今より数年先を舞台としたフェイクドキュメンタリー作品。
私はいわゆる社会派作品に触れる機会が少ないのですが、そんな不勉強な人間をして一目見ただけで「あ、これはすごい作品だ」と思わせる強さがありました。
海外文学のエッセンスを持たせつつ、文章が無駄なく脱線せず組み立てられているので、に無駄がないので専門用語が邪魔にならず頭の中にリアリティとして入ってきます。
そのリアリティにさらに説得力を持たせているのが、現実においても取り沙汰されている社会問題や情勢を盛り込んでいることです。
フィクションの中にそうした現実の延長線を引き伸ばして繋ぐからこそ、それが起こりうる未来かも知れないと良い意味で錯覚させられるわけです。
まだ書き始めの段階でこれだけ心を掴んでいるのに、この続きや結末はどうなってしまうのか。
楽しみでもあり、恐ろしくもなる期待作です。
グローバル化といった世界のつながりを示す言葉が陳腐化してどのくらいの時間が過ぎたのであろうか。そしてICTの進化に伴う社会の変容も唱えられて久しい。
日本はかなりそのような現場からは遅れているが、コロナウィルスによりこれまでの生活に疑問を向ける人々は多くなっただろう。
ひと昔、子供向けの雑誌には未来の世界が華やかに描かれていた。五十年前の雑誌にはコンピューターを介して教員もしくはAIが生徒に教える挿絵もあり、今を生きる私たちはそれが既に現実のものとなっていることを知っている。しかし今の時代にその時子供たちが読んだ時の高揚感は伴っているのだろうか。
この『インサイド・シュローダー』は今よりもほんの少し未来の社会を描いた、ドキュメンタリー映画の取材という態で描かれている。多国籍メディア系ベンチャーのイノセントジャーナルの面々を通して私たち読者は数年後の世界を知り、そして今の世界で何が起こっているか現実世界で問い直すことになるのだ。
例えば本作の呼んだ後に私たちは環境保護と経済のバランスをどうやって折り合いをつけていくのかを考えるはずである。そして持続可能な開発は推進すべきだが、低炭素排出車の出現により、これまでの産業にどう影響するのか、雇用は、国際分業体制は、失われる技術は‥‥と、そこにはリモートワーク以上の社会的変革があることに気づくはずだ。
そしてその変化は経済だけにとどまらず情報にも波及していく。既存のメディアやネットで主張する意見には、その背景に支持者や団体の思惑や利権を感じている人も多いと思う。国家による情報統制や、デマ、煽り、社会的不満のはけ口等、虚実入り混じったオンライン化された時代では情報が便利という時代は終わったのだ。作中の表現を借りれば私たちは何の情報が必要で、それにより私たちは何を成せるのだろうか‥‥。
本作を読んで未来を考えるとき、次の世代には子供の時の未来のあこがれやドキドキを伴って実現してほしいと考えさせられた。
また、本作の魅力は上述の、未来を読み解きながら今を知ることの他に、その文章表現の秀逸さがある。ジャーナリストの視点から描写される世界は簡潔で分かりやすく、まだ無駄な文章が一切ない。当時の世相を示すためのニュースをうまく導入に使うことで、登場人物の話を深く掘り下げてもいる。現代や近未来を舞台にした小説を書く人は是非本文を見て、文章の美しさと構成の見事さに拍手をして欲しい。