第8話 モデルの仕事中に偶然の?
「ちょっと、あたしの話はちゃんと聞いているのかな? 光輝くん!」
「……あ、すんません、ぼうっとしていました」
完全に意識が飛んでいたので、俺は掛けられた声にハッと肩を震わせた。
そうしたら「動かないで!」と怒られる。
簡易式の化粧台でメイク中だったことを思い出し、再度謝罪する破目に。
ここはロケバスの中。
本日は日曜日で、俺はhikariのお仕事として、近場の自然公園に撮影に来ているところだ。
「あたしの貴重なビューティートークを聞かないで、いったい何を考えていたのかな? 悩み事ならおねえさんに話してごらん」
パイプ椅子に座る俺の後ろでメイク道具を構えているのは、ヘア&メイクアーティストのココロさん。
145センチのミニマム体型に、金髪のロングヘアーを真っ赤なリボンで編み込んだサイド三つ編み。メイクで意図的にそうしているとこもあってか凄まじい童顔で、『おねえさん』なんて自称しているけど、外見はファンキーな小学生女児にしか見えない。
これで30代後半だったか。
美容業界は歳を取らない妖怪が多いと聞くが、ココロさんも間違いなく妖怪の部類に入る。
だが腕は確かで、俺が完璧なhikariになるには欠かせない存在だ。
「悩みってほどじゃないんですけど……実はちょっと、学校で気になる女の子がいて」
「えー! うそうそ、まさかの自意識過剰系自分大好き女装男子の光輝くんが、自分以外で気になる女の子!? これは予想外!」
「ひどい言われようッスね! 否定はしないですけど!」
だから俺だって動揺しているんだ。
ーー俺が考えていたのは、三日前に不意の笑顔を見てしまった雨宮さんのこと。
あれから彼女の笑顔が忘れられず、前から気にかけてはいたが、それとは別で輪をかけて気になって仕方がないのだ。これはたぶん、初めて自分以外に『可愛い』と思える女の子に出会ったという、衝撃が尾を引いている故だろう。
ただただ、可愛かった。
いま思い出しても心底可愛かった。
あの笑顔は新聞の一面を飾れる、マジで。
雨宮さんのことを搔い摘んでココロさんに説明すれば、ココロさんはリップライナーをくるくると指先で回しながら、「んー」と唇を尖らせる。
「それってさあ……世間的にはなんていう感情か知っている?」
「え、なんですか。教えてください」
「その話によるとお相手の子も絶対……なんだけど、そもそも光輝くんは、ある意味hikariのせいでそのへんの情緒が死んでいるからなあ。おねえさんから答えは出さないでおくよ。がんばれ、青少年」
「hikariのせい……?」
ココロさんの言うことはちっとも理解できなかったが、hikariの名前で連鎖的に思い出したのは、雨宮さんがhikariの写真をなぞりながら俺の名前を呼んだ件だ。
しかしあのあとの笑顔のインパクトが強すぎて、正直もうあっちの件は記憶があやふやである。
よって、やっぱり聞き間違いということで脳内処理した。
正体バレなんてことはさすがにないだろうし、そうなれば空耳だったというのが妥当だろう。
「けどさ、光輝くんが可愛いと思う子なんて、hikariの相方候補にぴったりなんじゃない? 社長には言ったの?」
社長とは美空姉さんのことだ。
実は姉さんには、まだ雨宮さんのことは伝えていない。
絶対に「いますぐ会わせて!」と迫ってくるに違いないし、発狂モードの姉さんだと予測不可能な動きをするときがある。先走った行動は危険である。
「話したのはココロさんだけですし、姉さんにはしばらく秘密にしておいてください」
「やだ、それってあたしと光輝くん、二人だけの秘密ってこと? 響きが若い、あまずっぱーい!」
きゃっきゃっとはしゃぐココロさんは、そのまま小学生女児であり、さすが業界では『合法ロリ妖怪』と囁かれるだけはあった。この呼び名を聞くと本人は怒るが。
そんな雑談も間にしつつ、スタイリストさんも交えてhikariの準備は着々と整い、撮影自体も滞りなく進んでいった。
今日は秋物ファッションの撮影で、どうしても季節を先取りするため服は暑かったが、これはまだマシな方。真冬の寒空の下でノースリーブ一枚だったこともある。暑かろうが寒かろうが、カメラを向けられたら笑うのがモデルとしてのプロ根性だ。
スタッフさんたちにも「今日も可愛いね、hikariちゃん!」「さすが世界一の美少女!」「ナンバーワンバズりモデル!」と褒めそやされ、いつだってhikariに死角はない。
スタッフさんたちは俺が男だとわかっているはずなのに、撮影になるとしっかり『美少女モデル』扱いになるんだよな……こっちもプロ根性か。
「hikariちゃん、次の撮影が始まるまで少し休憩挟もうか。服を着替えたらそのへん散歩してきてもいいよ」
「あ、じゃあそうします」
カメラアシスタントさんにそう言われ、俺はメイクやウィッグはそのままに、帽子とジャンパーを借りて公園内を回ることにした。
自然あふれるだだっ広い園内は、天気のいい休日ともあって
撮影場所は許可を取って立ち入り制限をかけていたし、帽子を深く被った状態では俺がhikariだと気づく者もいないだろう。男に戻ったらもっとそんな心配はいらないのだが、hikariの魔法を完全に解くにはまだ仕事が残っているしな。
「へー、移動販売とかもやってんだな」
広場のようなとこに出れば、キッチンカーの前に数人の行列が出来ているのを見つけた。
けっこう賑わってんな。
なんの店だろう……と近付けば、蛍光ピンクの看板の文字は『生どら焼き専門店』。俺はどら焼きに呪われているのか?
「……ん?」
どら焼きは見るだけでも勘弁願いたいし、早いけどもう戻ろうかと踵を返しかけたところで、ピタリと動きを止める。
「あれってまさか……雨宮さん、だよな?」
帽子の下からじっと目を凝らしてみるが、間違いない。
噂をすればなんとやら。
神様のイタズラ的な偶然だが、行列の中でそわそわしながら並んでいたのは、私服姿の雨宮さんだった。
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