雨がふればいいのに

渇いた日々に生きる意味を忘れた側溝がある。まだ若く手をつなぎ連なる石灰色のその中に、一冊の白い本が棄てられている。

いつからここで待っていたのか。

水の流れに身をまかせ、時の歩みに置いていかれ、そうしてこの本は僕のもとへ辿り着いた。対して僕は手を汚すことを避け、こちらを覗く表紙を頼りに内容に思いを巡らせる。


『雨がふればいいのに』


その一文以外に文字は見あたらない。それが題名であると前提し、あらんかぎりの想像力でページの上を散歩する。白い本だと認識できるその前に、黄ばんだ汚れが本のそこかしこで主張している。なるほど題名たらしめる本編の前にここに至る道程を長々と記しているに違いない。


するとこの本の大半は前書きが占めていることになる。なぜならここに至る道程の舵を取っていたのは水であるから、「雨がふればいいのに」文言そのままに解釈するなら、自身の冒険譚と共に雨を望む様子も書き連ねているはずだからだ。


さて、僕の陳腐な想像力ではこの小さなロビンソンストーリーは前書きで完結してしまう。物語に奥行きを持たせるためには多角的な視点が必要だ。前書きが本の視点すなわち本の道程だと仮定すれば、本編は僕の視点つまり僕との出会いだと傲慢に考えてみる。


こういった趣旨で続きを書いてみてはどうだろう。


『晴れていればいいのに』


これなら雨を望む本と相対する僕。二つの視点で視線を結ぶことができる。雨がふらなければ、晴れなければ、こうして僕たちが出会うことはなかった。であればやはり本の大半は前書きが占めている。なぜなら今この時をもって本編が始まったばかりだからだ。


この偶然は誰に決められたわけでもなく、例えば誰に見張られているわけでもない。このまま側溝に沿って歩きだしても僕の今日は変わらず日照りあるものだ。それでも、本編をまだ知らぬ後書きへと導くため、傲慢な僕は本との出会いをやり直す。今日という水の路を変えるため。


――――僕たちの物語を始めよう。渇いた日々に湿度を含ませ。


僕は膝をつき、汚れた本に手を差しのべた。

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