それでも魔女は毒を飲む

第1話走馬灯

「おはよう!」


丸い影が私を覗き込んでいる。


「走馬灯、どうだった?」


朱肉みたいに濃い口紅がぱくぱく言葉を振り掛ける。甲高い女の声。耳鳴りみたいだ。しばらく目をぱちくりさせていると、徐々に視界がはっきりしてきた。


「そう、ま、とう……?」


自分の口から女の声がする。そこでやっと我に返る。

「え…?私、あなた…え?誰…?」

強烈な頭痛。陣痛みたいに酷い。脳みそが押し出されてしまいそうだ。


「え?アリー、私たちのこと、わからないの?」


周りに女が3人。どれも知らない顔、知らない声で、私を不思議そうに眺める。この人たちは友達か何かだろうか。みんな私を少し心配するように見つめていて、まるで懐かしい青春映画やドラマを観ているような感覚だった。


しかし自分のことも相手のことも、全く思い出せない。


「つまり、これを飲んで記憶がなくなっちゃったってこと?」

「えー、そんなことってある?」

女は嘲笑まじりに小さなビニールを摘んで見せびらかす。ビニールの中で明らかに怪しい、青い粉がカシャカシャ踊った。


「まあでも、アリーは魔女だもんね」

「魔女は毒が効きにくいらしいからね」


彼女たちによると、これは一種の毒物らしく、少量飲んで走馬灯を楽しむ若者のちょっとした遊びらしい。

私はこんな治安の悪い遊びが好きだったのだろうか。確かに目の前の女たちはそれらしい浅膚な格好をしている。


「ねえ、それよりアリー、はやく次の毒をちょうだい。そのために来たんだから」


「次の毒…?」

女たちはみんな、口元だけで笑いながら寝転がった私を覗きこむ。

「忘れちゃったの?アリーは魔女だから、何でも作れるんでしょう?」


聞けば、青い粉は私が調合したものらしい。魔女が不当に薬を作ってばら撒くことは禁止されている。それに毒ともなれば尚更。しかし私は常習的に彼女たちに毒を渡していたらしい。私はなぜそんな薬を渡していたのだろう…?


「記憶なくなっちゃうとか、困っちゃうよ」

「どうすんの?」

「どうもこうも、どうしようもないよ」

へらへら笑いながら、彼女たちは今の状況について話す。私は本当にこの人たちと友達だったのだろうか。全く持って心配されたり、大切にされている感じがしない。もしかしたら私はこの人たちに騙されて、毒を渡していたのだろうか…?


ふと、自分のポケットに何かが入っているのを感じて、震える手を突っ込んだ。

冷たいビニールが、火照った指先に触れた。


「え?アリー、それって…」


1人の女が私の手からそれを強引に奪った。


舌の上がピリピリと焼けるように痛い。青い粉が目の前で振られる。くらくらする。私は彼女に聞いた。


「ねえ…走馬灯って、どういう感じなの…?」


すると1人の女がこちらを見てにやりと笑った。


「もう、スッゴいよ。言葉じゃ表せないくらいエモいの。幸せだった時の記憶が、一瞬で、サァーって流れるの!」

「そうそう、この毒だと満たされた記憶しか見えないんだよね」

「すっごいリアルだよ」


そう言うとその女は、私に青色を差し出した。


「アリー、もう一回、逝く?」


直後、視界がぐるりと回り始めた。頭が痛い。強烈に痛い。なのに気持ちがいい。身体がふわふわして、視界が緑になったり赤になったり…目の上を豹柄やストライプが滑り落ちる。

ギラギラしてとてもうるさい。耳からみんなの声が、羽虫みたいに入り込む。丸三角四角…全部形になって私に入ってくる。

急に足元が無くなったような感覚に陥る。私は落ちる。視界が暗くなる。どんどん落ちる。


落ちる間に、一瞬、映像が流れた。


私が薬を渡す。女たちが一斉に、私の前で毒を飲む。みんなが苦しみだす。喉に手を当てて、ヒューヒュー呼吸する。そして、みんな、動かなくなる。


私は思い出す。みんなで過ごした毎日。ああ、そうだ。私は確かに騙されていた。でも楽しかったんだ。毒で繋ぎ止めた友情。友情なんかじゃあない。それでも良いんだ。

私には、彼女たちしかいなかった。ひとりぼっちの毎日。それを彩ってくれる、大好きな仲間たち。薄っぺらい仲間たち。それが、目の前で倒れていく。私は悲しかった。涙が出た。


なのに、ちょっと、嬉しかった。


視界が定まる。目の前にまた女たちが現れた。しかし色がおかしい。マーブル色が寄生虫みたいに彼女たちの皮膚を這い回った。


「私も欲しい!」

「私も!」

「じゃあ、みんなで飲もうよ」

目の前の女が、次々に青い毒を私のポケットから出す。

ああ、駄目だ。そんなに飲んだら死んでしまうよ。酷い頭痛の中で、私は体を起こす。


「アリーも欲しいの?」

ああ。違うんだ。殺したいわけじゃあなかった。でも渡してしまった。1人ぼっちは、こわい。

それに、私だけ、私だけ死ななかった。致死量の毒を飲んでも、一緒に死ねなかったんだ。


私は、私が、魔女だから…


女たちが透けていく。みんな、消えていく。


みんな、走馬灯だったのだ。


嫌だ。嫌だ、嫌だ。

ずっと見ていたい。嘘でもいい。走馬灯のまま、ずっと、ずっと彼女たちに名前を呼ばれたい。


私はポケットから溢れたビニールを手に取って一気に飲み干した。


魔女はね、普通の毒じゃ酔えないの。

それでも私は毒を飲む。


いっぱい飲む。たくさん飲む。


回れ回れ、もっと回れ、ずっと回れ、走馬灯…



「おはよう!」

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