第5話 ブキッチョなコックさん
「店の皆は、全員驚いたんだ。コックさんの舌の確かさと、無口な彼が、こんなにキチンとお話ができる人間だったことにね」
「先生。そのコックは……」
僕は清水君が淹れてくれた珈琲を飲みながら、話を続けました。
「その後、コックさんは身体中の水分が無くなるほど大泣きしてね。その水分を皆が勧める強いお酒で補ったんだ。
当然のようにベロベロになった彼を、僕とオーナーシェフの娘さんで、店から部屋まで運ぶ羽目になったんだけど。大変だったなぁ。僕はすぐ部屋を出たけど、あの後、彼らはどうしたんだろうね?」
ドタドタドタ!
2階の居住スペースから、守口さんが転がり下りてきました。
「先生! もういい。もういいですから!」
「おや? 守口さん。お帰りは深夜になるんじゃなかったんですか?」
「そんなに守口をイジメないでください。いつから私たちが二階に居ると気が付いていたのですか?」
フランソワさんも微笑みながら、店に降りてきました。僕は肩を竦めて答えます。
「以前、居住スペースに招待された時に、2階からお店の音が全て聞こえる設計にされていると教えてもらいました。それにですね。そういう設計では、お店からも2階の様子が分かるんですよ。」
守口さんは、慌てて調理場に入って行きました。しばらくして四人分のお皿を持って、戻って来ます。そこには牛肉の赤ワイン煮込みが乗せられていました。
「あの話を聞いた後には何だが、食べてくれ」
清水君は背筋を伸ばし、一礼すると皿に手を付けました。僕たちもご相伴に預かります。
「あれぇ? これはお店で出す、いつもの煮込みじゃないですか」
肉の柔らかさ。ソースの香り。どれを取っても一級品です。使用している野菜は、フランソワさんが近所の有機農家から、選んで来た物でした。今まで話していた思い出話の後では、格別な味わいです。
「いいえ。この皿はいつものレシピではありません」
清水くんは守口さんを真っ直ぐに見つめました。
「基本の作り方は同じですが、使用した肉の部位と、スパイスが若干変えられています。このお店では、どんな定番のメニューでも年に何度かレシピを変更します。同じような料理に見えますが、絶えず変化しているのです」
守口さんはフランソワさんに尋ねました。
「幾らかシェフの味に近づいただろうか?」
「あの時食べた煮込みよりも、今日の方が美味しいわ。でも、父もあれから工夫を重ねているでしょうから」
フランソワさんは、清水くんに微笑みかけます。
「清水君。父の店へ行って、この料理を作ってくれないかしら。私たちは、そんなに長いことお店を空けるわけには行かないのよ。」
「それはいい。言葉の問題も心配しないで下さい。フランソワさんもいるし、およばずながら、僕もお手伝い出来ます」
清水くんは、びっくりした顔で僕たち三人を見つめていました。下を向いて長い時間考えた後、小さく頷きます。
守口さんは、肩の荷が降りたように一つ、大きなため息をつきました。
いつも、美味しい料理を作ってくれるコックさん。氷の塊からライオンや白鳥を削り出すことも出来ます。薄切りのお肉を綺麗な花びらの形に盛り付ける事も出来る器用な彼なのに、肝心な場面では、何て言葉足らずでブキッチョなコックさんなのでしょうか?
でも、羨ましいですよね。どんなに不格好でも、料理で本当に大切な気持ちを伝える事が出来るのですから。
ブキッチョなコックさん @Teturo
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