【対談】「駄目な人間を書くこと、語ること」郷倉四季・倉木さとし

 今回は僕(郷倉四季)と倉木さとしの対談形式で、往復書簡集としたいと思います。

 電話などで実際に喋って、それを文字起こしする方法も検討したのですが、時間の問題で数日間かけてのチャットでのやり取りを致しました。


 はじめての試みのため、至らぬ点や読みにくい部分など出てくると思うのですが、ご容赦いただければ幸いです。



郷倉:こんばんは。チャット?をする為に、今ハイボールを作りました。

 昨日、東浩紀の配信を見ていて、そこで対談の時は文章を書く時のように喋ってはいけないと言っていたので、今回は喋り言葉でやっていきたいと思います。

 まずは雑談から入りたんですが、最近倉木さんは日常に変化などはありましたか? 僕は髪を染めて、パーマも当てて、周りの目が少し変わりました。


倉木:たみいみんぐの悪いことに、37・5度の熱がでております。


郷倉:それは絶対に大丈夫じゃないやつなので、今回のチャットはここまでにして、休んでください!!!


 ※2日が経過しました。


倉木:さて、テーマを話していこうや。僕のせいで、遅れたのですが、ごめんね。


郷倉:いえいえ、そうしましょう。

 往復書簡集が始まったのが5月でした。最初は創作論がメインでしたが、途中から「結婚」とか「音楽」「漫画」、「欅坂」「配信サイト」に「30代」について、と色々幅が広がっていった感じはありました。

 やってみて、いかがでした?


倉木:創作論を語ってる頃が楽やった。常になにかしら考えてるおかげか、深く考えずに解答ができるので。

 幅が広がることによって、つまっている作品づくりにいかす思考訓練ができたと考えれば意味があったけど、(読者が)読んでて楽しかったのかは不明。


 あと、ほとんどこっちから質問してねぇや。


郷倉:途中から、倉木さんが忙しくなってきた部分がありましたからね。仕方がないです。


 往復書簡集の前半での倉木さんの回答を読んでみると、僕と倉木さんではやっぱり違うので、個人的に楽しかったですね。

 ただ、めちゃくちゃ無作為に質問して行ってしまった為に、まとまりがないんですよね。

 今後は少し計画的に創作論の質問をすべきなのかな、と悩み中です。


 始めた当初ですが、自作について語り合えたら良いよね、という話をしていましたけど、往復書簡集で僕と倉木さんお互いが一作品、取りあげるとしたら、どの作品にしますか?


倉木:自作なら、顔のない獣かなぁ。あれが、一番まとまりがいい気がするので。郷倉作品ならば、西日が好きなので語りたい。もしくは、火星?絞れてねぇなぁ。


 郷倉くんは、僕の作品が終わる度に色々かいてくれてますね。ありがとう。さきほど、葛藤憚フジの最終話の直しも終わったので、また書いてくれるのかな。


郷倉:葛藤譚のフジ直し終わったんですね。おめでとうございます。

 もちろん、長ったらしい感想で良ければ、書かせていただければと思います。


 僕のUSBメモリーのフォルダーには「倉木さとし作品 感想」というのが実はあります。

 その中で、個人的に気に入っているのは「顔のない獣 その②」を「浅倉隼人の成長譚(ビルドゥングスロマン)」と捉えているものです。

 そこで、浅倉隼人は「命より重たい思想」を持ち、無意識であっても、それを貫く姿勢が不気味だった、という内容がありました。その上で「川島疾風、中谷勇次は人を殺すことに躊躇がありませんが、浅倉隼人は逆で自分が死ぬことに躊躇がない。」とあります。


 僕は倉木作品については川島疾風、中谷勇次、浅倉隼人の三人に焦点を当てて語りたい欲があるみたいです。なので、改めて語るのなら「顔のない獣」が良いですね。


 そういえば、倉木さんは往復書簡集の中で浅倉隼人について、

「日記などを残さずに歳を重ねた倉木にとって、浅倉隼人を通して世界を描けば、十代の歪みのようなものを知れますからね。」と書いています。

 隼人を倉木さんの十代の分身として考えるのなら、今の三十代の倉木さんから隼人はどのように見えているんでしょうか?


倉木:まず前提として、隼人は十代の倉木の分身ではないからなぁ。

 隼人の環境は、作者より羨ましい部分と可哀想な部分があるからね。


 いや、待てよ。環境が違うってだけで、ある意味では分身なのか。隼人の選択は、自分でも同じ道をたどるだろうなっていう感覚はあるし。

 つまり、隼人がどうみえるかをまとめると・・・・・・十代だから若いなぁ、あいつ。色々と大変な状況やけど、それと同時に得られるとんでもない幸せもあるから、不幸とは言わせない。

 結論、隼人が羨ましくみえる。


 でも、こういうのは大事。羨ましいとか、夢を見させてくれるとかは、創作物にいれておくべきことだと思うし。


 ※1日が経過しました。


郷倉:返事が遅れて、すみません。ちょっと人とお酒を飲みに行っていました。

 そして、そこでちょっと興味深い話をされたので、まず、その話をさせてください。


「郷倉って、本とか読んでいてネガティブな部分を持っているけど、基本的にポジティブなことしか言わないよね」


 ふむ。

 僕の中には確かにネガティブな部分ってありますし、辛いことがあれば(彼女と別れた、小説が書けない)とかって話は基本的に倉木さんに速攻で報告していますが、実際に顔を合わせた人にはポジティブなことを言おうとしている部分があります。


 その根本にあるのが、ネガティブなことは小説やエッセイで書くから、実際には話さなくて良いや、があるんだと思います。

 なので、僕の文章は根本的にはネガティブなものなんです。


 倉木さんが隼人を分身と言いきれない部分を持っている反面、僕は自作のキャラクターに関して部分的ではありますが、分身という認識があります。

 ただ、それは逆に言えば作品にしてしまえば、分身を切り離して他人になったと言えるのかも知れません。


 さて、改めてカクヨムに関する話をさせてください。

 往復書簡集もあってですが、「郷倉四季」というアカウントが僕と倉木さんの共通の場所になってきたように感じます。

 今後、倉木さんの中でカクヨムにて、やりたいことってありますか。


倉木:映画とか実写作品について話したいなぁ。極主夫道をさっきみていて、原作の面白い要素を理解せずに脚本かいたらああなるよねって思った。


 ※1日が経過しました。


倉木:一日寝ても極主夫道に関する不満がなくならんので、ここでぼやきます。

 役者は、はまり役だと思う。表情とかも、さすが玉木宏やわ。

 問題は脚本か監督かスポンサーのどれかなんやろうね。


 前提として、倉木は第一巻しか読んでなかったので、こんなキャラクターも登場するんやなぁ。ふーん。てな感じで視聴を続けました。で、これ必要なキャラか?みたいに思ってる連中が、調べるとみなオリジナルキャラでした。

 なんや、スポンサーとか事務所のごり押しか?まさか監督の趣味やあるまいな。


 原作漫画の第一巻を読んだ際の感想として、主人公の龍は極道あがりやけど、常識があるように感じました。多少は極道としての経験があるせいで、ずれてはいるものの、ドラマ版はずれているというレベルではなく、単純に頭がわるい。


 極道あがりが、常識なくて、まわりを巻き込む物語とでも勘違いして脚本でも書いたのでしょうか。

 もっとも、原作の一巻しか読んでいないので、二巻からはそっちにシフトチェンジするのかもしれません。だとしたら、これから話すことは見当違いってことになるんやけど。


 原作の面白さは、極道の外見をしてるけど、中身は主夫というギャップ。そこから発展して、周囲が勘違いすることでコメディとして評価されてると思うんよ。


 具体例をあげれば、包丁の訪問販売がやばいところに包丁売りにきてしまったと焦る。龍にブツ(包丁)をいま持ってるのかと言われて、販売員はやきもきするも、こわくて逆らえずに包丁を貸す。すると、見事な手際で料理が完成していく。

 販売員が勘違いからくる面白さがあると思うんよね。

 同じパターンで、弁当を忘れた妻に、弁当を届けにいくんやけど、そのケースがやばい取引現場で見られるタイプもので、警察目をつけられて…みたいな。

 これも、主夫がやるべき当たり前のことしているだけやのに、見た目が極道やからコメディになってる。

 そういう、極道×主夫というかけ算の妙の面白さが、ドラマにはいっさいなかった。


郷倉:倉木さんの極主夫道の話を聞いて、ふと思い出したことがあります。

 昔、僕は狂乱家族日記というラノベが大好きで、それがアニメ化されると知って歓喜しました。


 けれど、蓋を開けてみると、中身は原作の素晴しさから比べればお粗末な内容のアニメでした。今でも話題に上がるとすれば、OPが超早口で、神曲だったくらいでしょう。


 当時の僕は正直ショックでした。

 その後、小説を学ぶ専門学校へ行って、「アニメ化は30分の原作を売る為のCMなんだ」という意見を知りました。

 その意見はすとんっと僕の中に落ちてきました。

 原作を改変され、良さが抜き取られた作品は目立つ看板(CM)であり、看板の役割はあくまでそこに突っ立ていることで、芸術的なデザインである必要はないのでしょう。


 良い作品がアニメ化、ドラマ化、映画化するなんて幻想ですよね。

 だから、良い作品は良いって発言し続ける人間が必要なんだと思うんですよ。


 アニメ化もドラマ化も映画化もしていないし、あるいは、したけれど、まったく良さが生かされなかった作品だったとしても、良いものは良いんだよ、と。


 そういう意味で、僕は批評家が必要なんだと思っているんですが、それはそれとして「狂乱家族日記」がアニメ化した数年後に、同じ原作者さんのライトノベル「ささみさん@がんばらない」がアニメ化していました。

 この「ささみさん@がんばらない」のクオリティは最高に良く、また原作者さんの良さがちゃんと詰まっていて、これはCMじゃないんだ、ざまあみろと思って泣いたことがあります。


 看板として打ち立てられたら、その場から作品は動くことができないけれど、原作者は縦横無尽に動くことができる。自由に動けることは重要だし、いつか別の看板を立てることもできる。

 

 我ながら変な方向に話を持って行ってしまっていますね。

 ひとまず、最後に一つ、二つ質問ができればと思います。

 倉木さんが今、書いている、あるいは、書こうと思っている小説について教えてください。


倉木:子供や親に胸はってみせられるような作品をかきたい。下品じゃないやつね。

 あとは、20代から続いている作品の完結。

 うーん、とあるアニメに影響されて、詐欺師の話も書きたいかな。くそ面白い作品に触れたとき、自分が同じ材料で料理したらどうなるのかを確かめてみたいって癖があるのかもな。


郷倉:そういえば、鬼滅の刃の映画を見に行った知人が親子連れも結構いたよ、という話をしていたんですが、倉木さんの中で子供や親にも楽しめる作品として、意識している、あるいは、意識したい作品ってありますか?


倉木:それは、既存の作品でって質問なんかな?


郷倉:既存の作品という意味で質問させていただいたのですが、僕個人として倉木さんの作品で読んでみたい子供や親も楽しめる作品は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の方向なんじゃないかな? と思います。

 宇宙の劣等生が集まって頑張る話、というか。


倉木:なるほど、GotG(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)は、MCUで一番好きなシリーズでもあるしな。

 ふと思いついたのは、ドラえもんやけど、もっと大人向けなもので、なにかあるはず。


郷倉:ドラえもんは少し違う気がしますね。

 それなら、「おそ松さん」の方が倉木さんには合っている気がします。


 すごく個人的にですが、僕は倉木さんには駄目な人間を書いてほしいですね。

 本人に自覚がなくて良いんだけど駄目な人間。

 倉木作品の川島疾風も、中谷勇次も、浅倉隼人も世間的には駄目な人間で、けれど、ある条件が重なると、ちょっとだけ有能になる。

 なんと言うか、そう言うのが倉木作品の魅力だと思うんですよね。


倉木:駄目な人間しか書かないから安心してくれ。


郷倉:もう、これがオチで良いのでは?



 ※ということで以上で終わりです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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木曜日の往復書簡集 郷倉四季 @satokura05

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