寛政捕物夜話(第九話・ハラキリ)~

藤英二

ハラキリ(その1)

鳥越明神の先の大川端あたりは、埋め立て地なので、今でも地盤が柔らかい。

それを知ってか知らずか、・・・片山左門之助は、持ってきた鍬で地面を掘った。

ここをみずからの墓穴とするそうだ。

西に傾きかけた灼熱の天道が、大川を赤々と照らしていた。

東洲斎は、画帖と矢立を手に、左門之助が墓穴を掘り終えるのを、待った。

掘り終えた左門之助は、居ずまいをただして座り、新調したばかりの衣服の前を開いた。

何のためらいもなく、脇差を腹に突き立て、横真一文字に走らせる左門之助を、東洲斎は、驚くべき速さで筆を走らせ、画帖に写し取った。

後ろに回った東洲斎が、髻を切り落としたあと、腰のあたりを蹴ると、魂が抜けたばかりの蝉の抜け殻のような左門之助の亡骸は、前のめりに穴に落ちた。

その上に鍬で土をかけ、足で固めた東洲斎は、鍬を大川へ放り込んだ。

それが、左門之助と交わした約束のひとつだった。

ふたつ目の約束を果たすため、東洲斎は鳥越明神を離れた。

・・・夕日は、お城の天守閣にかかり、江戸八百町に影を落としはじめていた。

―浮多郎は、吉原・角屋のお職女郎の春霞に会った。

太夫という格式がなくなった吉原では、お職が女郎の最高位だった。

「これが、お父上の片山左門之助さまの形見でございます」

と、浮多郎は、東洲斎が描いて表装した左門之助切腹の図と遺言書と懐紙に包んだ遺髪を春霞に差し出した。

「切腹の図は、弟さまにお渡しいただきたいとのことでございます」

申し添えた浮多郎の声を聞いてか聞かずか、見事な父の切腹の図に見入った春霞は、はらはらと涙を流した。

「弟には、めったに会いません。女郎となった姉を恥じているのでしょう」

きりっと眦をあげた春霞は、何ごとかを思いやっているようだった。

「父は、弟に仇を討ってもらいたいのです」

遺書に目を通しながら、春霞は浮多郎にいうともなくいったが、誰が誰の仇を討つのか、・・・くわしいことはいわなかった。

「それにしても、この絵は真に迫るものがあります。もう父に何年も会っていませんが、まるで父が目の前にいるようです。そして、腹を斬る覚悟のほどが、ひしと伝わってまいります。どれほど無念だったことか・・・」

春霞は、遺書を膝に置くと、打掛の袖の先で涙をぬぐった。

廊下で、咳払いがした。

「春霞ねえさん。お馴染みさんがお見えですよ」

遣手が、障子戸を細目に開けて顔を覗かせた。

春霞は、あわてて切腹の図と遺書と遺髪を、座敷の隅の柳行李にしまい込んだ。

・・・浮多郎が階段を降りると、帳場の横の座敷で、でっぷりと肥った商人風情が、にやにやしながらひとりお茶を呑んでいた。

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