第3話
少々長い話になるから歩きながら話すよ、とヒュー・バードは言った。
キース・ビー警部補に注意されたローラースケートを肩に掛けて二人はテレグラフ・エージェンシー社への道を歩き始める。
「エド、俺の父親はサセックスの教区の牧師だったんだ。ある理由から――ひどくまずいことをやらかしてその職を解かれてロンドンにやって来たのさ」
ここでクスッと鼻を鳴らす。
「親父が牧師をクビになった理由を聞きたいかい? そっちのほうが興味深いかもな」
「え? いや、僕はその」
「夫ある若妻と恋に落ちたせいさ。手に手を取って駆け落ちしたんだ。中々やるだろ?」
自分はロンドンで生まれた、とヒューは短く言い足した。
「いい親父だったよ。特に聖金曜日は最高だった」
「?」
話の内容がつかめなくて鼻に皺を寄せるエドガー。
〈聖金曜日〉は復活祭前の金曜日のことだ。キリストの死んだ日だから〈受難日〉とも言う。キリストは金曜日に死んで三日後の日曜日に復活した。だから聖金曜日の三日目が〈復活祭〉。この復活祭こそキリスト教徒にとっては最も重要で晴れやかな祝祭日となる。だが、『聖金曜日が最高』とヒューは言った。どういう意味だろう? 聖金曜日は唯一、教会でミサを執り行わない日でもある。代わりに聖体とされるパンの
馬鹿な返答をしてヒューに嫌われたくない。懸命に考えを巡らせるエドガーをヒューはじっと見ていた。
ちょうどペパーミント水売りのワゴンと擦れ違ったのでヒューは足を止め、2本買って1本をエドガーに差し出した。
「ほら、まず、汗を拭ってこれでも飲めよ」
「ど、どうも、ヒュー」
ひゃー、メッセージを届けに走り廻っている時より汗だくになっているとは! 情けなくもエドガーは有難く頂戴した。ひんやりしたペパーミント水が体中に染みわたる。
「やっぱり、ロンドンっ子のおまえは知らないんだな」
ヒューも一気に飲みほして、言った。
「いいか、よく聞けよ。親父の出身のサセックスでは聖金曜日には老人から子供まで男は誰もが通りに出てマーブル遊びをやる習わしがあった」
「へー、そうなの?」
「それ故、親父は故郷を離れてからも、その日は息子の俺と一緒にマーブル遊びに興じたのさ。ああ、ほんとに楽しかったな!」
「うん、それは楽しそうだ。もうやらないのかい、ヒュー? 今年の聖金曜日は過ぎちゃったけど……」
今年の聖金曜日は確か4月4日だった。今は6月である。
「来年はぜひ僕も呼んでほしいな」
「今年どころか」
ヒューは肩を
「ここ3年やってない。親父が死んじまったからね。慣れない屋根の修理を請け負って、落ちて首の骨を折っちまったのさ。馬鹿だよな」
「ごめん、ヒュー、僕――」
結局、またやっちまった。なんでこんなに頓馬で会話が下手なんだ、僕は。
バツの悪い思いで口籠るエドガーにヒューは素晴らしい笑顔を向けた。
「そうだな、一人でやってもつまらないと思ってたけど、おまえが来るっていうなら来年はまたやってもいいな! 新しいマーブルも手に入ったし」
例の紙袋を入れたポケットをジャラジャラ鳴らす。それから真剣な顔に戻って言った。
「だが、その前に、僕ら二人で、シーモア氏を刺殺して宝を盗んだ犯人を見つけようぜ」
ペパーミント水の空き瓶をワゴンの店主に返してエドガーが戻って来るのを待ってヒューは話を再開した。
「元牧師の親父からこの種の話を聞いてたから、俺は室内にばら撒かれていたマーブルは何らかの暗示……しかも、宗教なり聖書に関わりがあることじゃないかと思ったのさ。そう考えた途端、もう一つの謎も解けた」
ヒューはほっそりと形の好い人差し指をピンと立てる。
「シーモア氏が右手に掴んでいたガウンの意味だ」
「えー、どんなこと?」
「実は、あれも聖金曜日に繋がるんだよ。聖金曜日にサセックスではマーブル遊びをやると言ったけど、そもそもそれをやるようになったのは、その日、
「凄い、凄いよ、ヒュー! なんて物知りなんだ、君!」
ヒューは照れて黒髪を搔き上げた。チカッと灰色の瞳が煌めく。
「いや、これは全部、元牧師だった親父からの受け売りだけどな」
「それでも凄いことに変わりはないよ! これで床に蒔かれていた〈マーブル〉と右手の〈ガウン〉の意味するところはわかったじゃないか。となると、後は左手の〈本〉だね? そっちはどうなの、ヒュー、ぜひ教えてくれよ!」
興奮して問い質すエドガーにヒューは悲し気に首を振った。
「残念ながら、本についてはまだサッパリさ」
テレグラフ・エージェンシー社に帰還すると――
こちらも凄かった!
キース・ビー警部補が予言した通りヒューとエドガーの二人は凱旋兵士さながらにモミクチャにされ、ほとんど肩に担がるようにしてロイター卿の待つ社長室まで運ばれた。
そこで昨夜のシーモア氏殺害現場発見時の状況を、警部補の解説も交えて事細かに報告した。まあそのほとんどはヒューが一人で語ったのだが。エドガーはボウッと突っ立っていただけ。
その後で二人は社長直々に特別ボーナスーーそれぞれ5ポンドーーを拝領した。
エドガーにとって何もかも、今まで生きて来た14年間で経験したことがない、初めて尽くしの、まさに夢のような出来事の連続だった。
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