ハラキリ(その4)
「ちょいと野暮用で浅草寺へいった帰りにさ・・・」
大音寺裏の貧乏長屋の三畳ひと間で、幇間の一平は浮多郎にお茶をすすめた。
ひいきのお茶問屋から、高級品をもらうので、お茶だけは贅沢している、お茶がお酒に化ければいいのに、と一平はおどけた。
「大門の手前で、ひょいと見たら春霞太夫が駕籠にちょうど乗るところで。お供は、これが、でっぷりと肥ったお大尽ふうで、ちょいと驚いた」
春霞は島田髷に黒羽織の芸者のかっこうだった、というので、馴染みの大坂屋と連れ立って、お忍びでどこかへ出かけたのだろう、と浮多郎は考えた。
お歯黒どぶと黒塀に囲まれた、縦百三十五間、横百八十間の吉原から、女郎は一歩たりとも外へ出ることは叶わなかったが、楼主が許せば、桜見とかに出かけることはできた。
特に春霞のような、太い馴染み客を持つお職女郎ともなれば、楼主もたまにはわがままを聞いてやらなければならない。
そこは、驚くことではないが・・・。
「軽い気持ちで、そのことをご同輩に話したら、角屋の旦那に聞こえちゃって、それはもうきつく叱られてさ。『二度と吉原で幇間などできないようにしてやる』と、大変な怒りようで・・・」
と、一平は頭をポンと叩いて、舌を出した。
『そこまで秘密にしたい理由は何だろう』と、浮多郎は首をひねった。
それで、一平の教えてくれた駕籠かきに当たってみた。
大門前で客待ちをする先棒の権助に小粒を握らせると、
「へい、たしか綺麗な芸者さんと肥った商人のふたり連れを乗せやした。商人を乗せた金公が先をいって、あっしたちは、その後をついていきやした」
権助は、口から生まれたように、よくしゃべる男だ。
「てっきり不忍池あたりの待合へでもしけこむのか、と思ったんですがねえ」
最近は、女郎に飽きた好き者が、半玄人の芸者買いをする、とお新がいっていた。
お新にもしょっちゅう声がかかるとか・・・。
「・・・それが、武家屋敷へ入ったんで、ちょいとびっくり」
権助と二挺の駕籠は、さる屋敷の裏門で一刻ほど待って、またその芸者と肥った商人を乗せ、大門までもどったという。
・・・しかし、これだけでは、何のことか分からない。
―数日すると、一平がわざわざ泪橋までやってきて、「大坂屋の大旦那が、春霞太夫を身請けするらしい」と、吉原のいちばん新しい噂話を浮多郎に披露するなり、「めずらしくお座敷がかかったんで」と、そそくさと立ち去った。
「大坂屋さんは春霞にぞっこんで、身請け話は分かります。が、どうして太夫を上野山下の武家屋敷へ連れ出しのかが分からねえ・・・」
しきりに首をひねる浮多郎に、
「そんなことを詮索をすると、また岡埜さまにお叱りをうける。たいがいにせいよ」
と、めずらしく政五郎は意見をした。
―翌朝、大坂屋に押し込み強盗に入った賊の手がかりを、火盗の重野清十郎にたずねようと、清水門外へ向かった浮多郎だが・・・。上野山下へ差し掛かったとき、不意に春霞と大坂屋が入った武家屋敷を探してみる気になった。
『駕籠かきの権助がいっていた屋敷とはこの辺か』と見回っていると、しきりに煉塀の中をうかがう深編笠の牢人に出喰わした。
「こちらは、どちら様のお屋敷で?」
とっさに口にすると、編笠を持ち上げた牢人は、若い精悍な顔で浮多郎をにらみ、踵を返して去っていった。
―重野に会うなり、上野山下のその屋敷の様子を口にすると、「旗本の脇坂弾正の屋敷かな」と、こともなげにいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます