12.深海

 王女が夢を見たように、私も夢を見ていたのかもしれない。

 けれどもやっと覚めた。彼女が現実を知った時のように。

 私が歌っても、私が彼女のように話しても、彼女はもういない。

 私は私。そして私が彼女にひどいことをしたという事実も、変わらない。

 私が彼女を許せなかったから、独り占めしたかったから、彼女を不幸にした。もし、少しでも本当に彼女のためを思っていたのならば、何かが変わっていたに違いないのに。

 触れることのできた小さな光を、失いたくないばかりに、自分の手で握りつぶしたのだ。

 それでも私は、彼女の声を手に入れて、彼女のふりをする事で、全てを誤魔化した。彼女がそこにいることにした。しかしそれは、全て違った。

 私は、彼女になりたいわけではなかった。ただ、一緒にいてほしかった。やっと見えた希望の光を、失いたくなかっただけ。

 でも、彼女を泡にしたのは、間違いなく私で。

 私が彼女を殺したのだ。私のわがままのせいで。

 私は意地悪な醜い魔女だった。その姿、内面はまさに、怪物だった。

 ――海底に沈んだ沈没船。甲板から下を覗けば、黒々とした深淵があった。この船は、海底の崖の上にぎりぎり乗っている。崖の下は、どこまで続いているのかわからない。けれども、地獄まで続いている、なんて話があった。どこまでも黒い。夜よりも黒い。その黒色を、私は泡を詰めた瓶を抱いて、見据えていた。

 気付けば――笑っていた。

 目が覚めて、夢は終わったから。こんな私は、何をするべきか――残された正しい道を、やっと見つけられたから。

 ……あの時、彼女もこんな気持ちだったのだろうか。王子を殺すなんて罪よりも、自らの死を選び愛と正義を貫いた彼女。でも、私の場合は、同じく正義を貫こうとしているけれども、事情が少し、否、だいぶ違う。

 悪い怪物は、退治されるべき。罪人は罪を償うべき。

 全ては私が悪かった。私は意地悪で醜い魔女だった。最低な人魚もどき。

 罰を受けなければならない。地獄へ行かなくてはいけない。

 だから――船から身を投げた。

 深淵へと飛び込む。彼女が夜の海に飛び込んだように。ゆっくりと、黒色へ沈んでいく。

 黒色は冷たい。落ちていくにつれ、徐々に冷たさは増していく。沈没船が遠のいていくのを見ていた。遙か遠くにあった日の光も、より遠のいている。でも、もう何もしない。落ちていくまま、冷たさに絡みとられるまま。

 そういえば、地獄の最下層は、ひどく寒い場所で、罪人は氷づけにされているのだときいた。私もそうあるべきだ。この醜い姿を業火で焼いただけでは許されない。氷づけにし、永遠に醜い姿をさらし続けるべきだ。

 怖くないわけではなかった。黒色は恐ろしかった。でも私は悪いことをした。

 彼女は泡になる瞬間、怖くはなかったのだろうか、と、ふと思い、泡の入った瓶を抱くように握りしめる。光り輝く彼女の一部は、この暗闇でもまだ輝いていた。けれども、そのうち闇に染まって消えてしまいそうだった。太陽のような彼女だったのに、この暗闇では弱々しい。私を照らす光にはならない。共に地獄へ落ちてゆく。

 でも。

 ――彼女に、深淵の闇なんて、似合わない。

 はっとした。そして、何の迷いもなく、私は瓶の蓋を開けた。

 瓶からはするすると泡が出てきて、私をおいて海上へと昇っていく。太陽に照らされた世界を目指していく。

 ――太陽のようなあなたは、どうか光のある場所に。

 地獄へ行くのは自分一人だけ。あなたを連れて行くわけにはいかない。

 光り輝く泡は、まるで撫でるかのように私の身体を伝って、天を目指す。醜い尾を撫で、太陽へ向かっていく。

 泡に尾を撫でられた瞬間、少し痛みを感じた。

 別れの痛みは、私が一番に恐れていたものだった。でもいまは少しだけ、心地よかった。

 昇っていく泡に、ごめんなさい、と言おうとした。

 しかし口を閉ざした。

 私の声は、いまは王女の声。

 私は自分の声で謝ることもできなくなっていた。

 許しを請うこともできない。請うことができたとしても、許されないことをした。

 ――さようなら。

 それだけを思った。

 沈んでいく。暗く冷たい深淵に。

 輝く泡は、もう遙か遠く。やがて太陽の光と混じり、見えなくなってしまった。その太陽の光すらもついには見えなくなった。

 私は、眠るように目を閉じて、さらに落ちていった。


【VOICE 終】

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VOICE ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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