6th:そして二人は、エンドロールを迎えて
「ちょっと待ってくださいよー!」
玄関に鍵をかけた少女は射した陽を見上げ、先を行く足音を追って走る。黒いニットのワンピースと、艶やかなボブヘアー。
手足は人間のそのままに、頭には三角の大きな耳が軽やかに踊っている。
「あなたが寝坊するのが悪いのよ」
「美遊だって一緒にゲームしてたのにズルいです!」
「ズルいって……あなたも千夜も全く……」
深いため息を吐くが、上げた顔は優しげだ。
「すっかり、お気に入りね」
首を。そして頭の上に視線を送る。
「新しいあたしの証ですから」
手招きするように動く耳はご機嫌だ。
「あっ!帰ってきたんですね、ヒミコ」
マンションの駐車場に止まる、艶やかな黒の車。駆け寄ると、二つの微笑みがはっきり映り込んだ。
「ええ。まだ頑張ってもらわないといけないからね」
「おかえりなさい」
慧は目を細め麗を助手席へ導くが、背を押されて逆に助手席へと座らされた。
「今日はあたしが運転します」
反射材の目と三角の耳がついたリュックから、二枚の若葉マークを得意気に取り出して、トランクとボンネットに貼り付け。
たんたん、と右のフェンダーを親しげに叩いてから、運転席へ腰かける。
「これからは優しくしてあげなきゃいけませんね」
──返せるものはないけれど、この子は大切なものをもらったから。
「あと、これも」
麗はシート裏のスペースからもう一度リュックを手に取る。取り出すのは水音を含んだ軽い金属音。黒い缶を二本、シート間のドリンクホルダーにセットした。
「この戦いが終わったあとの乾杯まで、とっておきますから」
「よく覚えているわね……」
苦笑いに、だって美遊の言葉ですからと事も無げに返す。
スタートボタンを押しエンジンに火が入ると、元気な一吠えと共にタコメーターの針がレッドゾーンまで跳ねる。
馴染みのない、しかし何処かで聞いた複雑で重厚な響きが聞こえ始める。
「あれ?この音……もしかして」
「ヴァイパーの心臓よ。エンジンだけは奇跡的に無事だったから、もらってきちゃった」
「……美遊ってそこら辺の趣味、悪いですよね」
悪戯な顔をする美遊を睨む半眼は、しかしゆっくりと困った笑顔に解けていく。
「でも……だから、あたしは美遊が好きです」
──変えることを選ぶ美遊と、変わり続けたこの車だったから、きっと。
「これからも、何度だって変わってみせます。美遊のためなら、神だって殺します」
俯いて、チョーカーをそっと撫でる。
「麗のそういうところ……とーってもズルいわ」
「ふふ。美遊もズルいって言いましたね」
上目遣いに見た美遊の頬は、いつもより鮮やかだ。
「好き。大好き。愛してる」
身を乗り出し、耳元で囁くと。
毎日感じていても飽きることのない、せっけんの香りが鼻をくすぐる。
「あなた、そんなに意地悪だったかしら……」
「何もかも全部、美遊のせいです──責任、とってくださいね?」
「当たり前よ……」
急にしおらしくなる美遊に、意地悪は加速する。
「あっ!あれ!」
驚いて振り向くそこへさらに身を乗り出して──不意に唇を重ねた。
「可愛いですよ、美遊」
「──っもう!」
真っ青な髪と、真っ赤になった肌の強烈なコントラスト。伏せた睫毛にはしっとりと雫が光る。
慌てて向き直り髪をかきあげ、熱を帯びた息を吐き出した。
「……そういうのは、せめて仕事が終わってからにしてほしいわ」
「終わったら、いいんですね?」
返事はない。そっぽを向いたままオーディオの音量を上げると、流れるのは夢見がちな声の女性デュオが歌う曲。
──音量を上げたって、美遊のドキドキはあたしに聞こえちゃうんですよ?
流れるメロディを軽やかに口ずさみながらシートベルトを締め、ブレーキを解いた。
「それで、今日の仕事はなんですか?」
「ん、今日はね──」
途切れない会話のなか、アクセルが静かに踏まれる。
曇りなく磨かれ、空の青をその身に宿した黒い車は。
二人を乗せ、続く道へと滑り出した──。
今宵二人は、レッドゾーンを超えて 綺嬋 @Qichan
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