まさか…そんなバカな…


 約束の日曜日。

 この日は、北から低気圧が迫りくる曇天。珍しく気温が低かった。

 夏のどんよりしたヌル風の下、俺とカイトは「テンシュ」を探しに●●町へ向かった。


 「タケル、お前この動画見た?」


 隣を歩くカイトが、スマホのTwitter画面を見せた。

 そこには、黒髪ロングヘアーの美女が映っていた。動画は、どうやら隠し撮りのようだ。何やら変な食べ物を犬に与えている…。あ、この犬! あのシェパードだ! ということは、この美女が「稲生さん」か。確かに、与えているのは普通の餌じゃない…「脳みそ」に見える…。

 すると、「稲生さん」がカメラに気づいた。


 「え、ちょっと! 止めてよ!!」


 撮影者の男は言った。


 「何を食べさせてるんですか? 普通の餌じゃないですよね?」

 「ちょっと、撮らないで!」

 「それ、人の脳みそじゃないんですか?」

 「え?………」

 「それ…、一体なんなんですか?」

 「ちょっと…、ホントにやめなさい」


 そう言って、撮影者のスマホを奪い取ろうとする。

 撮影者は、うまくその手を交わして、さらに聞いた。


 「てか、その犬の名前、何て言うんですか?」

 「………」


 稲生さんは、カメラをグッと睨みつけている。

 黒髪ロングヘアーのその姿は、「美人」とは程遠く、まるで「貞子」のように恐ろしい姿だった。

 

 動画はそこで途切れた。

 「これ、決定的だろ…?」カイトが真顔で言った。


 急いでスマホで「#テンシュ」を検索すると、このTwitter動画は一気に拡散し、さらに話題を呼んでいた。


 「信じられない」

 「最悪…」

 「誰の脳みそ?」

 「稲生、人殺し」

 「#リアル貞子」

 「#これは殺人事件」

 「#人食いテンシュ」

 「#テンシュ死ね」

 

 動画はどんどん拡散され、リツイートは熱気を帯びている。

 添付された写真もリアルだ。【脳みそ】【脳みそに食らいつくシェパード犬の口元】【頭が割れた死体】【血のついたノコギリ】…。見るに耐えない衝撃の写真が連なる。半分はフェイクなのだろうが、稲生が映っているものもあり、真実味を帯びている。


 「タケル、この辺だぜ」


 歩きながらスマホを見ていたら、もう現場のすぐ近くまで来ていた。


 「Googleマップで見ると、次の角を右に曲がってすぐだな」


 角を曲がる。

 曇天のせいか、肌寒い。

 

 「あ、あれだ!」


 動画で見たことがある家が見えてきた。確かのあの家だ。

 表札に「稲生」という文字が書いてある。

 だが、そこに「テンシュ」の姿はない。

 家の入り口にある犬小屋の中を除いても、何もいない。


 「なんだ。いねぇじゃん」


 拍子抜けだ。でも、少しホッとする俺がいた。

 そんな俺を見透かしたようにカイトがニヤけた。


 「なにタケル。もしかしてビビってた?」

 「そんな訳ねぇじゃん!」

 「怪しいな〜。てか、散歩にでも行ってんのかな? それはそれでホラーだな。『散歩する人食い犬と殺人鬼』。ホラーすぎるわ…」


 テンシュがいない犬小屋に目をとらわれていたが、自宅の方に目を向けると、家中の窓がすべて雨戸で閉じられていた。


 「ちょっ、カイト…。窓全部、閉まってる…」

 「マジだ…。なんか気味悪いな…」

 「…引っ越したとか?」

 「いや、これ家の中に引きこもってる感じじゃね? それか、今まさに…」

 「いやいや、ないでしょ!」

 「やっぱビビってる?」

 「…ビビってねぇし!」

 「じゃあ、裏に回ってみるか」


 俺は正直、怖かった。

 だが、カイトの好奇心は止まることを知らない。

 玄関を後にして、家のすぐ脇にある小道を歩く。

 やはり、すべての窓はしまっている。

 家の裏側にたどり着いたとき、俺ら2人は茫然とした。


 壁一面が、大きな落書きで埋め尽くされていた——



   誰の脳みそ?   稲生 人殺し

  リアル貞子   殺人事件の館

    消えろ 死ね! Fuck You!

   人食いテンシュ   テンシュ死ね

  容疑者 稲生  テンシュの呪い

   NO!脳みそ!  自首しろ



 赤や黒や緑…。スプレーで殴り書かれた落書きを見て、俺は震え上がった…。

 カイトも無言だった。





 「…帰ろうぜ」


 俺ら2人は、「テンシュ」の真相を掴めないまま、その家をあとにした——





 無言の帰り道。

 最寄り駅に近づき、商店街の活気に安堵した頃、カイトがようやく喋りかけてきた。


 「珍しいな、この店! 味噌ってこんなに種類あるんだな」


 どうでもいい話は、こういうときにこそ役に立つ。


 「おー、マジだ。すげぇ色々あるな〜」


 普段は見向きもしない味噌屋を2人で見つめた。

 大きな木桶に入った手づくり味噌が、10種類以上並んでいる。暖簾を見ると、江戸時代から続く老舗らしい。いかにも職人らしい親父が見える。


 「おい、兄ちゃん! 味見してくか?」


 怖い顔をした親父が大きなしゃがれ声を出した。


 「いや…大丈夫です」

 「そっか。うまい味噌ならいろいろあっから、今度母ちゃん連れて来てくれな!」

 「あ、はい…」


 味噌屋を離れながら、カイトが言った。


 「脳みそもあるんじゃね?笑」

 「バカ!やめろよ」

 「あったら怖くね? 脳みそを売る味噌屋。完全ホラーじゃん!!」

 「くだらねー。」


 そのとき、親父のしゃがれ声がまた聞こえた。


 「ちょっと、おばさん! ウチ、犬はダメだよ!」


 「犬」という言葉にビクッと体が反応し、2人の足が止まった。

 ゆっくり振り返ると、小さな柴犬だった。

 俺とカイトとは胸をなで下ろした。


 「おばさん! ウチね、犬連れの客はダメなの。ほら、この貼り紙にも書いてるでしょ? ワンチャンが、味噌舐めちゃうもんだから!」


 そう言って、味噌屋の親父は貼り紙を指差した。

 そこにはこう書いてあった。







 「NO!

  味噌を食べる犬 店主」







 その貼り紙を見て、俺はゾッとした。



 その場に立ち尽くし、体の震えが止まらなくなった。


 「こんなくだらないことが真実だとは…」












 あとあと聞いたところ、稲生さんの犬の本当の名前は「レオ」。そして、あのTwitter動画は、彼女の元カレが嫌がらせで作り、アップロードしたものだったという。


 もちろん餌は「脳みそ」ではなく、フェイクだった。









 稲生さんは、あのSNS上の事件のせいで自殺したそうだ。













 SNSは、指先一つで簡単に人を殺せる凶器だということを知った16歳の夏だった——



         〈完〉




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

犬の名は。 廣木烏里 @hsato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ