後編 18人の笑顔

「お前ら、亀仙人って知ってるか?」



 一斉にキョトンとする少年達。

「カメセンニン……?」


 顧問は笑顔で続けた。

「最近の若いモンは知らないか? 俺の世代じゃ知らない人を探すほうが難しいような有名人なんだがな」


 選手達がボソボソと答え始める。


「あの、『ドラゴンボール』の?」

「サングラスのじいさん?」


 顧問は頷いた。

「そうだ、その亀仙人だ。知ってる人間、挙手」


 男子17人全員が手を挙げた。

 マネージャーは「お兄ちゃんがDVDとゲームを持ってて……」と、なぜか一生懸命理由を述べながら手を挙げた。


 顧問は少し笑った。

「オーケー、念のためおさらいすると、この人は、主人公・孫悟空の師匠だ。年は確か300歳を超えていたかな。ちょっとスケベだが、強さと優しさを持つ素晴らしい武術の達人だ」


 一同、顧問が何が言いたいのかはよく分からないが、とりあえず頷く。


 マネージャーが問う。

「あの、それが何か……」


 顧問は手元に用意していたらしい『ドラゴンボール』の単行本を取り出した。随分古いようで表紙はボロボロ。

「このなかに、なぜ武道に励むのかを亀仙人が悟空達に説明するシーンがある。みんな知ってるか?」


「いや、原作は読んでなくて……」

「自分もゲームしか……」

「私も……」


 顧問は単行本を開き、その場面の台詞を読みあげた。

「武道を学ぶことによって心身ともに健康になり、それによって生まれた余裕で、人生をおもしろおかしく、はりきって過ごしてしまおうというものじゃ」


 単行本を閉じた。

「こう書いてある。これで分かったか、頑張る意味が」


「……。」

 一同、やはりキョトン。


 顧問は単行本を手元に置いた。

「オーケー。じゃあみんなで話しながら考えよう。何のために頑張るのか、その意味を」


 顧問は1人ずつ名前を呼び、質問を始めた。


 左上に映る少年からだった。

「ナオキ、お前は何のために毎日練習してるんだ?」


 その少年は、突然呼ばれてビックリしつつ、少し考えそして答えた。

「えっと、その……、勝つためです」


「それは、試合に?」

「そうです」

「そうか」


―― よくある「勝ち負けがすべてじゃない」ってやつか?


 顧問は否定しなかった。

「悪くない。いい答えだ」


―― え?


「いいじゃないか、勝ちたいから練習を頑張る、何も間違っちゃいない」


 しかし、顧問はこうも言った。

「でもな、それもまた何かのためなんじゃないか? 試合に勝つのは何のため、という次の問いが出てこないか?」


―― あ、確かに……


 顧問の質問は続く。ナオキの右隣り、最上段左から2番目の少年。

「ということで、ケンタ。次の質問だ。試合に勝つのは何のためだ?」


 ケンタは答えた。

「えっと、優勝するためです」


 顧問はまた笑顔で頷いた。

「そうだな。俺達が目指すのは優勝、日本一だったよな」


―― やっぱり優勝が目標なんじゃないか。俺達は目標が消えたんだ


 だが顧問の質問は終わらなかった。

「もう少し考えてみないか、じゃあなぜ優勝したいんだ?」


 最上段左から3番目の男、マサトが呼ばれる前に答えた。

「俺はプロになりたいです」


 顧問はやはり頷いた。

「いい夢だ。確かにそのために日本一になりたいのもよく分かる。でもな……」


 質問は続いた。


「プロになりたい奴は多いだろうが、じゃあその理由は何だ?」

「日本代表になりたいです」


「なぜ日本代表に入りたい?」

「自分はオリンピックに出るのが夢なので」


「なぜ五輪に出たい?」

「世界で活躍してそのあとNBAに」


「なぜNBAに?」



 何を答えても、顧問は「それはなぜ?」を繰り返す。


―― この問答は終わりがないんじゃないか?

―― もしやただのイジワル問題なんじゃないか?


 空気を察したマネージャー。

「せ、先生。これ終わりがないんじゃ……」


 少年からも声が挙がった。

「ちょっと分からなくなってきました。日本代表とかNBAとか言ったら、それが叶わなかったら頑張った甲斐はなかったってことになりそうで」


「俺もです。世界一にならなきゃ意味がないとか言われたら、困っちゃうかも」


 顧問はまた笑顔で頷いた。

「そうだな、そうなっちまうな。でも最後に1個だけ残らないか?」


―― 最後に1個?



「あ……、亀仙人!」


 マネージャーが声を上げた。



―― あ!


 顧問は、先ほどの単行本を画面に向けて広げた。そこには少しキリッとした顔の亀仙人がいた。

「そうだな。楽しく幸せな人生を送る、これはみんなに当てはまって、みんなが目指せて、もう『それはなぜ』とは言われない目標だと思わないか」


「……。」

 一同、言葉を失う。


 顧問は少し照れくさそうに続けた。

「俺はお前らが頑張る姿を見るのが好きなんだ。だから頑張ってるんだ。だが指導者歴30年、何度も思ったことがある。あの時もっと頑張ってりゃもっと楽しかっただろうな、って。大人になって気づいたよ、人は頑張った分だけ幸せになるんだ、と」


「先生……」


 もう誰も冷めた顔はしていなかった。


「試合に負けたことは何度もある、挫折もあった、でもな、『幸せな人生を送る』って目標はそれでついえちゃいない」


「う……」

 何人かの少年が涙を流し始めた。


 顧問は、少し大きな声で告げた。

「幸せになれ。そのために明日からまた頑張れ。何をやるか迷う必要なんてないだろ。今は分かりきっているよな、バスケだ、バスケを頑張れ」

 

「はい!!!」

 示し合わせるでもなく、全員が返事をした。


「よし」

 顧問はニコリと笑い、翌日の練習メニューを伝えた。

 マネージャーがパワーポイントにまとめた。


 

 あれから4か月、

 インターハイがあるはずだった2020年8月、彼らは今日も懸命に練習に励む。あと数日で引退となるが、その顔に曇りはない。そこにあるのは18の笑顔。


 顧問の部屋の単行本が少しめくれた。


 亀仙人はピースをしていた。


 

 完

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頑張るのって、何のため? 物書き・K @writer_k

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