ハラキリ(その3)
―脇坂弾正は、東洲斎が描き終えた、おのれの肖像画に長いこと見入っていた。
「さすがというか、恐ろしいほどの筆遣いじゃ」
そうつぶやいてからも、さらに長いこと見て、
「顔がそっくりとかを超えて、こころの乱れ、性格のありかたまで、すべて写し取っておる。儂の魂が、下帯まではぎとられて丸裸にされた」
弾正は、苦笑した。
「儂が、今何を考えているか分かるかな?」
弾正がたずねても、東洲斎は何も答えようとはしない。
しばらく沈黙が続いたが、
「死相が・・・。殿は死ぬ気でおられます」
東洲斎は、そう答えて座を立った。
―浮多郎は、両国橋を渡ってすぐの裏長屋に、大坂屋の手代の紺次郎の部屋を調べに行った。
「十手持ちが何だねえ」
四畳半ひと間の部屋に女がひとりとぐろを巻いていた。
「お前こそ何だ。勝手に上がり込んで」
浮多郎を案内した大家が、眉を吊り上げた。
「紺次郎は、身請け証文まで書いたんだ。それが死んじまってこちとらは大損だよう」
まだ二十歳そこそこなのだろうが、伝法な口のききかたは、岡場所の大年増の女郎と変わらない。
「あんたに払ってもらおうか。店子が払えなくなったら、大家が払うのが当り前。大家は親も同じというじゃないか」
あばずれ女は、大家に喰ってかかる。
「まあ、まあ」と取りなした浮多郎が、女に店はどこかをたずねると、「門前仲町の美濃屋のお北さま」と素性を明かした。
上州の出なのは、そのきつい上州なまりで分かった。
「どのぐらいの馴染みなのかね」
とたずねると、
「丸一年さ」
と、ぽんと投げ出すように答えた。
「その証文には、いつ身請けするとある?」
たずねるより早く、女は証文を浮多郎の膝元へ投げてよこした。
「この大晦日さね。親元はどこだい。こうなったら親と談判してやる」
「紺次郎は、どうして殺されたか分かるかい?」
浮多郎の問いに、女はキツネに鼻をつままれたように、きょとんとした顔になった。
「押し込み強盗に、・・・殺されたんだろう」
「ちがうね」
「どうちがうんだい」
「押し込み強盗を手引きしたのさ。無理強いされたのか、じぶんから売り込みにいったのか、そいつは分からねえ。その辺の話は聞いてなかったのかな?」
女は、黙って宙をにらんでいたが、
「そういえば、・・・近々、大きな金が入るとはいってたね」
と答えた。
「いつごろの話だ」
「つい半月前さ」
「身請け証文を書いたのは、いつのことだ?」
「同じ半月前。たしかその話が出たときに、『お前を身請けしたい』って」
「おそらく、紺次郎は大金を作ってお前を身請けしようと、押し込み強盗のお先棒をかついだんだろうよ」
それを聞いた美濃屋のお北は不意に黙り込み、浮多郎を見ずに土間に揃えた草履をはき、そそくさと立ち去っていった。
―泪橋に帰って、政五郎にこの話をすると、
「俺も長いこと目明し稼業をしてきたが、いつだって『犯罪の陰に女あり』さ」
と溜息をつき、キセルを口にくわえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます