れさせていたが、初めて彼女はクスリと口元をゆるめた。
「そしたら……ひがまないでよ、って」
彼女の瞳は光を失い、悔しそうに口端を歪ませる。
「冗談なのかわからないけど、それからは何かあるたびにからかわれた。失恋したとかフラれたとか、嫉妬深いって。しつこいから……ある日、すごく腹が立って言い返したらケンカになっちゃって」
友人を心配して助言したことが、嫉妬してるなんて言われれば怒るのも無理はなかった。ましてや過去の失恋を冗談のように揶揄することなど、あまり良い趣味じゃないと海子はおもう。
「だから仲直りしても、ずっと許せなかった」
その気持ちは、痛いほど理解できた。
「それで堀江さんを停学にしようと計画したの?」
ゆっくりと丁寧に海子は尋ねる。
「け、計画? ふふふっ」
由美は意外そうな顔をして、吹き出した。本人にとっても思いがけないことだったらしい。
「なんだか漫画みたい」
「じゃあ……なんで、そ、そのわたしに相談に来たの?」
「最初は本当に、ちょっとびっくりさせてやろうくらいの気持ちだったの……」
由美は少し寒そうに膝を抱えた。
「校則委員から注意を受けたら、ゆかりも私が言ったことが正しいって後悔するんじゃないかと思って。そんな馬鹿なこと考えてた」
改めて聞くとニュアンス的に、嫉妬からの動機というよりもむしろ逆なのかもしれない。友達のことを思って助言したことが、嫉妬からの行動と思われたくなかったのだ。そういう印象を海子はうけた。
「でもなんで他校の人と不純異性交遊してるなんて、わたしに言ったの?」
一度停学にしたあとに、本命の二回目で退学にするつもりだったのだと総一郎は推測した。それは海子にとって信じたくない事実だし、信じられなかった。
「ちょうど連絡先を教えちゃってケンカした後だったのと、やっぱり大地くんを巻き込みたくなかったのかもしれない」
「どうして連絡先教えたの? ずっと断ってたんでしょ?」
当てつけに教えたと、さっきは語っていた。
「ケンカして言い合いになった時、高校に上がったらそれくらい普通だよって。男子と遊ぶくらいで尻込みしてたら、一生モテないって。そんな奥手だから、好きな人に逃げられるんだよってバカにされたから……」
そう言われた棘がずっと由美の心に刺さっていて、タイミングが合い魔が差してしまったのだろう。
「そう言われたから、じゃあ男と遊べばいいでしょって思って教えちゃった」
口ぶりから、後悔はしているようだった。
「でもその時は、堀江さんを停学にするつもりはなかったんでしょう?」
「うん……さっきも言ったように。びっくりさせてやろうくらいに思ってた」
由美は静かに立ち上がり、スマホを持ってきて画面に何かを表示させて床に置いた。見てくれ、という意味らしく海子は静かに手をのばす。
表示されていたのはあの男と由美のラインのやり取りだった。
読んでみると、あの男が堀江ゆかりに拒否されている旨の内容だとわかる。そして由美に頼み込んで連絡先を聞きだそうとしていることがすぐにわかった。
「これを見せればすぐに疑いが晴らせるかなって」
これくらいでは証拠の価値はないだろうなと海子は思ったが、彼女なりに防衛策を持っての行動だったようだ。
「それで反省すると思った。でも――」
「私が失敗して、火に油を注いじゃった」
海子が言葉をつなぐと、由美と目があった。彼女の視線がなにを意味するのかは理解できない。
「今までで一番ケンカになっちゃった。あの子に叩かれたのも初めて」
友達を陥れたかったわけじゃない。ただ、反省と後悔をさせてやりたかったに違いなかった。自分が言ったことが正しかったのだと、理解してほしかったのだ。
それはどれだけ罪が重いことになるのだろう?
彼女の考えでは、校則委員に注意を受けてすぐに堀江ゆかりが反省すると思ったのだろう。そして「だから言ったでしょう」、ただ堀江ゆかりにそう言いたかっただけかもしれない。
そんなささやかな復讐のつもりだったのだろう。
「それで……もういいやって思ちゃったの」
三度のケンカを繰り返し、彼女のなかで堀江ゆかりは友達という線を越えてしまったのかもしれない。
「もうゆかりなんかどうなっても知らないって。その時に思ったの……」
「なにを?」
「停学になればいい、って」
身体を震わせてそう口にした。生みだされた悪意は彼女自身をも傷つけ、不幸にしていく。
「だから鷲崎さんに相談したの」
「なんでセンパイ?」
「その……噂で、誰でも退学に追い込んでくれるって聞いて」
たしかに校内での総一郎の評価は、不純異性交遊の点数を稼ぐためならなんでもする血も涙もない校則委員だと認識されている。
「そしたらどんどん話が進んじゃって、先生まで出てきて怖くなってきちゃったの。私の嘘も疑われているみたいだったし」
それは一般生徒の認識よりも、遥かに学校が不純異性交遊の取り締まりに力を入れているという証拠だった。とくに新入生は、まだ中学生の頃の感覚が抜けていない時期だ。一年の大半は、まだ普通の学校より少し厳しい校則ぐらいにしか思っていないだろう。
「このラインのやり取りを見せるくらいじゃ、どうにもならないんだって思った」
自分がリークした情報が悪意のある嘘だと暴かれた時、相応の処罰が下されると知って怖くなったのだろう。軽い気持ちでしたことが、自分が思っているよりも事態が深刻になることは誰もが経験していくものだ。
「そしたらたまたま今日、集まる機会ができて……」
思わず自分の嘘を塗り固めるために、魔が差してしまった。
何度もケンカをするうちに恨みが明確化していき、想像以上に事態が大きくなったことで後に引けなくなってしまったのだろう。
「それで今日、わたしと約束をしたんだね……」
たしかにいい気分ではないが、不思議と怒りは沸いてこない。とつぜん誘ってきた理由がわかり、少しスッキリしているくらいだ。
「ごめんなさいごめんなさい……ごめんなさい」
謝罪を繰り返す由美に、海子はなにも答えなかった。
ただ涙を流す彼女の手をにぎった。そしてゆっくりと握りかえす感触が返ってくる。しばらく二人でそうしていた。
「私、どうなっちゃうんだろう?」
ぼそりと膝に顔を埋めて、由美はそう呟く。
「停学になっちゃうのかな?」
「そ、それは……わからないけど」
とても退学になるとは言えなかった。さすがに退学までの重い処分が下るとは考えてはいないようだ。たしかに彼女はひどいことをしたが、それは許されない行為ではないはずだ。悪かったのは、彼女だけではない。
「お母さんになんて言おう……」
やはり親には心配を掛けたくない。その気持ちは痛いほど理解できる。
「わたしの時はなにも言われなかったなあ」
由美と同じように膝を抱え、海子はそう呟く。
「そうなんだ……」
すでに停学になったことのある海子の存在は、不思議と由美にとって支えとなった。同じ立場の人間がいるだけで、少しだけ心の負担は軽くなる。
「うちの学校は停学くらいそう珍しいことじゃないから」
「う、うん」
確かに普通の学校に比べると多いかもしれないが、それでも停学という処罰はおおごとなのだ。しかし悲観的に捉えて、心を痛めても良くはなりはしない。
「だから、そんなに重く考えないほうがいいって」
「で、でも……」
「そりゃあ何かしらの処罰はあるかもしれないけどさ。それをどう受け止めるかは、高林さん次第だよ」
由美は噛みしめるように、その言葉に頷いた。
「……ありがとう」
お礼言われ、海子も思わず頬を緩ませる。
「星さんを騙すようなことしちゃったのに。私の話を聞いてくれて……」
「いいよ。話しかけてくれた時、わたしも嬉しかった」
クラスで孤立している事実は、自分が思っているよりも堪えていた。相談とはいえ誰かに声をかけられる事、そして必要とされることに救われたのは間違いない。
どんな人間でも、味方は必要なのだ。
「だから大丈夫。ぜったい大丈夫だよ」
強くそう言い切った海子の言葉は、由美のなかの不安を拭う。他者の影響は傷つくことも多いが、こうして救わることもある。
「うん」
そう頷いただけの声には、少し力が戻っていた。由美を傷つけていたトゲのようなものが溶けて、暖かい涙となって流れていった。
由美の涙がようやく落ち着いた頃、海子は話題をかえた。
「それよりもさあ」
涙を拭いながら、由美が顔をあげる。
「うん?」
「センパイのあの言い方、ひどいと思わなかった?」
「え、いやでも……悪いのは私だし」
「でもさー、泣いてる女子に最低とか言う? もっと言い方あるでしょ?」
海子が総一郎に対する不満をあらわにする。
「そ、そうかな……」
「あの後、わたしにも言ったんだよ? お前は校則委員に向いてないって、ひどくない?」
「たしかに、ちょっとひどいかも……そんなこと言う権利、私にないけど」
少しずつ由美のガードも下がってくる。
「でしょー、ムカついて殴ったったわ」
右ストレートが空を切る。「――つっ」と海子は顔をしかめた。どうやら殴った時に、手首を痛めたようだった。
「大丈夫? 血出てるよ」
少しだけだが、皮膚から血も滲んでいる。由美はすぐに立ち上がり、救急箱を持ってきた。海子の右手を取り、簡単な手当してくれる。
「ホントに殴ったの?」
「う、うん……ヘタしたら退学になるかも。わたし……」
絆創膏と湿布を貼ってもらう。今頃になって心配になってきた海子の顔色を見て、由美は少しだけ顔をほころばせる。
「あはは、鷲崎さん。びっくりしただろうな」
「バイクから落ちてひっくり返ってたよ。しかも鼻血ブーだった」
こらえきれないと由美はついに笑いだす。
その後、二人で総一郎の悪口で盛り上がり鬱憤を晴らす。そして由美の中に溜まっていた不満はわずかに解消されたのか、表情が戻ってきた。
二人して盛り上がりながら、海子は心の奥で決意をする。
なんとか高林由美の退学を阻止する。
海子自身のエゴでもなんでもいい。自分がそうしたいと思って、それに全力を尽くすことに決めた。校則委員としてこうあるべきだとか、公平性とかどうでもいい。
友達のために、なにかしたいと思うことが悪いことのはずがない。
「そろそろ帰るよ……」
海子はそう言って立ち上がる。ちょうど外から車が停まる音がしたので、親御さんが帰ってきたのだろう。タイミング的にはちょうどいい。
「え? もう?」
由美は寂しそうな顔を浮かべるが、いつまでもお邪魔するわけにはいかない。
「もし……さ。停学になってもわたしは味方だから」
「う、うん……いろいろとありがとうね」
そんなやり取りをした後、階下から由美を呼ぶ声が聞こえた。きっと母親だろう、家族という空気はどこも一緒だ。
由美と一緒に玄関へ降りていくと、人の良さそうな両親に挨拶される。
もし由美が退学などになれば、きっと親御さんは悲しむに違いない。できれば、この人たちの笑顔が損なわれることだけしたくなかった。
「じゃあね」
「うん」
短いやりとりをして、高林家を離れる。
知らない街の夜の雰囲気は、海子の気持ちを少し躍らせた。なんだか少し、自分が変われたような気がしたのだった。
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