それでも魔女は毒を飲む

頭野 融

それでも魔女は毒を飲む

 部活が終わって家に帰り着いた。火曜の特別メニューはキツい。カバンを置いて、教科書なんかには見向きもせずに、昨日も開いたページを開く。亡くなった祖母のものだと思われる、丸文字の書き込みを見る。

「n回目の服用量は一回目の分量のn倍にすること」

 昨日は一回目だったから気にしなくてよかったけど、今日は二回目。幸いにも、n回目という表記に慣れなかったが、数列の授業で今日、習った。つまり、二回目は一回目の2倍ミリグラム飲めば良いのだ。だから今日は40 mgだ。

「これは、耐性ができて効果が減るのを防ぐため。ただ、体に良い成分ではないため、注意」

 との記述が続いていた。「架乃、ご飯できたよ。」と母の呼ぶ声がした。


 食事と入浴の後、自室でこっそり昨日の倍、飲んだ。苦い。この様はまるで、法を犯しているようだが、そんなことはない。ただ、自作の薬を飲んでいるだけだ。効能:意中の人とお近づきになれる、この文章を信じて、昨日の夜、おそるおそる飲んだら、今日は有野くんと日直になった。私たちの間が三人、休んだのだ。ノートを開いたまま、今日の出来事を噛みしめる。同じクラスになってから、初めて名前を呼ばれた。黒板を消しながら、初めての共同作業などと思い上がり、一緒に職員室に行った。じゃあ、と言われて、驚きながらも返事をして、彼を部活に見送った。彼、なんて言うと付き合っているみたいだが、それは理想でしかない。


 60 mg分の材料を砕きながら、今日を振り返る。そして、飲む。作り立てが良いと巻末にかいてあったから、今日からこのスタイルだ。この薬は材料も手が出なかった他のものに比べれば身近だし、調合も手軽だ。日直は残念ながら、日替わりだ。ただ、薬も黙っていないようで、有野くんが三時間目の後、私の机に近づいてきた。何事か、と身構えると下敷きを渡された。昨日、日誌に挟まったままだったって。どうやら先生から渡されたらしい。ちょっと高めの澄んだ声にうっとりしつつ、何とかお礼を言う。もっと、かわいい柄にしとけばよかったかな、なんて自意識過剰なことを思いつつ席に着く。でも、これ以上の発展はなかった。そりゃ、ないか。と一人で冷静になる。今思えば、なぜ、一、二限で下敷きがないことに気づかなかったのだろう。そういえば、好きな世界史と英語なのに、珍しく眠かったことを思い出した。集中できてなかったか、と思い、その姿が有野くんに見えてないか、と気にする。


 四回目分をつくり、すぐ飲む。そろそろ、材料がなくなるな、と袋の中身を見ながら考え、今すぐにでも買ってこようか、と思い、すでに12時を回ってることを思い出す。昨晩あんなに飲んだのに、今日は、ほぼご利益なしだった。とはいえ、ちょっとはコミュニケーションを取った。もともと、特別な関係があるわけでもないので、日直がなければ、何もない。お昼に彼の後ろを通ろうとしたら、椅子を有野くんが引いてくれて、ごめん、と言われただけだ。自分でだけ、なんて思った後、今までは別のクラスだったのだから、と思い直す。眠くなってきたから、寝る。


 授業も部活も集中できず、パッとしない日だった。今日は、偶然目が一回あっただけだった。もはや、薬の効果かも分からない。でも、心なしか、笑いかけてくれた気がする。それだけで、満足だ。彼のきれいな目を思い出す。100 mgちょっと大台に乗って恐れている自分も居るが飲んだ。土日を使って材料は調達した。採集する物もあるので、手間取ったが。今日はそんなに苦くなかった。慣れてきたのかもしれない。効果は薄れてないといいが。


 今日は何もなかった。もちろん、有野くんに関してだ。目も合わなかった。朝、私の席を横切っただけだった。水と一緒に120 mgを飲んだ。眠い。もう寝よう。


 140 mg。飲みながら、ぼーっとしていた今日を振り返る。部活でもキャプテンに怒られた。有野くんとは何もなかった。席替えをしたから、授業中に彼の背中を眺められるようにはなったが。息切れがする。彼の顔が頭に浮かぶ。


 今日は何もなかったとは言い難かった。有野くんと目が合った気がして、嬉しかったのも束の間、にらまれた気がした。彼の目がきれいな分、にらまれると刺されるようだった。ただ、自分を見ているというのも、いつもの自意識過剰の一環だろうし、にらんでいたかも分からない。仮に、睨んでいたとしてもいい。そう思って、160 mgを入れすぎた水と一緒に飲んで、寝た。


 今日の昼休み、加藤さん、と有野くんが言ってる気がした。嬉しかった。ついに幻聴か、と思ったが、どうやら他の男子たちも言っているようだった。有野くんとは違う下品な笑いが聞こえてきた。明るい話題ではなさそうだ。他の男子の悪口も聞こえて来た。おそらく、私に対してだろう。目が死んでる、とか、動きが幽霊みたいだ、なんて感じだった気がする。有野くんは同調していなかったはずだが、そう思いたいが、否定もしていなかった気がする。少なくとも、その場で彼らをなだめていた風は無かった。自分の名前が話題に上がっていること、有野くんが自分の名前を呼んでくれたことは、無条件にうれしかった。最近、薬の効きが悪いのだろうか。180 mgを飲んで、苦さも全く感じないし、二日続けていい日とは言えなかった。偶然という言葉も世の中にあるが。今日は部活前に、これを飲みたいと思ったし、今作った200 mgは学校に持って行くことにしよう。作り立てではないが、密閉してあれば鮮度は保てる、とも巻末にあった。密閉できる袋に入れた。


 バタっ。


 部活終わり、忘れ物をとりに教室へ戻った。廊下に重いものが倒れた音がした。少年は振り返り、クラスメイトを認識した。辺りには袋からこぼれた、白色の粉が広がっている。


「加藤さんっ、加藤さんっ。」


 とっさのことだったが、肩をつかみ、少しゆらす。顔は青白く、数日前に顔を見た時より、幾分かやつれたようだった。閉じた目が、一瞬、開き、自分を見た気がした。

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