人造蛸VS蛸造人間

デッドコピーたこはち

第1話

 『不気味の谷現象』という心理現象がある。ヒューマノイドを段階的に人間に似せて行くと、ある時点までは親近感が増すが、それを越すと急に不気味さや嫌悪感を感じるようになるというものだ。

 どうやら蛸にも『不気味の谷』は存在するらしいことを、私は知った。


 海洋汚染によって引き起こされた突然変異源ミュータジェンの濃度上昇は、あるコモンシドニーオクトパスの一群の急激な突然変異の引き金となった。神経系の発達と長寿命化によって、その蛸たちは人間並みの知性を持つ様になった。彼らは、人類の与り知らぬオーストラリア東の海底で、都市を築いた。彼らの言葉――体表面の色素胞と形態変化によるコミュニケーション――をヒト語に翻訳するとすれば、その海底都市はこう呼ばれた。


蛸の都オクトポリス


 『蛸の都オクトポリス』に一大文明を築いた蛸たちはやがて、母なる海を汚し、環境を悪化させているのは何者なのかを知った。

 無論、人類である。

 彼らは充分な準備期間を取り、非道を正す為に人類へと宣戦布告した。『ヒトタコ大戦』の勃発である。(『蛸の都オクトポリス』では、この戦争は『タコヒト大戦』と呼ばれている)

 蛸たちの蛸型決戦兵器『オクトリオン』による電撃戦によって窮地に立たされた人類だったが、リバースエンジニアリングによって、人類の威信と尊厳をかけた人型決戦兵器『ヒューダム』を開発、戦線に投入し、盛り返した。陸上では人類が、海中では蛸が有利である為に、やがて戦線は海岸線の前後で拮抗状態を保つ様になった。


 人類がこの拮抗状態を打破する為に造られたのが人造蛸『Oct-0910』――つまりこの私だった。人造蛸を教育し、スパイとして送り込む作戦は、完璧であるかのように思えた。だが違った。

 人類に造られた私は、人類から見れば確かに蛸にそっくりなのだろう。だが、『オクトポリス』の蛸たちから見ると私は酷く……『不気味』に見えるようだった。『オクトポリス』に侵入した私は、罵倒と共に都市を追い出された。今でも触腕を噛まれた傷がズキズキと痛んでいる。

 陸に戻る訳にも、海に戻る訳にもいかなくなった私は、人類も蛸もお互いに攻めあぐねている中間地帯の海岸線、その砂浜の波打ち際でこうして途方に暮れていると言う訳だ。


 私は押しては引く波に揉まれていた。アサリでも食いながら、このままここで一生を過ごそうかと考えていると、砂浜を歩いてくる人影に気付いた。

 そういえば、反蛸感情が高まっている人類の若者の間で、捕まえた蛸を生きたまま踊り食いするのが流行っているらしい。しかし、私は逃げる気にはなれなかった。もうどうにでもなれ、刺身にするなり、タコヤキにするなり、好きにすればいい。そう思っていると、その人影が私の近くに来て、しゃがみ込んだ。

「こんにちは」

 女の声だった。蛸に話しかけてくるとは奇妙な人間である。噂に聞く、ヒトタコ融和主義者だろうか?これは面倒になった。そう思い、女の顔を見た時、私は彼女が何者なのか気が付いた。

 確かに遠目には普通のヒトのように見えるが……近くで見ると、顔のパーツの配置や大きさのバランスに違和感を感じた。顔だけではない。手足の長さや胴体の縦横比にも違和感がある。ウエットスーツに似た服を着ているが、質感が妙にテカテカしていて、それも奇妙だった。不細工であるとかそういうものとはまた違う。端的に言えば、『不気味』なのだ。

「あなたも、造られたんですか?」

(そうだ)と私は体表面の色素胞と形態の変化によって、彼女に伝えた。私が人造蛸とするなら、彼女は蛸造人間といったところか。

「わたし、人間の街に潜入するように言われてたんですが……人間に見つかった瞬間に、『バケモノ』って言われて……」

 彼女はすすり泣きはじめた。よく見ると彼女の顔には大きな青あざがあった。噛まれた私の触腕がうずいた。私も彼女と一緒に泣きたかった。だが、蛸には涙腺がなかった。

(私もだ)

 私は触腕を伸ばし、彼女の右手に触った。彼女は私の触腕を握り返した。彼女の体温は蛸である私には高すぎ、熱かったが、そんなことはどうでも良かった。

「わたし、もうどうしていいかわからなくて……」

 彼女は震え声でいった。彼女の涙は濡れた砂浜に落ち、波にさらわれていった。私は意を決した。

(二人で一緒に逃げないか?)

「えっ?」

 彼女は目を見開いた。

(蛸もヒトも居ないところに行って、二人で静かに暮らそう。蛸にもヒトにも、私たちが義理立てする必要なんてないだろう)

「確かに……それは良いですね」

 彼女 彼女は涙をぬぐった。

「逃げちゃいましょうか。一緒に」

(そうしよう)

 彼女は私の触腕を放し、両手を突き上げて大きく伸びをした。彼女に握られていた部分が少しヒリヒリしたが、いい気分だった。

(私はOct-0910、オクと呼んでくれ)

「わたしはヒューと呼ばれていました」

 彼女は私を掴み上げ、立ち上がっていった。

「よろしくお願いしますね」

 彼女は笑った。

 私たちは二人で砂浜を歩き始めた。


 こうして一緒に暮らすようになった私たちが、長きに渡る『ヒトタコ大戦』を終わらせる橋渡し役になるのだが、それはまた別の話……

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人造蛸VS蛸造人間 デッドコピーたこはち @mizutako8

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