11.現実
人前で歌うのが苦手だった私の友達。太陽のような彼女。彼女はもっと、光溢れる場所で歌うべきだ。その方が似合っている。あんな寂しいところではなく、もっと広い世界で輝いてほしい。
そう思って、ある日私と彼女は、海上へとあがった。浜辺の近く、そこにあった岩に腰をかける――しかしそう思ったのは、私が彼女に、明るい場所へ連れて行ってほしいと思っていたからかもしれない。
海は穏やかで、日の光は温かかった。水面はきらきらと輝き、どこまでも続いていた。離れた場所にある浜辺に、人影はない。もしいたのならば、人魚がいることに驚いただろう。いや、それよりも彼女の美しさに心を奪われてしまったかもしれない。でも、もしそうなったとしても、彼女はもう人間に興味を持たないだろう、これからはずっと私と一緒なのだから。
素敵なステージだった。美しく輝く世界で、私と彼女、二人きり。
そうして、歌い始める。彼女の歌。きれいな歌声。海中の時とは違う響き。二人でいる喜びを、世界へ響かせる。
――妙な感じがした。
思うように、響かない。声が、空に吸い込まれていくようだ。何もない空。
何故だろうと考えて、私は世界が広すぎるのだと感じた。空と海はどこまでも続いている。対してちっぽけな私と彼女。
それでも歌う。彼女の歌を。ここに二人だけの世界があることを証明するために。
でも次の瞬間、穏やかだった水面が冷ややかなものに変わった。叩きつけるような波を生んだかと思えば、その音で歌声を消してしまう。波のしぶきが冷たい。驚く間もなく、そこへ一際大きな波が追い打ちをかけてきて、私達は飲み込まれるように被ってしまった。わずかにあがった悲鳴ばかりが世界に響く。尾に痛みを感じた。久しぶりの痛みだった。
なぶるような波が過ぎて、髪が頬に張り付いた。気持ち悪くて、ゆっくりと剥がす。何故だろう、海水には慣れているはずなのに、ひどく冷たく感じた。暗い海底のものより冷たい。あたかも、更に深くにあった海水が、私と彼女をさらいに来たかのように思えた。
ぶるりと震えて空と海を睨んだ。一体何なのだろう。この感覚は。まるで歓迎されていないようだ。
――考えてみれば、海の外はだめなのかもしれない。海の外、地上。日が照らす場所。そこはかつて、彼女が海の世界を出て向かった先。散った先。
ああそうだった。外の世界は、悲しいことばかりだった。青さが目に痛い。
「……海の外は、だめね」
それは王女の言葉と言うよりも、私自身の言葉のように思えた。
――私は、日の当たる優しい場所に出てきてはいけないのだろうか。
風が肌を撫で、温度を奪っていく。腰掛けた岩を見れば、私の剥がれた鱗が何枚か転がっていた。汚い鱗。人魚もどきの色。でもいい。彼女が受け入れてくれたから。こんな私でも、彼女は隣で微笑んでくれる。
しかしその時、私は水面を見てしまった。
その時だけは、ひどく落ち着いた海面。映っていたのは、醜い人魚もどきの魔女、一人だった。
呪われているかのような尾を持った、人魚のような何か。そして、意地悪で、ひとりぼっちの魔女。
思わず悲鳴が漏れた。それほどに、醜い自分の姿。そして漏れた悲鳴は自分の声ではなく、王女から奪った声。かつて彼女が上げた悲鳴そのもの。
けれどもその王女の姿は、ここには映っていない。醜い魔女、一人だけ。
一人ぼっちの、私だけ。
――一緒にいると思っても、彼女は消え去ってしまったのだ。
水面は現実を映していた。青い空、青い海、冷たい青色に挟まれた自分だけ。
王女は、もういなかった。意地悪な怪物だけしかいなかった。
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