第2話

「お手柄だぞ、メッセンジャーボーイズ!」

 通報後、警官たちとともに再び戻ったシーモア氏の邸。

 待機させられていた台所へ入って来た警部補キース・ビーがヒューとエドガーに放った第一声はソレだった。

 このキース・ビー警部補、噂にたがわぬスマートな容貌だ。身長6フィート、痩身だが筋肉質で躍動感に溢れている。髪は赤毛。とび色の目は鋭いが貧相な口髭と顔中に散った雀斑ソバカスのせいで妙に愛嬌がある。

「現場検証は終わった。君たちもテレグラフ・エージェンシー社へ帰っていいぞ。向こうでも引っ張りだこで根掘り葉掘り質問攻めにされるだろうがな。まぁ、見たことを有りのまま告げてもいいよ」

 警部補は大きく両手を開いて邸中を指し示した。

「現場を荒らすことなく、何も手を触れずにすぐに通報してくれた。その行為は賞賛に値する。ロイター卿も褒めてくれるだろう。特別手当ボーナスがもらえるかもしれないぞ」

「ありがとうございます。流石、今を時めくビー警部補だ!」

 すかさずヒューが言う。いつもより子供っぽい声を出しているとエドガーは思った。

「ねぇ、警部補さん、僕たち、あなたからもぜひご褒美をもらいたいです」

「ご褒美だと? 僕から?」

「ええ、どうか僕たちに警部補の名推理を聞かせてください。こんな光栄、生涯二度とないだろうから」

 『ニュー・スコットランドヤードの輝ける新星!』『ビーの鋭利な一刺ひとさし!』……

 切れ者として新聞紙上に幾度も登場してその名を馳せている若き警部補は照れながらも心底嬉しそうに笑った。額に落ちかかる髪を親指で払って、

「フフ、さては君たちストランドマガジンのシャーロック・ホームズシリーズのファンだな? 影響を受け過ぎてるぞ」

 いやいや、かくゆう警部補自身、インバネスコートと鹿撃ち帽ディアストカーといういで立ちなのだが。

 それはさて置き、

「推理と言っても、未だわからないことだらけさ。今はっきりしているのは君たちも見た通りの――」

 椅子を引き出して腰を下ろすとビー警部補は話し始めた。

「シーモア氏はナイフで胸を一突きされた。だが即死でなかったようだ。と言うのも、刺されてから歩き回った痕跡がある。こういうことは血の痕から読み取れるんだよ。シーモア氏は風呂に浸かっていたいたらしい。バスタブに醒めたお湯が残っていたからね。風呂場で室内を荒らす物音を聞き、裸で飛び出して書斎に入った。そこで犯人と鉢合わせ、刺された。犯人は逃走した」

 ここでヒューが声を上げた。

「そうか、だから、玄関のドアが開いていたのか! 犯人が侵入したのは書斎の窓ですね? 大きく開いていて風が吹き込んでいました」

「ほう、よく気がついたな」

 ひとつ頷いてキース・ビー警部補は先を続ける。

「犯人が逃げ去った後で、胸にナイフを刺されたままシーモア氏はなんとか机まで歩いて伝言メッセージを書いた。そして力尽きて倒れ、絶命した」

「右手にガウン、左手は本の上に置かれていましたよね? それについて警部補はどう思われます?」

「うむ、これまたよく気づいたね。ガウンは、流石に裸で息絶えるのをはばかったんだと思う。知ってるだろうが、シーモア氏は貴族の出だからね。貴族はマナーにうるさい。左手の本は、偶々たまたま近くにあって倒れる際一緒に巻き込んだんじゃないかな」

 警部補はパイプに火をつけた。

「そうそう、この邸にはもう一人、人がいたんだよ。台所の奥の使用人部屋に寝ていた年取った女中だ。シーモア氏の身の回りの世話をしていたそうだ。だが、いかんせん彼女は耳も遠く目も悪かった。昨晩もぐっすり眠り込んでいてさっき僕が揺り起こすまで何が起こったか知らなかった。可哀想に、元乳母だったそうで泣き崩れてしまったよ。ゴホゴホ……ゴフッ」

 煙を吸い込んでむせたらしい。少々咳き込んでから警部補は言い添えた。

「失礼、とはいえ、この乳母の証言が僕の推理を裏付けてくれたよ。シーモア氏は、昨夜は聖書研究会の会食に出席するので夕食は要らないと言って出かけたそうだ。幾分早く帰ったせいで運悪く泥棒と遭遇したとも言える。まぁこんなところかな」

「ありがとうございました、ビー警部補、凄く勉強になりました。では、僕たちはこれで」

「おっと、忘れるところだった、待ちたまえメッセンジャーボーイズ」

 台所から出て行こうとしたヒューとエドガーを警部補は呼び止めた。ポケットから紙袋を取りだす。

「ちゃんとこれを持って帰りたまえ」

「?」

 お駄賃のキャンディとは子ども扱いされたものだ。一瞬二人はムッとしたが、袋の中を覗いて驚いた。

「これはマーブル……」

 キース・ビー警部補はニッコリと微笑んだ。

「いくら冷静に見えても、やっぱり年相応なんだな。君たち、死体を目の当たりにしたショックで部屋にビー玉マーブルをぶちまけたろう? フフ、大丈夫、巡査に命じてちゃんと拾い集めておいたよ。いやなに、礼は要らない。僕にだって少年時代はあったからね。君たちの大切な宝物を取り上げたりはしないさ。では気をつけて帰りなさい。もう昼だから、往来でローラースケートはダメだよ。脱ぐように」

「あの、でも、警部補さん、このマーブルは僕たちのじゃな――ムググ」

 抗議しようとしたエドガーの口をヒューの手が塞いだ。そのまま引きずるようにして玄関へ向かう。

「ご親切に、ありがとうございます! では、こんどこそ、僕たちは失礼します!」


「ひどいよ、ヒュー、窒息するとこだったぜ」

 外へ出るやエドガーは、今度はヒューに抗議した。

「それに、なんで僕がしゃべるのを止めたんだよ。そのマーブルは僕らの物じゃない。元からシーモア氏の書斎の床にちらばっていたんだぞ」

「それさ!」

 パチンと指を鳴らすヒュー。

「面白いじゃないか。キース・ビー警部補は、マーブルは僕らの物だと思っている。つまり、あの切れ者と言われる男ですら見落としがある、完璧ではないってことだ。だとしたら――僕たちだって犯人を捜し出せる機会チャンスがあるわけだ」

「僕たちが? 犯人を? 突き止める?」

 エドガーは唾を飲み込んだ

「凄いこと考えるんだな、ヒュー」

 やっぱりこのヒュー・バードは常に僕の遥か先を走っている! 夜のロンドンの街路だけじゃなくて。改めてエドガーは感嘆した。

「考えてるさ、いつも。俺だって永遠にメッセンジャーボーイでいられるわけじゃないんだから」

「えー、そうなの? 僕はこの職に就けて嬉しくってたまらないのに。できればいつまでもやっていたいよ。制服はカッコイイし、仕事はゲームみたいで楽しい。その上お金を稼げるんだから言うことない。いいこと尽くめだ」

 それには答えずヒューはキュッと唇を引き結んでポケットから封書を出した。中身を取り出して読み始める。

 エドガーはギョッとした。

「それ、シーモア氏に渡すメッセージだろ、いいのか、勝手に読んで?」

「社へ戻ったらちゃんと返却するさ、それより、見てみろよ」

 ヒューが差し出した封書の中身――それはイタリアの新聞の切り抜きで当地の特派員の英文のメモが付けられていた。

 イタリア語はチンプンカンプンだから、メモの方に目を走らせる。

 

〈  イタリア:ミラノ発

   アンブロジアーナ館の所蔵する「ムラドーリ断片」についての報告記事。

   ラテン語で記されたクリスチャン・ギリシャ語の聖書の目録/

   またここアンブロジアーナ館には

   西暦9世紀末のアンブロシウス039SUP写本あり。

   この写本では神の名がヘブライ語の方形文字、

   いわゆる四文字語テトラグラマトンで表記されている……

   この他、ダ・ヴィンチの残した素描や

   研究ノート2000点/アトランティコ手稿あり。 〉


 すぐにエドガーはヒューにつっ返した。

「何のことかさっぱりわかんないよ。君にはわかるの、ヒュー?」

「細かい内容はこの際どうでもいい。僕がここから読み取ったのは、シーモア氏は常にこの種の情報を知りたがっていたってこと。つまり、それほど始終、宗教や聖書について考える研究中心の生活をしてたって事実だよ」

「だから?」

「だからさ、今回のシーモア氏の残したメッセージは絶対そういう方向・・・・・・で読み取るべきなんだ」

 理路整然としたヒューの意見にエドガーは驚いた。だが、そこで終わりではなかった。それに続く言葉はさらに驚愕すべきものだった。

 平然とヒューは言ってのけたのだ。

「シーモア氏の書置きの方はともかく、床にかれていたマーブルについて、その意味が僕にはわかったよ」

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