箱庭のそら

 ……トクン。



 長い間、夢をみていたような、まだまどろむ心にゆれているような、そんな時間。さびしくて、さびしくて、どこまでも灰色のそらが私の世界を覆っている。この抽象的な景色の中、経てども経てども輪郭をおびない私は、雲の中を漂い歩く。沈没船は、光のない穴の底にいかりをおろして荷物を吐き出す。きらきらと輝く見えない星々。散らかったまま片付ける人のいない部屋。私は一つ一つ拾い集め、私にする。



 トクン……。



 冷たかったそらが、湿り気をまとった体が、少しずつ少しずつやわらかくなっていく。私を縁どるように形を変える。小さくて小さくて、あいまいに溶けあう赤と赤。でもたしかに存在している点と点。ほぐされてほぐされて、私と私は惹かれあう。世界は自らをかきまぜる。



 徐々に温もりをおびる雲。私をみつけようとする私。どこからか鳴りひびく音。不安定な湿気が世界を満たしていく。寄せてはかえすカゴのように、ざらざらと遊ぶおもちゃ箱。ねばねばとした時間が、一つずつ選んでは入れ、また選んではあきらめる。壊さないように大切に、包んだものをそらへと放り投げる。



 どこからともなく青い風。沈没船にもたれかかったそらのカケラに、ふっと一息優しさを吹きこむ。青い風は役目を終え、あとに残るはたった一つの白。中をのぞくと、しとしと……しとしと……泣いている。優しさを抱き、雲ははたらく。すくすく……すくすく……芽生えのとき。もはや逆らうこともなく、じっとその時を待つ。すでに私としての機能は回りつつある。くるくると、脈々と。無意識に意思をもって動くもの。



 トクン……トクン……。



 せまくてせまくて、とてもせまい。形どられたカタチにおさまる私は、まだ見ぬ世界に思いをはせる。甘くて丸い不思議な音色が聴こえる世界。意思をもたず無意識に動く私は、深くて深くて……どこまでも深い箱の中で私を自覚する。



 ――――私は私をみつけた。



 まもなく風はやみ、箱はかえり、熱い音をあげる。ぷかぷかと浮かぶそらの中、あてもなく、意味も知らず、私はただ時を待つ。霧散する夢を持ち、青々とめぐる血にのって、私は私を組み立てる。



 私は笑う。私はよろこぶ。力一杯、私を謳歌する。ぐるぐると渦巻く私たちは、今になって不安そうに雲を縫う。私は恐る恐る世界を組み立てる。未だ眠ったままの沈没船は、穏やかな顔でぴくりとも動かない。すでにそらは白みはじめ、刻一刻と夜明けにむけて歩をすすめる。トクトク、トクトクと、雲をよけ、いかりを上げる準備に取りかかる。



 トクン。トクン。トクン。



 私を構成する一本一本が、はじけては手をつなぎ、別れてはまた出会う。積もり積もるよろこびを幾重にも繰り返し、ゆっくりと、ゆっくりと、かたまる、つながる。彼方から光が顔をのぞかせるように。ゆっくりと。



 私はそらのせまさを知る。どれほど叫んでも聴こえない。果てまで泳げどなにも視えない。暗くて深い穴の底。温かくて心地いい雲の上。時折ゆれる箱の中。いつか夢に見たまだ見ぬ世界へ、私は私を運んでいく。それは雲の途切れた赤い谷間か、顔をのぞかせた光の背中か。私は知らない。まだ見ぬ世界を見たことがない。鳴りひびいていた音もいつの間にか聴こえない。独り漂うそらの中、つながるいかりをもて遊ぶ。



 紡いで積もって切れてはつながり形になる。すでに私は私である。あんなに重たくのしかかっていた雲は消え、恥ずかしそうに見ていた光は遥か高く。不安定だった湿気は確固たる意志をもち私を持ちあげる。このそらにあるもの全てが私。一から了まで私であった。長い時間をかけ、私は私を私たらしめた。



 ――――トクン。



 私はじっと、その時を待つ。


 世界に訪れる、新たな夜明けを。



 ――――トクン。



 私はじっと、その時を願う。


 まぶたのうらにある、未知なる明日を。



 ――――トクン。



 私はじっと、その時を想う。


 この手をにぎる、笑顔のうたを。

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