第59話 金色と影

 ラダンは黙って目の前に現れた女人にょにんを見つめていた。

 あまり眠っていないのか、目の下には薄っすらとくまが出来ている。しかし、疲れ顔ではあるが、この国の皇后としての気高さは失われていない。そればかりか、真っ直ぐこちらを見つめている目には王族としての威厳いげんの光が宿っている。そんな印象だった。

 ラダンはえて黙ったまま、その目を見つめ返した。

 怒りも怯えも、戸惑いすらも感じられない。

(これが……たった今我が子を殺そうとしていた者に対する態度だろうか?)

 敵意すら感じられぬその視線が酷くしゃくさわった。

(殺されぬ自信があったのか? なぜ? 護衛らしき者の気配すら感じられぬこの状況で?)

 周囲の気配を慎重に探るが、どうやらここに居るのは自分たちだけのようだった。

 ラダンはちらと皇后の脇にたたずむ初老の男に目をやった。

 伏し目がちな目の奥には、知を帯びた固い光がある。加えて、微かに香る香草の匂いが術師であることを語っていた。

 ラダンは、すんっと鼻を鳴らしてから、僅かに目を細めた。

獣奇魂じゅうきこんの術がつかえるのか……)

 男のころもには、ラダンの良く知る香草の匂いがしっかりと染みついている。

 しかし、身体の線はかなり細く、そでから覗く腕は骨と皮ばかりで、戦闘には縁遠いように思えた。

(……何がこの女を、いや、皇太子を守っているというのだ)

 ラダンはますます警戒の念を強めながら、いつでも動けるようにと戦闘の構えを崩さなかった。

 しかし、皇后の第一声はラダンの想像を遥かに超えるものだった。

「お待ちしておりました」

「……!」

 ラダンは目を見開いて絶句した。

(待っていただと……?)

 あまりの衝撃に言葉が詰まる。

 驚愕の表情を浮かべるラダンを見ながら、皇后は少し考える仕草をした。

「何からお話しすべきでしょうか……そうですね、まずは、この子があなたの探している金色こんじきまなこで間違いありません。そして、あなたが我が子を殺しにここへやってくることも存じておりました」

 どうやら長々と説明する気はないらしい。端的に、しかし、確実に伝わるように、一つ一つ言葉を選びながら話しているようだった。

金色こんじきの瞳を持つ者と、その者を必ず狩りにやってくるあなた方狩人かりびと一族……これは、遠い昔、我らが琥珀族と呼ばれていた頃からの因縁です」

(我ら……?)

 聞きながら、ラダンは疑問を抱いた。確かに赤子の瞳は金色だったが、この女の瞳は金色ではない。

 皇后はラダンの疑問を読み取ったのか、静かに言った。

「私の瞳が金色でないのは、私が真の琥珀族ではないからです……。現在の琥珀族は、みな混血です。残念ながら、もう純粋な琥珀族はこの世にいないのです」

 皇后は少し間を開けてから静かに語り出した。

「この大陸に根付いた金色こんじきまなこ伝説は、真実と大きく異なります。なぜならば、我らの歴史は狩人かりびと一族によって大きく変えられてしまったからです」

 一瞬、皇后の目に怒りの色が浮かんだように見えた。

「まず、金色の瞳を持つ者が災いをおこすというのは間違いです……厳密にいうと、我らにとってはですが」

「……」

 ラダンは僅かに眉根を寄せた。

「金色の眼伝説には、狩人一族の手によってほうむられた物語があるのです」

 言いながら、皇后は赤子の脇に静かに腰を下ろすと、その小さな頭をゆっくりと撫でた。

 赤子は母の手が嬉しかったのか、両手をあげて母の手を追いながら、きゃっきゃと笑い声をあげた。

「狩人一族が真実を闇に葬り去り、金色の眼を裏切り者として後世に伝えたのは、その物語の中に彼らが最も恐れていることがあったからです。なぜ彼らは金色の瞳を持つ者が生まれると、必ずその命を狩らなければならないのかが……」

 その時、視界の端でムウがすっと一歩前へ出たのが見えた。

「私がその真実をお話しします――」

 皇后の話を引き継いで、ムウは金色の瞳を持った琥珀族と一人の狩人の悲しい物語をゆっくりと語り出した。



 ムウが話し終えると、皇后は小さく息を吐いてから再び口を開いた。

「その後、生き残った琥珀族の姫は月詠みの男と共に長い旅に出ました。そして、旅の末にここアウタクル王国にたどり着いたのです。しかし、当時のみかどは好色家で有名でした。美しい娘を見つけては、誰もが逆らえぬ王令を行使し、己の奴隷として連れ去っていたのです。宮にはそんな娘たち専用の建物があったと言われています。

 そして、運悪く姫の噂が帝の耳に入ってしまったのです。彼女は美しいというだけでなく珍しい金色の瞳を持っていましたから。

 しかし、姫が帝の使者たちに囲まれた時、月詠みの男はその使者たちにこう言ったのです。

 ――金色の瞳よりも珍しいものを披露しよう、それは必ずやお前たちのあるじが欲しがるものだろう、と。

 そうして、使者たちによって宮へ連れてこられた月詠みの男は、自身が持っている“未来を詠む力”を使い、二日後の大雨による土砂崩れを言い当てたのです。それから帝にむかってこう提案したのです。

 ――これから先、子子孫孫この国に仕えることを条件にどうかこの娘だけは見逃して欲しい、と」

 皇后が一息つくように、ふうと呼吸をすると、いつの間に眠ったのか、赤子の小さな寝息が聞こえてきた。

「月詠みの男の計らいで、どうにか奴隷になることを免れた姫は泣く泣くアウタクル王国を去ることになりました。それからは、その場その場で他族と交わりながら、どうにか琥珀族の命を繋げてきたのです。そうして、琥珀族の血は徐々に薄れていってしまったのです」

 そこで皇后は一旦話すのを止め、再び赤子に視線を落とすと、ふわりと微笑んだ。

「ただ、血が途絶えることは決してなかった。突然その血を受け継いだ子が生まれるのです。いつ生まれてくるのかは分かりません。けれども、こうして確かに受け継がれてきたのです」

「……」

 束の間、しんとした静けさが全体を包み込んだ。

 そして、ふと、皇后の目に悲しみの色が浮かんだ。

「しかし、いつの時代も黒い影は金色の瞳を持つ、我らの子を殺しにやって来たのです」

 続けて、皇后が小さく下唇を噛んだのが見えた。

「産まれた我が子をこの腕に抱いた時、とても幸せでした。しかし、その幸せの隣には同じだけの絶望もありました……此度こたびもまた、黒い影が我が子の首を狩りに来るのだと……けれど、今世は違った」

 皇后はゆっくりとラダンに顔を向けた。

「ようやく、ついが揃ったのです」

 ラダンは僅かに眉根を寄せて、こちらを真っ直ぐ見ている皇后を見つめ返した。

「……」

「そう、あなたです」

 言われて、ラダンは不快そうに顔を歪めた。

 何もかもがせなかったのだ。金色の眼伝説の真実が先ほど語られたものだとして、だから何だというのか。

 化物けものと呼ばれた男も、一人生き残った琥珀族の娘も、月詠みの男も知らぬ。ましてや、狩人一族が最も恐れていることが何なのかなど、さっぱり分からなかった。

 ラダンは暫く黙っていたが、やがて、吐き捨てるように言った。

「悪いが俺には関係のない話だ。つい? なんのことだか、さっぱり分から――」

「伝わらなかった物語もある」

 言い終わらぬうちに、ラダンの背後で声がした。

 ラダンは、はっとして身体ごと声のした方へ振り向いた。

 一瞬で鼓動が跳ね上がり、全身の血がかっと騒ぎだすのを感じた。

 なぜならば、ラダンはその声に聞き覚えがあったからだ……しかしそれは、決してこの場に居るはずのない人物のそれであった。

「今は分からずとも、お前の血に宿るの意志はそこにある。お前がその赤子を殺せなかったのが証拠だ」

 そう言いながら、ゆっくりと姿を現した人物と静かに向かい合う。

 ラダンは束の間、驚愕の表情でその人物を見つめていたが、暫くして、はっと我に返ると素早く敬意の姿勢をとった。

「……」

 問いたいことは山ほどあったが、喉がうまくひらかず、そこから一切の言葉が出来てこなかった。ラダンはじっと自身の腕を見つめながら、やっとの思いで一言だけ呟いた。

「婆様、なぜ……」

 なぜここに? なぜ貴方が? なぜ俺が……。

 そんな様々な言葉を纏った「なぜ」だった。

 しかし、婆様はラダンの問いに答えることなく静かに赤子に歩み寄ると、束の間赤子を見下ろした。そして、小さく息を吐くと、くるりとラダンの方を向いて言った。

ほどけた糸が再び交わる時、両糸結ばれ一つのやいばと成る。――お前がその片方の糸だ」

「……」

 そう言われてもなお、ラダンは動けなかった。

 本来、狩人は婆様の目を直視することは許されていない。しかし、この時ばかりは婆様の目をじっと見つめながら、納得のいく説明を求めようと視線で訴え続けた。


 そんな二人のやり取りを眺めながら、ムウは数日前の出来事を思い返していた。

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月詠み師ムウ―金色の眼― 浦科 希穂 @urashina-kiho

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