欲しがりなあなたへ

蒼狗

静まり返った森の中で

 草木をかき分けて行くと、ツタに浸食された古城が現れる。人の足が途絶えて百年近いときが流れている。昔は城で働く者や来客で人が溢れていた。今となってはここを訪れるのは私ぐらいだろう。

 閂も無く、そもそも扉自体が朽ちて落ちようとしている。もはや機能を失っているともいえる扉を抜ける。耳の奥に残る兵士の鎧の揃った音が懐かしい。

 数十年前の嵐で壊れた壁から風がながれてくる。流れてきた種のおかげでホールには徐々に植物が増えている。もうしばらくすれば、ホールというよりも庭のようになってしまうかもしれない。

 階段や廊下に敷かれていた絨毯も、そこにあったであろう痕しか残っていない。美しい石材と色鮮やかな赤色の絨毯。廊下を行き交う侍女の姿。何も残っていないここは、昼間だというのに冷たく感じる。

 唯一、最低限の清潔感が残っている扉を開ける。多くの物で溢れた部屋だ。

 朽ちかけのぬいぐるみと洋服。空っぽになった鳥かご。鮮やかな色の失われた絵画。煌びやかな燭台。遠くの街で人気の食べ物。色彩に溢れた宝飾。美しいリネンのついた天蓋。柔らかな質感の寝具。

 そしてそこに静かに横たわる女性。あの朗らかな笑顔を見せていた頃から時が止まったままの姫。

 私は肩にかけていた袋から猫のぬいぐるみと薄紅色の花、紫色の宝石のついたペンダントを置く。

 だが彼女は目を覚まさない。

 胸が張り裂けそうな悲痛感に襲われるが、涙を流すための瞳も肉もこの体には残っていない。

 もし姫が起きたとしても、骨だけのこの体では気づいてもらえないだろう。

 だがそれでもいいのだ。

 彼女が目を覚ますその時まで、私は彼女が望んだものでこの部屋を埋めよう。




 その村には言い伝えがあった。森の向こうにある人の居なくなった集落、そして古城についての言い伝えだ。

 曰く、快活で多少わがままだが、美しい領主の娘がその城に住んでいた。

 妙齢の娘には婚姻が決まっており、とても幸せな毎日を送っていた。

 だが、嫁ぎ先の城へ向かうその前日に悲劇は起きた。

 以前から姫に好意を寄せていた一人の兵士の凶刃により、城にいた人間が全て殺されてしまったのだ。

 ただ一人だけ生き残った娘は悲しみのあまり深い眠りへとついてしまった。二度と醒めることのない眠りへと。

 何も言わぬ者となった娘を見て狂った兵士は、集落から略奪の限りを尽くした。

 やがて集落にすら人も居なくなった。

 長い時が経った今でも兵士は、その満たせぬ欲望を埋めるため無人となった集落をさまよっているという。




 真実は眠り姫のみが知る。

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