ハラキリ(その8)
「船を乗り上げて、膝まで泥につかりながら、やっとこさ草地までいったが・・・」
と、鳥越の浜を案内しながら船頭はいった。
岡埜と浮多郎のふたりがかりで、突っ伏した女を仰向きにすると、
「春霞・・・」
万兵衛が顔をおおった。
春霞は、両手で握った脇差を喉に突き立てて死んでいた。
すでに顔は蒼白だったが、苦しみの翳りは少しも見えず、眠っているようだ。
「大坂屋さん、春霞はこんな脇差持ってましたかねえ」
たずねたられた大坂屋は、首を横に振った。
「お侍の娘だったので、あるいはどこかで手に入れたのかも知れません」
「ああ、そういえば、春霞と正一郎姉弟の父親の片山門之助は、この鳥越の浜で自死したはず。この辺で切腹したあと、ある牢人に埋めてもらったそうです。その牢人に託されて、切腹するさまを描いた絵と遺書を春霞に届けたのがあっしです。姉弟は敵討ちしようとして、返り討ちにあったのでしょう」
「浮多郎、お前なあ・・・」
下駄のような顔を真っ赤にした岡埜は、今にも怒りで爆発しそうだった。
「岡埜さま、春霞の脇差を握った手を見てくだせえ。ちょいと変ではないですか?」
「何だとう」
岡埜は怒鳴りかけたが、それは抑えて、春霞の上に屈みこんだ。
「ふつう刀の柄を握るとき、握りは上下に重ねます。ですが、春霞はお祈りするように柄の上で手を合わせているだけです。脇差の切っ先は、喉を突き抜けて首の後ろへ飛び出ています」
「それがどうした」
「こんなやわな握り方では、喉骨を砕いて首の後ろまで突き抜けるほどの力は出せません。下手人がじぶんの脇差で春霞の喉を突き刺しておいて、あとで両手を添えて自死したように見せかけたか・・・」
「喉に切っ先を当てて突っ伏したんだろうよ。武士が、戦場で切腹する時間がないときにやるやり方だ」
「でも地面は泥地でやわらかいです」
岡埜は、「うっ」と黙り込んでしまった。
「清住の妾宅で斬られるところを、父親の墓の前で殺してもらおうと、春霞はわざわざここへ来たか・・・」
「誰なんだ。その仇とは?」
「大坂屋さんが、ご存知だと思います」
浮多郎が顔を向けると、万兵衛はたじろいで後退りした。
―この日の昼下がり、上野山下の旗本・脇坂弾正の下士が、「主人が屋敷内で切腹して果てた」と目付に申し出た。
・・・介錯人は、東洲斎という牢人者だと申し添えた。
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