ハラキリ(その2)

吉原・角屋のお職女郎の春霞が、吉原からいなくなった、との噂が広がったのは、浮多郎が東洲斎の代理として春霞に会いに行ってから三日目のことだった。

いなくなったといっても、昼下がりから暮れ六ツの鐘が鳴るまでの二刻ほどのことだ。

吉原は、男なら大名から犯罪者まで、登楼はもちろん見物も商用も出入り自由だが、女の出入は厳しく監視された。

もちろん女郎の逃亡を防ぐためだが、大門入ってすぐの四郎兵衛会所で、切手という通行証を入手しなければ、入ることも出ることもままならない。

浮多郎は、春霞の馴染みのお大尽の大坂屋万兵衛が、何やら画策したと、幇間の一平から聞いたが、・・・しばらくすると、うやむやになった。

―その大坂屋万兵衛の本所の豪邸に押し込み強盗が入った。

草木も眠る丑ノ刻に、裏木戸から押し入った賊は、万兵衛と内儀とふたりの娘をはじめ、下女や丁稚小僧など六人を縛り上げ、百両ほどの金を奪って逃げた。

そのとき、どうしたはずみか、賊のひとりの頬被りが外れ、暗いろうそくの灯りにその顔がさらされた。

・・・それは、通いの手代の紺次郎だった。

それを見咎めた頭らしき男が、匕首でいきなり心ノ臓をえぐったので、紺次郎はあえなく座敷に倒れた。

みずから縄目をほどいた万兵衛が、夜明けとともに本所の番屋に届け出た。

―浮多郎が駆けつけると、同心の岡埜吉衛門があらかた調べは尽くしていた。

大坂屋は、灘の酒をはじめ京大坂からの下りものを手広く扱っている卸問屋で、浅草通りに面した大きな店舗と蔵の後ろに豪壮な屋敷を構えていた。

賊は、忍び返しまでついた、高い黒塀の路地横の裏木戸から侵入したようだ。

縄梯子を使って、裏木戸の上から塀の中に入り、裏木戸の心張り棒を外した形跡があった。

勝手知った紺次郎が、万兵衛夫婦の寝所へ案内し、二人を縛り上げたあとは、五人の盗賊にとっては簡単な仕事だったはずだ。

「紺次郎は身元も確かで、仕事ぶりも真面目だったのに、裏切られた思いがします」

きつく縛られた腕をさすりながら、紺次郎のことをたずねた岡埜に、万兵衛はそう答えて肩を落とした。

「つい先ごろ、角町の玉垣屋の春霞が、二刻ほど行方知れずになって大騒ぎになりました。大坂屋の大旦那が連れ出したという者がおります。どちらへ連れ出したのでしょう?」

いきなり斬り込んでくる浮多郎に、目を白黒させた万兵衛は、目を細めて浮多郎を見やった。

以前に、玉垣屋の二階から降りて来た役者のようないい男と目が合ったが、この若い目明しだったか、と万兵衛は今になってようやく気がついた。

「これっ」

岡埜が叱りつけたが、余裕を取り戻した万兵衛は、

「さあ、花魁を外へ連れ出すなど、ご法度。この万兵衛のあずかり知らぬことでございます」

と、白を切った。

表へ出るなり、岡埜は、

「春霞と大坂屋とどんなつながりがある?」

と、ぶっきらぼうにたずねた。

「馴染みということです」

「それと押し込み強盗とはどんなだ?」

「分かりません」

「分からんだとう。ただ当てずっぽうに聞いたのか。あきれたやつだ」

岡埜はずんずんと歩いていってしまった。

が、大川橋の欄干にもたれた浮多郎は、『押し込み強盗よりもっと大きな謎を、大坂屋は抱えているのではないか』と、ぼんやり考えた。

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