ペルセウスの思い出

髙月晴嵐

光芒が見える丘にて



紺色をさらに濃く染めたような空が頭上に広がっている

虫たちは演奏をやめて来るべき時を待ちわびていた

いつもは邪魔な雲も今この時は風も吹かずに天体ショーを遠くで眺めている


蒸し暑さを夕方に置き忘れた空気を吸う

視界の端に映る賑やかな都市の光を無視して真上を見つめた

空の奥のその奥へと視線が吸い込まれていく


月が地の裏側に隠れているおかげか、透明な空は沈んだ無数の星がよく見える

無数の星が煌めいて揺らぎ、ざわめいている



白い線が走った

息を飲んだ

二個、三個と空に一瞬の白線が切れ込みのように入っては消える


それに続いて無数の流れ星が夜空に輝いて一瞬の命を散らしていった







「このままだとスイフト・タットル彗星は地球に衝突します」


発表に世界は混乱した。

彗星の直径は約20Km以上で恐竜を絶滅させたであろう隕石の大きさに匹敵する。

衝突地点の1000Km以内の生物は即死し、数秒後、その周囲に草木が自然発火するほどの放射熱が広がる。

海に落ちた場合は約300mの津波が発生し、M10クラスの揺れが人々を襲う。

数分経つと地殻から噴き出す溶けた岩石が世界中に降り注ぎ始める。

想定される被害は甚大で、全ての生命に滅亡の危機を引き起こす。

そのあまりの内容に人々は最初は計算結果は信じなかった。

いくつもの研究機関と協力して何度も観測、計算し直した。

海外の優秀な研究者たちが結集して、正確な軌道を求め直した。

次第に計算は正確さを増していったが、地球に衝突することを頑なに証明した。


彗星は2126年7月12日、日本時間午後10時頃の北太平洋、日本近海に衝突する。


告げられた人々は意外に冷静だった。

事実があまりにも非現実的すぎて心の表面に置いたまま理解を拒んでいるのかもしれない。


気持ちは批判できない。

自分でも未来を予測することはできても、心では理解していなかった。


夜空に浮かぶそれを見て、ようやく現実だと認識したくらいだった。

手を伸ばすとその一部に触れそうになる。

現実だ。

ここまで受け止めていなかった自分に驚き、苦笑した。


「アメリカの核ミサイルによる最後の迎撃作戦は失敗したそうよ、Dr.アオキ」


Dr.オーリガが夜空を見上げる僕の横に来て告げた。


事態を重く見た各国政府は昨年まで争っていたのが嘘のように協力して冷戦時代の遺物を改造して彗星に向けて発射した。が、命中しても軌道は変わらず意味がなかった。

ある国は別の小天体を当てたが、軌道は変えれなかった。


「オリューシャ、君は本国に帰らないのかい? 見ての通りこの国は危険だ」


僕は人生の最後を祖国で迎えない彼女に聞いた。


「どこに逃げても一緒よ。モスクワも数時間後には岩屑の雨が降るわ」


「それでも衝突地から8200Km以上は離れている。生きていられるんだ。他の人がしたみたいに帰国するべきだった」


「地獄を目撃しながら? 皆は気の毒な目でこの国を見るけど一瞬で逝けるなら一番幸運よ。それにもう若くないし」


二人の間に沈黙が流れた。

口を開くと決まってしまった未来が頭に浮かんでしまうからだ。

月よりも近くにいる彗星は無言で佇んでいる。

雪の降る都市もこの蒸し暑い天文台もいつもよりか心の側に感じた。

世界中の人々の声が胸を渦巻く。

終わりを目の前にして共感性が叫んでいる。


辺りを見渡す。

天文台建設時に植えた百日紅の花が咲いていた。


老いた僕たちが死ぬのはまだいいが、未来が奪われてしまう…

今まで積み上げたものが全て崩れ去る。


僕たちが生きた理由は何だ?


僕はいよいよ耐えられなくなって、口を開いた。


「昔、ここでペルセウス流星群を見た。2020年の丁度今日だ」


「聞かせて。最後の余興に」


彼女は月を宿したような黄金の髪を靡かせてこちらに向いた。








僕は草をかき分けて、丘の頂上まで登りきった。

確認すると時刻は丁度、22時頃だ。

ヒロバネカンタンが口ずさむ歌を無視して、月のいない空を見上げる。

星空に白色のシャーペンを走らせたように線が一瞬光る。


慌てて将来の夢を早口で唱えた。


冬に見たものと違って早く消えるので三回も唱えられない。

最終的に心の中で唱える妥協点に達した。

目的を終えて、座って天体ショーを眺めていると、ふと誰かの声が耳に入った。


「マ…、マ…ー」


少女の声だ。

僕は草を踏み鳴らしてその声の方に移動する。

背の高い草を退けると僕と同じ背丈の少女が空を見上げており、先ほどより鮮明に聞き取ることができた。


「マネーマネーマネー」








「信じられるか? 金を願っていたんだ」


僕が肩を竦めて言うと、彼女は笑って答えた。


「アメリカの文化ね。きっと資本主義に囲まれて育ったのよ」


百日紅の鮮やかな紅を撫でる。


「だろうね。だがあの時、彼女は宇宙人だと自称した」








僕は少女に話しかけようか迷っていた。

髪色から察するに外国人だからだ。

それでも流星群を同じ場所で見たのだ。

話せば、お互いの好奇心を刺激できるに違いない。

でも日本語しか…

何もできないでいると少女と視線が合う。


「何よ、そこの少年」


僕の不安は彼女の口から出た流暢な日本語に打ち砕かれた。


「いや、丁度僕もここでペルセウス流星群を見ていたから」


「そう」


彼女は素っ気なく返すと再び空を見上げた。

僕は無視された気がして、会話を続行したくなった。


「日本語上手だね。どこ出身なの?」


「私、日本人とはあまり話したくないの。言葉を覚えても仲良くしないし」


返す言葉が思い浮かばず、虫の音がよく響いた。

会話の間を埋めるように流星群が一瞬の命を光らせる。


「マネーマネーマネー」


「…せめてどこ出身なのか教えてくれたっていいじゃないか。僕は君と同じく夜空が好きだ」


僕の言葉に彼女は呆けていたが、首を振ると目を見て自己紹介をした。


「私はスミルノワ、宇宙出身よ」


意味がわからない。表情に出ていたのだろう。彼女は自論を滔滔と語り出す。


「だって、宇宙に浮かぶ地球に、つまり宇宙に生まれたでしょう。みんな等しく宇宙人よ。国境も人種もくだらない。何故人は星に星と名付けるのでしょうね。認識しやすくなるのはわかるけど。名付けるたびに何だか真実から遠のいてしまう気がする。全てこの宇宙にあるものだから、人も者も皆、宇宙出身よ」








「頷くしかなかったよ」


Dr.オーリガは僕を見つめていた。何か思うことがあるのか口を開く。


「そんな昔のことを鮮明に覚えているなんて。少女がそんなに強烈だったの?」


「ああ、多分あれが僕の初恋だ」


老いた今では恥ずかしくもない告白をした。

彼女はゆっくりと近づいて来る彗星の方を見た。

しばらくして言葉を溢す。


「綺麗ね」


綺麗? そんな見方もあるのか。

彗星を見て僕は頷いた。

確かに夜空に浮かぶそれは美しい。


「あ、流れ星!」


一瞬空が光って岩石の点が落ちていく。

彗星の重力に引きつけられて地球に落ちているのだ。

本来ならこの時期はペルセウス流星群が見えた。

その流星群の母天体はスイフト・タットル彗星なのだが。


「こんなに遅い流れ星なら願いもかけ放題だ」


「いつから人は流れ星に願いをかけているのでしょう」


僕はウラル・アルタイ語族やキリスト教の話をしようとしたが、続きを聞かれていることに気づいてやめた。








「何でそんなにマネーを唱えるんだい?」


宇宙人を皮切りに会話が続いた。


「研究資金のためよ。科学者になっても資金がなかったら研究なんてできない」


世知辛い理由だ。だが盲点だった。確かになりたい職につくだけではだめだ。


「何の研究を?」


「ビッグクランチや重力波、タキオンとか負のエネルギーを作る研究がしたい」


「ワープだね」


「どうしてわかったの!?」


はぐらかして答える彼女の単語をつなげると答えがわかったので聞いてみると、正解だった。


「アルクビエレ・ドライブは絶対に可能よ。エキゾチック物質さえあれば。実現できれば…光速を超えて宇宙の深部へ旅行できる。人は早く宇宙に進出するべきなのよ」


「どうして?」


「人類にいつ脅威が訪れるかわからないじゃない。例えば、隕石とか」


空を見上げると白い線が現れては消えてを繰り返していた。

地球は大気で守られているが、自動車以上の大きさの隕石は防げない。

人類が破滅するレベルの確率は天文学的な数字だが。


「にしても大量の負のエネルギーが必要になるだろう? それはどうするの」


「将来…研究するのよ」


「例えば…ドーナツ型にすれば、ある程度には減らせるんじゃないかな」


思いつきを伝えると彼女は腕を組んで頭の中でイメージを作り出した。


「…確かにできそうね。あなたは将来、何をするの?」


「僕は…地球で夜空を見続けるよ」








「その後も話し続けたよ。量子もつれや平行世界についてとか」


彗星はいよいよ僕たちの住んでいる地球の表面に迫っていた。

音も出さずに無言のまま僕たちを殺そうとしている。

死が皮膚の厚さもない程に存在している。


「その後、どうなったの?」


「…別れたまま、それっきりだ」












100年以上もの時が流れている。


もう、顔も思い出せない。













「彼女の居場所、私は知っているわ」



彼女が口の端を上げて僕を見つめた。



「どこかな」






「目の前よ」




でも、思い出は不滅だ。




「夢は叶ったわ。あなたは?」

 



「…僕もだよ。久しぶりだね。オーリガ・スミルノワ」





光が埋め尽くした。

轟音と共に百日紅が倒れ、窓ガラスが割れる。

戦闘機が近くで飛ぶような劈く音と立っていられない程揺れる地面。

空が激しく光って怒りを吐き出している。

音が聞こえなくなると耳を塞ぐのをやめて倒れた彼女に這いずり寄った。


すっかりシワの深くなった額に口漬けをして、覆いかぶさって抱きしめた。



彼女は口を動かしているが聞こえない。




僕が頷くと笑みを浮かべて目を閉じた。






二人の体が高熱で焼き爛れていく







僕も目を閉じて…






















気づけば、僕たちはあの流れ星の下に立っていた






…地球で夜空を見続けるよ




聞かせて。あなたの話を

 



タキオンが存在すれば別の事も可能だ。例えば…








2020年のあの丘に僕たちの声が響く




声は月が沈むまで流れ星に言葉を届け続けた

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ペルセウスの思い出 髙月晴嵐 @takatsukiseiran

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