壊変召喚のデッキ構築⏎
アメリカは「世界の警察官」ではなくなった、それゆえ戦争を内戦の論理で片付ける論理は失われたと仮定しよう。日本の自衛隊が「平和的人道介入」を行使できるのはアメリカの「人道主義的秩序」に沿うような平和の言説においてのみであり、日本がNATOの平和維持部隊に参加するのは憲法の記述構成に違反するのではなく占領政策の存在意義に関わる違反である。しかし経済制裁の言及はもちろん憲法の規定に関わるものではない。国家の主権は形式的平等では割り出せず中立的な観点の経済的判断は強い方に従う論拠でしかないから問題は経済制裁の名目であり日本はNATOの論理で制裁を行うこともアメリカの論理で制裁を行うこともできずただ「日本の」論理で制裁を行うしかない。なぜなら日本の戦後秩序はパリ不戦条約の規定ではないからである。核兵器の防衛は日本においてのみ民族的な規格でありそのため日本の民族主義的イデオロギーは「戦争自体」への国家防衛という名目があるがメルトダウンの放射能汚染の継承は生物学的遺伝性と民族的継承記憶の遺伝認識を分離する半減期の二重の壊変サイクルになる。問題はこの壊変のサイクルが戦争経済に関するコロナ対策に名目的に関与するということである。国民銀行の貨幣の表象分割が数量的に評価されることが投資としてその国民の欲望に消費的な相関を与えることで労働の利潤のサイクルを好景気にできる継承的構成は、遺伝の影響と遺伝子の連鎖反応の区別がつかず感染のスケールを指数的増加の身体性でしか評価できない。そうなると挙国一致の論理を享楽の自然性として継承性の代理表象にするしかなくなる。なぜなら民族の象徴的基底が戦争の論理を国家として体現する暴力は集団的暴力の性的行使にしかないからだ。しかし享楽は日本では原発事故の享楽でもあるので自己循環サイクルを取り込みの視覚の人気性としてフェティッシュにするしかなくなるのであり、「敵性存在の」繰り込みの低減の操作を自己破壊的な逸脱として演出する障害的な差異にしてしまう。もちろん私の主張は享楽とはファルス関数の分割を否認するための倒錯の代補として形式的差異を維持するための戦略であり召喚の法的な創造を構築する律動性の快楽とは貨幣の分配におけるステップが違うということだ。それは繰り込みの価値を構築サイクルの卓越性として定常的に名指すための確率論的な愛の複製相姦のキャラクターなのだ。
ササヤキノベルフェンシング オドラデク @qwert
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