第37話 オルタとおばあ様

 リークホールドで新年を迎え、三日ほどが経過したある日のこと。

 クリスがロイのために飛行魔法の訓練をつけてやることになり、オルタはティアナと一緒に見学していた。

「珍しいこともあるんだね。クリス様ってロイのこと基本放置しているじゃん?」

「あれでちゃんとロイのお師匠なのよ、クリスは」

「お姉ちゃん、クリスのこと結構過大評価してるよね」

「そう? いい上司だと思うわよ。だからたまに心配になるの」

「何に?」

「いい上司すぎてそのうちあやしい壺でも買わされちゃうんじゃないかって」

「お姉ちゃんが壺売ったらクリス様買いそうだよね」

「え、わたし壺売りに向いているってこと?」

「そこ、真剣に悩み始めるところじゃないから」

 オルタはするどく突っ込みを入れた。クリスがうっかり壺を買ってしまうことがあるとすれば、ティアナが売っている場合のみだ。ティアナが契約嫁終了後は売り子もいいわねえ、と呟き始めたから、オルタは半笑いを浮かべた。

(お姉ちゃん、いくらなんでも鈍すぎ……)

 まあ、このくらいがちょうどいいのかもしれないが。

「あ、ほら。クリスが飛ぶわよ」

 ティアナの声に導かれ、オルタも前方に目を向ける。クリスが箒でふわりと空へ舞い上がる。

「ああいう光景を見るとクリス様って魔法使いなんだなあって思うよね」

「空飛ぶってどういう感覚なのかしらね」

 姉妹二人とも魔力は持っていない。オルタはちょっと想像してみる。自分が魔法を使うところ。クリスの屋敷にやって来るまで、オルタの中で魔法は万能だった。才能を持った人間なら簡単に扱えるものだと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。

 そのことを知ったのはロイが日々魔法の勉強に励んでいるのを見たからだ。

 ちなみにロイは飛行魔法があまり得意ではないらしい。十一(ノーヴェタ)月も終わりの頃、彼は風邪をひいた。原因は寒空の下での飛行訓練だった。長時間外にいたため体を冷やしてしまったのだ。

「ロイを見ていると大変そうだっていうのは分かる」

 そもそもクリスが簡単に飛びすぎなのだ。もうちょっと初心者向けに低空飛行から入れと思う。

「ロイはまだ怖がっているから、それで魔力が安定しないのね」

「へええ……ん?」

 思わず相槌を打ってからオルタは上を見上げた。

 ティアナとは違う声だ。

「セラフィー様」

「はあい、オルタ。わたくしのことはおばあちゃまって呼んでって言っているじゃない」

「あ、はい。……おばあ様」

 そこには明るい笑顔のセラフィーがいた。

 栗色の髪に明るい黄緑の瞳の彼女は、あのクリスの母とは思えないほど朗らかで社交的だ。そして、行動力もものすごくおありになる。

 何がどうなったのか知らないが、彼女の中でオルタは孫娘になっているらしい。孫が欲しかったセラフィーはリークホールド、スウィングラー家の領地のお城でオルタを接待する日々である。

「ロイの成長に必要なのは経験と慣れね。今はまだ空の高さと速さに委縮しているから魔力を上手く箒に流し込めないのよ」

「なるほど」

 さすがは魔法使いの家系の奥方だ。

「今ロイが使っているのは子供の頃クリスが使っていた箒よ。魔力に慣れているからロイの練習具としていいかと思ったのだけれど……。クリスの魔力に慣れ過ぎていたのかしら」

「箒にも色々あるんですね」

 ティアナが相槌を打つ。

「ええ。魔力を受け止めるための魔法具だもの。昔ながらの箒もいいけれど、おしゃれじゃないから女性たちの間で人気なのはこういう杖ね」

 セラフィーが見せてくれたのは金色に輝く棒だ。セラフィーの背丈の三分の二ほどの長さで、先の方が複雑に折れたり曲がったりしている。そしていくつか水晶のようなものもついていて、確かに可愛らしい。

「きれい……」

「オルタにもつくってあげましょうか」

「え、でもわたし魔法使いじゃないし」

「じゃあこれに似た髪飾りとか……そうだわ。宝石箱もいいかもしれないわねえ」

「えっと」

 オルタは答えに窮した。どうやら祖母という生き物は孫に貢ぐのが大好きらしいのだ。リークホールドに来て以来、オルタはドレスやおもちゃや靴や帽子など、それはもうたくさんのものをセラフィーからいただいた。いや、勝手に用意されていた。着せ替え人形になって大変な目に遭った。それでもまだ贈り足りないらしい。

 こっそりクリスに文句を言ったところ「母を満足させてやるのがオルタの仕事だ」と丸投げされた。確かにセラフィーがオルタに感心を向けたと同時に息子夫妻への「孫が見たい」攻勢が鳴りを潜めたから、これは自分の役目だと割り切ればいいのだが。

(お金持ちの貢ぎ方って半端ないんだよ……)

 少しは加減をして欲しいのだ。このあたり、ティアナも姑相手に強くは出られないらしく、苦笑いを浮かべて様子を見守っている。

「おばあ様はその杖を見せに来てくださったのですか?」

「え、違うわよ。わたくしも空を飛んで見せようかと思って」

「へええ……えええっ?」

 オルタが驚くとセラフィーがころころと笑った。

「あらやだ。わたくしだって魔法使いよ? 可愛い孫娘の前で格好つけたいじゃない」

「え、でも」

 クリスの母上だけあってセラフィーはそれなりにお年を召している。空を飛んで大丈夫なのだろうか。そもそも魔法使いであっても空を飛ぶのは必要に駆られた緊急時くらいで普段は馬車を使うことがほとんどだ。

「クリスにばかり格好つけさせはしないわ」

(負けず嫌いだ。負けず嫌いがここにいる)

 口には出さずに心の中だけで突っ込んだ。

 話し込んでいると、地上に着陸したクリスがオルタ達の方へ向かって歩いて来た。どうやらセラフィーに気がついたらしい。

「クリス、たまには師匠らしいこともするのね。見直したわ」

「母上こそ、そのようなものを持ち出して一体どうしました?」

 朗らかに声をかける母に向けた息子の声からは警戒心のかけらが感じられた。

「うふふ。わたくしだってまだまだ現役の魔法使いだもの」

 セラフィーがにんまりと笑みを深める。

「まあ、見ていなさい!」

 セラフィーはオルタ達から少しだけ離れた。すばやく杖にまたがり「そおれ!」と掛け声をかけた直後、ふわりと彼女の体が宙へ浮く。

 その直後。一気に上空へ発進した。

「うわぁあ」

 そのあまりのスピードに地上で見守っていたオルタの方が大声を出してしまった。

「セラフィー!」

「父上」

「遅かったか……」

 息を切らしつつ現れたのはスウィングラー家当主のベイジルである。クリスと同じ色の髪の毛に少々白いものが混じり始めている。

 その彼が上空を見上げた。青い空を背景に小さくなったセラフィーが縦横無尽に動き回っている。

「あの暴走飛行魔め……」

「クリス、お義母様大丈夫なの……?」

 ティアナが焦った声を出す。オルタも同じ気持ちでいっぱいだ。

「母上はあれが通常運転なんだ。ノーコンなくせにどうせオルタの前でいい格好がしたいとかそんなことを言ったんだろう」

「その通りすぎるけど」

 オルタも頬を引きつらせた。ノーコンなのにどうしてあんなにも自信満々だったのだろう。

「クリス、手伝え。あれを捕まえるぞ」

 ベイジルの苦々しい声にクリスが頷いた。

「だ、大丈夫なの?」

「たいていの場合目を回すんだ。それで地上に激突をする」

「まずいじゃないの!」

「そうなる前にどうにかするまでがセットなんだよ」

 ベイジルがははは、と乾いた笑い声を出した。

 親子二人がかりで上空で暴走するセラフィーを魔法で捕らえ、無事に地上へ連れ戻した。ベイジルの元へ帰ってきたセラフィーは完全に目を回していた。あのまま地上に激突していたらと思うと笑えない。

「ごめんなさい。わたし、ちっとも知らなくて」

「オルタが謝ることではない。母上を止めるのは至難の業だ」

「そうだよ、オルタ。これの監督は私の役目だ。心配をかけたね」

 やれやれ、とベイジルはセラフィーを抱き上げ屋敷へ連れて帰った。




 とんとん、と扉をノックすると「どうぞ」と返ってきた。

 寝室の扉を開いたのがオルタだと分かったセラフィーは「こっちへいらっしゃい」と相好を崩した。

「あの。目覚めたって聞いて。お加減いかがですか?」

「あなたにも心配をかけてしまったわね。さっきあの人に叱られちゃったわ」

「もう空を飛んだらだめですよ」

「今度こそ上手くいくって思ったのよ。だって、あなたの前だったのよ?」

 おそらくセラフィーは本気でそう信じていたのだろう。だから何も言えなくなる。

「そんな顔しないで。わたくし、あなたを驚かせたかったのよ」

「驚きはしましたけど」

「なら成功ね」

 セラフィーがくすくす笑うから、絶句するしかない。これはベイジルとクリスの苦労がしのばれるというものだ。

「心配したんですよ?」

「分かっているわ。だからこうしてお見舞いに来てくれたのでしょう? ちょっと目を回しただけなのに、あの人ったら昔から心配性なのよね」

「反省してます?」

「あなたにそんな顔をさせてしまったのはわたくしの落ち度ね」

 セラフィーが手招いたのでオルタはもう少し彼女の側に近付く。

 寝台の上で起き上がった彼女は目線でオルタに、上に乗るよう訴えた。まだ彼女の前では緊張してしまう。だって、彼女はクリスの母親なのだ。大きな家の当主の妻で貴婦人で優しくて。オルタとは一生縁のないような雲の上のお人なのだ。

「えいっ」

 それなのにセラフィーは貴婦人なのに子供っぽくもあり、迷うオルタの両脇に手を入れ引っ張るのだ。

 セラフィーの方へ倒れてしまったオルタは慌てた。

「ほら、これでもっと近くなったわ」

「セラフィー様」

「おばあちゃま」

「……おばあ様」

「わたくし、夢だったのよ。孫娘とこうして過ごすの」

「……」

 オルタは祖父母の顔を知らない。会ったことがあるのかも覚えていない。物心ついたころにはすでに行商の生活だった。両親は幼い子供を連れて町から町へ物を売っていた。

「だから今とっても楽しいの。嬉しいのよ。クリスにお嫁さんが来てくれただけじゃなくて、こんなにも可愛い孫娘までできて」

 胸の奥がじんわりと温かくなる。自分はティアナのおまけなのに。どうしてこんなにも優しいのだろう。何か泣きたくなってしまい、けれどもそれを見られたくはなくてオルタはぎゅっと上掛けに頬を押し付ける。

 その上をセラフィーの手のひらが撫でていく。ティアナとも違う温かさだ。

 どこか懐かしいと思った。

 だからもう少しだけ。

 二人きりの時間が優しく過ぎていった。



☆**☆☆**☆あとがき☆**☆☆**☆

書籍発売記念SSラストはオルタのお話です。

時系列は書籍版収録の番外編その後。

一迅社アイリスNEOより紙・電子が発売中です。

よろしくお願いします。

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